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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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日本にとって吉と出るか凶と出るか


三十三間堂が好きなこともあるけれど
とても気になるニュースです。

三十三間堂の神像と仏像の配置を入れ替える。
配置順も変わり、改名までされる。

今後の日本の行く末が決まるかもしれません。

問題はこれを誰が指示したのか、
84年前と全く同じなのか、少し違うのか、
創建された当時の姿をそっくり再現するのか、ですね。

三十三間堂7tjMTKVM
三十三間堂 国宝の風神・雷神像を配置換え 84年ぶり
https://mainichi.jp/articles/20180731/k00/00e/040/235000c

「京都市東山区の三十三間堂で、国宝の風神・雷神像と観音二十八部衆像の配置が1934年以来84年ぶりに改められた。後白河上皇のため平安末期に創建された当時の姿を再現したという。風神と雷神は左右が入れ替わり、二十八部衆像も13体が改名され、配置順も変わる「平成の大再編」となった。 ・・・」

国宝 三十三間堂  二十八部衆
http://ur0.work/Lk48

84年前は1934年(昭和9年)

昭和9年(1934年)の出来事
http://kiuchi.jpn.org/nob2/s09.htm


| 歴史/古代史 | 23:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「日本の疑似伝統」その3


「ケガレ」とは「気が枯れる」ことと私は考えます。
(土地のケガレも同じ)
そう考えれば月経やお産はケガレにならない。

ネットで他者を誹謗中傷したり、
ヘイトを垂れ流す人たちこそ、ケガレです。
彼らは人の気を枯らす。

mayu 139

■日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

2.ケガレの強調

三不浄

沖縄、奄美では経血を不浄とする考えはなく
沖縄には日本古代文化の原型が残っていると考えられるだけに
月経の不浄視は後代から成立してきたと著者。

ここに書かれている二つの相反する「イミ」は面白いですね。

非日常的な尋常ではない世界に対処する態度のイミ
尋常ではない世界には人にとって好ましい場合とそうでない場合がある
好ましい場合は積極的に近づき
好ましくない場合は近づかないようにする
前者が「斉み」、後者が「忌み」
こうした分化は奈良時代末期と言われているが
時代を下るにつれ「忌み」が「斉み」を抑えて圧倒的に強くなってくる

桓武天皇は歴代の天皇のなかでも中国皇帝を施行した代表的人物で、
宮廷の祭儀、儀礼を中国の制度にならって整備、
神祇祭祀に従う者に対しては徹底して凶事の忌避を求めた。

8世紀から9世紀初めにかけて成立した天皇をとりまく律令貴族の
神聖意識が伝来の「イミ」における禁制部分を異常に増加させる原因となった。
彼らの最大の関心事はもっぱら自らの神聖性を侵す恐れがあるケガレを
回避し続けることであった。

自らというのが重要。

高取正雄はこれをもって神道の成立とした、と著者。

この律令貴族の禁忌体系が中世になって農民に広がってゆく。
もともと「浄・穢」は日本固有のものではなく
万物を「浄・穢」に分類する古代インドの世界観に属するもの。

明治近代天皇制でこの「穢れ」が極端に強化されるようになる。
民間に伝承されるケガレ=穢れは日本史における
2度にわたる神権天皇制の産物だった。

墓地は自由に作れなくなった。

「喪中につき賀状辞退云々」の挨拶状も
天皇に仕える官吏から新しくはじまった過剰な禁忌意識。

「国家神道」は従来の神道を天皇中心に組み替えた国教。
憲法上の「信教の自由」に抵触しないようにたくみに
儀礼中心に構成され、「神道は宗教に非ず」という
詭弁のものに諸宗教の上に君臨した。
したがってその祭儀の禁忌意識は激化していく。

こうした禁忌意識は義務教育における
神社参拝を通じて国民の間で徹底されて行き、
昭和10年代になるとヒステリックな様相になってくる。

身だしなみをと整え…手の洗い方からはじまり
参拝の仕方など…神社へお参りする一連の作法。

「二礼二拍手一礼」も新しくできたもの。

神社の前を通り過ぎるときに敬礼したり
忌中の者は参拝を遠慮するなどもこの一環です。

昔からあったわけじゃない。

国家神道の中でも靖国神社がもっとも厳格だった。
病的なまでの清潔、手洗いが決められているそうです。

女性の穢れについても近代天皇制で強化された。

「二礼二拍手一礼」について
宗教学者の島田裕巳さんもこう語っています。

「神社に行くと、「二礼二拍手一礼」が正式な作法と強調されている。だが、そのやり方は、明治8年の「神社祭式」で定まったものがもとになっていて、明治以前には存在しなかった。明治以前の神仏習合の時代には、神と仏は同時に祀られていたので、合掌と拍手の区別はできない。」「これが江戸時代の伊勢神宮での参拝のしかたです。拍手ではなく、合掌だったことがよく分かります。天皇に対して拍手を臣下が打つ、あるいは天皇が神に柏手をうつということはあったようですが、それは特殊なことだったようです。」

