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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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世界最古の新石器時代の神殿「ギョベクリ・テペ」


12.000年前の神殿「ギョベクリ・テペ」。
巨大な神殿でまだごく一部しか発掘できていないそうです。

この巨大な神殿は当時の人たちによって
意図的に埋められたそうですね。
疑問はなぜ埋められたのか?

電気的宇宙論でおなじみの
人類規模のイベントがあったという
エハンさんの解説が面白いです。

トルコの最古遺跡リポート:12000年前のギョベクリ・テペ
https://www.youtube.com/watch?v=Sgqy7L4ufXY

エハンさんによるとエデンの園だったということになる。

m-take@takeonomado
https://twitter.com/takeonomado/status/1284597618396532742

これまで無名だったシャンリウルファ近くの遺跡が、世界の考古学いや文明論までを根底から覆してしまった、それがギョベクリ・テペ。巨大アリーナのような考古学博物館の展示にまず言葉を失う。青銅器も土器も無い、牧畜も集約農業すら始まらない、新石器時代の神殿。

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現地はシャンリウルファからタクシーで30分くらい。現在4つほど神殿も発掘が終わったが、全体では21ほどあり、全体の発掘が終わるのは何時の事やら。

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宗教の発生が、農業、牧畜、社会組織の階層分離など全てに先立っていたという事実は、これまでの文化人類学の議論とかを全て吹き飛ばしてしまった爽快感(いや失礼)。ちなみに現地で入場チケットを購入し、向かうこの坂。どう見ても伏見稲荷😆。

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博物館で近くを見てみると、中央のT字型のモニュメントは「人間」なのですよ。一瞬、ブルッと、震えてしまった。
誰に向かい、何を祈ったのか?祈りこそが、文明のブートストラップだったのか?

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巨石建造物として有名なストーンヘンジは4千年前、ヨーロッパで既に青銅器時代が始まっていた。ギョベクリテベより8千年後である。

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20年前に出版の、アナトリア古代文明博物館の解説本も、ギョベクリテベには一言も触れていない。当時(と言っても20年前)、人類文明の始源に一番近い遺跡は1万年前のチャタルフュイックだと思われていた。しかし、この規模の神殿は存在しない。
https://twitter.com/takeonomado/status/1284603863505555456

ギョベクリテペほどの巨大な神殿群(現在21のうち4つが発掘、公開)が単独で存在する訳が無いだろうと推測していたが、当たった。現地の解説では、T型オベリスクの神殿は分かっているだけで、現在9箇所。今から12,000年前に巨大神殿ネットワークがこの地に存在していたという。

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シャンリウルファ考古学博物館にはネヴァル・チョリ遺跡の復元も展示されているが、同様のオベリスク(腕のシンボル化は同一)が中心。この遺跡は10,500年前だからギョベクリテペのT字型(人間)オペリスクは現地の人々の心象世界に1500年以上続いた、極めて強力な祈りの原型だった。
https://twitter.com/takeonomado/status/1284609169925066759

ネヴァル・チョリ遺跡、今はダムの底なのよ。そりゃ世界中の考古学者さえ予測不能だったとは言え、もうトルコ政府の大失点だよね。

博物館にはギョベクリテベからの出土品が多数展示されている。このトーテムポールが12,000年前とか。やはり「祈り」という心象風景の進化が、文明の他の要素を生み出す起爆剤だったのでは無いのだろうか?

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新石器時代ヨーロッパでも人の形をした巨大オペリスクは複数の場所で発見されている。左がスイスのラテーヌ博物館(ケルト文化の発祥地の一つ)、右がチューリッヒ博物館。左のオベリスクはずっと倒されていた巨石を立てたら像が現れた。倒れていたお陰で表面が8千年ほど保たれたようだ。
https://twitter.com/takeonomado/status/1284616670418542599

ドイツのウルム近くの洞窟で発見された象牙製「ライオンマン」は32,000年前。クロマニョン人がヨーロッパに到着して間もない頃、既に神話が存在していた証拠。ここから12,000年前のギョベクリテペまでの2万年間、どれほどの祈りが人々の歌や踊りに受け継がれてきたのかを夢想する。

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| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 23:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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見つめている“わたし“と見つめられている“わたし


以前アップしたマウス画。
マウス画

一昨日の続きです。

「ボームの思考論(デヴィッド・ボーム著)」より書き写しです。

ボーム「要点は、今度は、この自己イメージが2つの部分を含んでいるということです。初めは、それは理にかなっているように思われます。なぜなら、物理的にでさえ、見つめている“わたし“(I)と見つめられている“わたし“(I)ーー主体である。“わたし“と客体である“わたし“がいるからです。わたしは言います。「ここにわたしの身体があります。わたしはそれを見つめています。」身体は見られる客体です。が、わたしはまた主体ーー見つめている“わたし“ーーでもあります。わたしがわたし自身を見つめているように思われますーー反射的行為です。それは理にかなっています。そうですね?わたしは顔を洗う、ヒゲを剃る、等々のあらゆることをします。

そしてそれから、わたしたちが内側のイメージを形成するとき、主体である“わたし“(I)がいて、客体である“わたしに“(me)を見つめているように思われます。胸部の奥のどこかに、多分、客体がいて、頭部の上のほうに見つめている誰かがいるーーそれは空想によっていとも容易に配置されることができます。わたしたちは、いかにして思考が知覚に入り込むかについて議論しましたーーいったん思考が、それが現実だと言えば、その時には私たちはそれをその通りに知覚するのです。

が、今度は、もしもそのようにして知覚される“事物“が実際にそこにあったら、それは極めて重要で、貴重になるでしょう?そうではありませんか?それはこの偉大な、栄光ある、輝かしい神であるでしょうーーまたは、少なくともそうであるべきでしょう。それは存在及びあらゆるものの中心であるでしょう。幼児にとってはそうなのです。そして、事実、それは決して誰からも立ち去りません。ですから、その内側にあるものはとてつもなく大きな重要性と必要性を持ってきます。それは単に科学作用にとどまるだけでなく、その意味に付与された重要性と必要性によって、極めて高い価値を与えられます。それらは相伴っているのです。なぜなら、そこにはとてつもなく大きな科学的効果ーー現実として知覚されるそのような偉大な、輝かしいイメージの神経生理的効果、およびそれを支えているとてつもなく大きな意味ーーがあるからです。それゆえ、その全てが適切に働かなくなるときには、それは実際にシステムを撹乱させてしまいます。

かくして、この自己イメージは中心をなしていきます。そしてあらゆるものは、できるだけ良いやり方でそれを養い、維持するために配されるようになります。わたしたちは思考をそのように仕向けるべく企てます。わたしたちは人々がそれを支持するようにさせるべく企てます。わたしたちは、富を獲得するなどして態勢を整えるでしょうーー人々は、自分が本当に偉大な人間であることを示すために大金を蓄えるんでしょう。彼らは、何であれ彼らがすることを欲していることに必要とされるよりずっと多くのお金を稼ぎます。彼らはお金を稼ぎ続けるのです。そして、彼らが偉大な人間であることを示すために、もしも単なる金儲けだけでは不十分であれば、彼らはーー彼らが必要としているよりはるかに多くのーーあらゆる種類のものを購入します。

なぜ人々はこんなふうにするのでしょう?彼らがそのようにする事は容認されており、当然のこととみなされています。が、私たちはこれを調べる必要があります。なぜなのでしょう?その奥には何があるのでしょう?あなたはここにはシステム全体を巻き込んでいる1つの過程があることを見ることができます。そして人々はそのすべての中で互いに補強し合うでしょう。なぜなら、人々は彼らのアイデンティティを互いに手に出会うからですーー誰もが「あなたはこれです、あなたはそれです、あなたは他の何かです。」と言うのです。さもなければ、あなたは、あなたが行うこと、あなたが自分の出自、自分の先祖、等々について考えることによって、あなたのアイデンティティを手に入れます。そのように、あなたは「それは極めて重要だ」と言う思考から築き上げられたアイデンティティ感覚を得るのです。あなたは、自分がその中にいることを証明しなければならないのです。