つづく

次回は天皇「機軸」論


| 歴史/古代史 | 16:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「日本の疑似伝統」その2


興味があるのでもっと先まで読み進めているんですが
中途半端異になってしまうけれど(今朝も追記ましたが)
サクラの続きを少しアップしておきます。

mayu 135

■日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

日本人はいつの時代でも桜の花を
いさぎよい死に方の象徴だと考えてはこなかったし、
散る花だけを愛でてきたわけではなかった。

明治の近代天皇制下で軍人教育が進む中での新しい現象だった。

サクラの語源はさまざまだが、
田の神の依ります神座(カミクラ)であり、
稲の霊魂がこもっている花ということになろうと筆者。

地域によっては桜でなくても
苗代に種籾をおろすところに花が咲く植物はサクラと呼ばれた。

稲作に関わる人々にとっては、サクラは田植えの開始時に
田の神を招き、加護を祈るための、
豊作・凶作を占うための植物にほかならなかった。

花は豊作の予兆とされてきたから
いさぎよく散らずにできるだけ長く枝に留まって欲しいと願った。

だからこそ花見が真剣に行われてきた。

つづく

次回はケガレです。

| 歴史/古代史 | 23:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「日本の疑似伝統」その1


13日16時28分
少し追記しました。
追記部分は青字にしてあります。


//////

私たちが日本の伝統と思っているものはどうやら思い込みのようです。
和種と言われる牛や馬、犬は半島からやってきたものだけど
古来からの伝統と思っているものは新しいものだそうです。

IMG_2337.jpg


■日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

長いので少しづつ読みながらアップしていきます。

以下。

皇室行事は明治からの新設。
昔から行われてきたと言うのは嘘なんですね。

宮中三殿も明治から。

天皇が親祭する13の祭典のうち11は明治以降。

即位式や大嘗祭に使用された装束も
平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているが
これも嘘なんですね。

幕末までは唐服が大きな位置を占めていた。
それを明治維新後に全面的に排除して衣冠束帯と決めた。

即位の儀式も以前は支那風のことが混じっていたので、
それらは悉く取り除かれた。

奉仕の役人も皆、唐服を捨てて衣冠束帯となった。
古来の典儀も唐制を模倣したもの。


伊勢神宮に天皇が参拝するようになったのも明治天皇から。
(これは知っている人も多いのでは)

明治神宮の建築についても
ヒノキが古来の日本の美と宣伝されているが、これも明治から。

神前結婚も1900年に行われた皇太子の結婚からで
明らかにキリスト教の影響で生まれたもの。


神道に関して「古来」とやかましく主張されるが
明治になって作られたものか、装いを変えたもの。

理由は今までの「神道」が「神道」ではなくなったからである。

近代の天皇制国家は今までの「神道」を新たに編成し直して
「国家神道」を形成し、「国民教化」の手段としたからである。

その究極の目的は天皇支配の正当化にあり、
そのために天皇制が日本古来の伝統であることを過度に強調することになった。

この天皇制賛美は1945年の敗戦まであらゆる教育手段、
マスコミなどを通じて徹底して行われた。

多くの日本人は文字どおり、
洗脳されつくされたといっても過言ではないと著者。


1、桜のなかの《疑似伝統》

いさぎよい死に方と結びついた桜。

旧藩時代にもてはやされたものはすべて破壊するという風潮で
吉野山の桜が数千本伐られ、円山公園の名物のしだれ桜も
あやうく伐られそうになる。
各地の桜の名所は桑畑に変えられてしまった。

ところが明治14年に天皇主宰の鑑桜会がはじまり、
翌年各地で桜の保護が始まってしまう。
ちょうどそのとき、新種のソメイヨシノが発明される。

今までの山桜と異なり、葉よりも花が先に出る。
春爛漫の言葉がふさわしい。
育てやすく開花が早く散りやすい。
明治に全国の学校や公園、河川の堤防に植えられたのは
このソメイヨシだった。