が、この構造物は実際には思考以外のいかなる基盤も持っておらず、それは非常に薄っぺらな基盤です。そしてその構造物は一見して極めて重要なので、それが堅固に基礎づけられていることを証明することが非常に重要になるのです。さもなければ、この極めて重要な構造物が何の根拠も持っていないことを見る事は、かなり不安を与えることでしょう。・・・」


きりがないのでひとまず今日で終わり。

98年のメッセージNo.3でも書いたように
日常ではわたしを見ているもう一人のわたしがいます。
夢だとわたしが増える。

ホログラムで考えるとまた違ってくる。

話は少しズレますが、

ブログで度々書いてきたのは
写真は「見るものと見られるものが同時に写る」です。

写真の加工が好きじゃなく何もしないのはこれが理由なのかなと。

写真といっても、
勝手にきれいに撮ってくれる
iPhoneやスマホはこれには該当しない。
iPhoneやスマホに住みついているAIが撮っているようなものだから。


| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:45 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

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“わたし“と”わたしに“についての思考を整頓すること


マウス画

昨日の続きです。

「ボームの思考論(デヴィッド・ボーム著)」より書き写しです。

ボーム「要点は、“わたしに“は常に限られているが、しかしわたしたちは“わたしに“は“わたしは有る“わたし“(I)と同じだと感じているということです。さて、これは葛藤を引き起こします。人々は「わたしは最も偉大である。わたしは最良である。わたしは最も素晴らしい。」と言う事を欲します。わたしたちは、この偉大な、明るい、輝かしいイメージを持っているのです。そしてそれから世界がやってきて、言います。「あなたはつまらない人間だ。思い違いしているだけだ。」それはそのイメージをすぼませ、ショックを与え、そして大きな苦痛を生じさせますーー快楽の空想は、等しく苦痛と恐怖と嫌悪の空想へと転じる可能性があります。空想の中では、あなたは本当にそういった全てに陥ることがありうるのです。

が、“わたし“と”わたしに“についての思考を整頓することーーそれを理にかなうようにし、首尾一貫させることーーは非常に困難です。人々は、“わたしは有る“と“わたしに“の間にあるこの矛盾をいかにして解消したらいいか知りません。人々は言います。「あなたはわたしを客体として扱うべきではない。わたしはそれを好まない。わたしは侮辱され、傷つけられてしまう。」そして社会は言います。「あなたは他の誰からも異なっているべきであり、客体として扱われるべきではないと誰が言っていると思っているのですか?あなたは自分が制限されるべきではないと思っている」けれども、“わたしに“は定義により(当然)客体なのです。

小児は、制限などなく、自分は万物だと感じるかもしれません。彼はその思考、その反射、その空想を形成します。それが現実の何かを反映しているかどうか、わたしたちは知りません。重要なことは、それが反射を築きあげて、「それは“わたしに(me)だ“と言うことです。彼は、それなしにアイデンティティを形成することはほとんどないでしょう。彼はまた、彼がなんであり、誰であるかを告げてくれる他の人々に依存します。いかに偉大で、明るい、輝かしい存在であると彼が内側から見ようと、外側からは必ずしもそうは見られません。他の人々はそれを支持してくれません。彼がごく幼い子どもの時は、彼らは彼を神様扱いするかもしれませんが、しかしやがてそうしなくなるときが突然訪れます。

かくしてあなたは、このとてつもなく大きな葛藤を抱え込みます。あなたは、フロイトが自己愛的イメージと呼んだものを持つのです。ギリシャ神話に登場するナルキッソスという青年は美しい容姿を備えていましたが、彼に恋をした精霊のエコーに冷淡に振る舞ったことで女神メシスの怒りを買ってしまい、自分の姿に恋い焦がれるという罰を受けます。彼は泉に映っている美しい顔が彼自身のイメージであることに気づかず、それに見惚れてしまいます。が、彼は決してそのイメージに近づくことができず、とうとう痩せ衰えて死んでしまいました。皮肉にも、彼は自分が切望していたものをすでに持っており、彼はすでに自分が切望していたものであったのです。しかしながら、彼はそれを信じようとしないか、または容認しようとしませんでした。彼は「それはわたしが必要としている他の誰か」だと言ったのです。