春爛漫と花吹雪という二重の姿を短期間に演出する
ソメイヨシの普及は、天皇に忠誠を尽くすことをもって大和心とする
明治国家の宣伝に好都合であったと筆者。


桜の散り際を武士や軍人の死に方と結びつけて
強調することが明治になってからあらたにはじまった・・・。

桜は本来稲作との関わりで鑑賞されてきたもので
死に方のアナロジーとして受け止められたことはない。

それを「桜の花がパッと散るようにいさぎよく死ぬのが日本人だ」と
したのは明治から。

古来日本人の間には死後の世界についての観念はなかった。

本居宣長の個人的趣味の桜が勤皇の志士に受け継がれ
それが明治維新後も衰えず、近代天皇制国家の確立と共に
桜は国花とされ、帝国陸軍の記章となった。

そして天皇の「赤子」である軍人は「皇国」のためには
桜の花の散るようにいさぎよく一命を投げ出すことが至上命令とされていった。


つづく

私が子どものころから桜を好きになれない理由はここにあったのか・・・。

まだ山桜の方が良かったし、沖縄のカンヒザクラは好きです。

琉球国之図で英国のことを考え、
明治維新で英国のことを考えていたから
神前結婚がキリスト教の影響だと知ってつながってきた。

やっぱり、明治維新はクーデターですね。
そうするとこれもやはり平成維新クーデターが完了間近?




| 歴史/古代史 | 00:41 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑

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「荒らす憎むべき者」


米、エルサレムをイスラエルの首都と承認へ 各国で初めて(BBC
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トランプ大統領、エルサレムは「イスラエルの首都」

エルサレムをイスラエルの首都にするための布石だったのでしょうか。
トランプ大統領は5月22日、東エルサレムにあるユダヤ教の
聖地「嘆きの壁」を現職の米国大統領として初めて訪問した。

同行したのは娘婿の正統派ユダヤ教徒のジャレッド・クシュナー上席顧問。

トランプ氏はユダヤ教徒の男性を表すキッパを被り、
同行したユダヤ教のラビともに嘆きの壁に頭をつけて、
ユダヤ教のしきたりに従って祈った。

(写真:c UPIamanaimages)
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女性礼拝ゾーンでは長女のイヴァンカ補佐官が礼拝。
イヴァンカはすでにユダヤ教に改宗。

(写真:c UPIamanaimages)
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今回のこのニュースを聞いて
真っ先に頭に浮かんだのが「荒らす憎むべき者」です。

黙示録では、半キリストである一者が42月の間、
聖なる都(新しいエルサレム)を踏みにじると預言されています。

一昨日、久しぶりに「七支刀」を書きましたが、
そこで紹介したメノラ―。
イスラエル国の国章はメノラ―。
「七支刀」の元。
イスラエル国の国章

ここにもメノラ―が。

エルサレム第二神殿のウィキより
(ローマにあるティトゥスの凱旋門の内壁に書かれた、神殿からの戦利品を運ぶローマ軍の凱旋式)
ローマにあるティトゥスの凱旋門の内壁に書かれた、神殿からの戦利品を運ぶローマ軍の凱旋式

マタイによる福音書第 24章
全文はリンク先でどうぞ。

マタイによる福音書第 24 章
https://www.wordproject.org/bibles/jp/40/24.htm

15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
16 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
17 屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
18 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
19 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
23 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
25 見よ、あなたがたに前もって言っておく。
26 だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。


>「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。」「屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。」「畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。」「その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。」「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。」

まるで巨大津波が襲ってくるかのようです。
津波の可能性大かも知れません。

以前ちらっと書きましたが
イスラエルで何かがあると大阪で巨大地震が起きると予想しています。
大阪の巨大地震は夢からです。

終末の教会を滅ぼす「火」というのは
カリフォルニアなど世界各地で起きている山火事を想起させます。

2. ハヌカの祭りの歴史的背景(1) ダニエルの預言(11章) (牧師の書斎)

このようにダニエル書は、ギリシア帝国から分かれ出た四つの国の一つから「ひとりの卑劣な者」が起ること、また、二度目のエジプト侵攻の時にローマ艦隊によって撤退を余儀なくされたことでいきり立ち、「ひとりの卑劣な者」である彼はエルサレムの神殿を汚し、いけにえをささげることを禁止して、荒らす忌むべき偶像を神殿に据えることが預言されていました。そしてこれらすべてアンティオコス4世エピファネスの出来事として成就したのです。「エピファネス」とは「現人神」を意味します。それのみならず、アンティオコス4世エピファネスに関する預言が単に紀元前2世紀をもって成就したのではなく、それは最初の段階の成就であり、やがて「終わりの時」にはアンティオコス4世エピファネスの再来である反キリストにおいて最終段階の成就があることを、ダニエルは36~45節で預言しているのです。


「荒らす憎むべき者」が、例の人類の先頭を歩く子猫(獅子)の可能性もあり。



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