要するに、わたしたちが空想の中でこの自己イメージを生じさせる時、それはそれ以後切望される事物になるということです。そしてわたしたちは「それはわたしからずっと離れたあそこにあり、そしてわたしはそれに到達しなければならない。」と言います。が、これはもう一つの空想、もう一つのイメージです。そしてそれは「わたしはそれを持つ必要がある。」いう感情を引き起こします。

必要(必然)性の感覚は、人事の中で最も大きな威力を発揮します。あなたはそれを解消することができません。そして子どもは、このイメージから自由になり、このイメージに束縛されることを免れる術を、ーーわたしたちの現在の社会の中でも、わたしたちが知っているいかなる社会の中でも、ーー多分、決して本当に学ぶ事はありません。

それゆえ、そのイメージに穴を開けられるとき、子どもは傷つきます。この偉大で、輝かしい、まばゆい存在についての空想は、それから、軽蔑され、見下され、限られたーー高の知れた、等々のーー誰かについての空想へと転じ、それは傷を負わせられます。するとそれは、自分がいかに偉大かを他の人々がわたしに告げる必要を生じさせ、そしてそれは「わたしは、いかにわたしが偉大かについての証拠を、わたしが行うことまたはわたしが所有するもの、等々によって確保する必要がある。」という感覚を引き起こします。

これは非常に強力です。人事はそういった全てによって非常に強力に支配されます。そして誇大妄想患者は、アレクサンダー大王がしたように、「わたしは、わたしか何者であるかを示すために、世界を統治しなければならない。」と言うでしょう。彼も彼の母親も、彼の父親と決して折れあわなかったと噂されていました。彼は母親と同一化し、そしてどういうわけか父親を憎むようになりました。多分、彼は、いかに自分が偉大かを父親に示すことの強い必要性を感じ、したがってそうするために彼は世界を征服したのです。そしてそれから彼がそれを実行した時、彼は非常に悲しくなったと言いました。なぜなら、征服すべき世界がもはやなくなってしまったからです。言い換えれば、彼は世界を征服し続けなければならず、決して止めることができなかったのです。なぜなら、彼はそのイメージをいつも養わねばならなかったからです。」

ーーーー(質問者が哲学者のディオゲネスとアレクサンダーについて話します)

ボーム「多分、アレクサンダーは、常々、自分の生き方がどこか真実ではないと薄々気づいていたのです。つまり、彼は愚かではなく、それどころか、実は非常に聡明だったということです。が、彼はこのイメージにとらわれていましたそして彼は、そのおかげでとてつもない権力を持っていました。人々は、彼がそのような権力を持っていたので、彼のためにはどんなことでもする気になったでしょう。あなたは、どのようにこの全部が作用するかを見ることができます。誰もが、挫かれてきたこの同じイメージを持っています。・・・わたしたちはこのすべての想像と空想の力を見ることができます。世界中で、その種のことがそれと似た影響を生じてきました。ヒットラーがおり、そしてありとあらゆる種類のその他の人々がいました。かくして私たちはこの問題を解消せずにきたのです。」


アレクサンダーが世界を統治しなければならなかった
その理由が面白いですね。

いつか記事にしようと保存してあった
ツイートを採用する日が来ました。
ビル・ゲイツが子供の頃のいじめが理由で
世界を破壊したくなったとしたら、どうでしょう?
わたしには妙に説得力があります。

ナカムラクリニック@nakamuraclinic8

「中学時代にビルゲイルをいじめた奴は、とにかくビルのところに行って謝って来い。"あのときのイライラを76億人相手にやつあたりするのはやめて下さい"と。トラウマで悶々としてる男だからね」
中学時代のトラウマが原因で地球人口の削減を決意´Д`
https://twitter.com/AliBeckZeck/status/1259958873219387393



つづく


| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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”わたし”という言葉は”神”(God)とほぼ同じことを意味している


昨日の続きです。

「ボームの思考論(デヴィッド・ボーム著)」より書き写しです。

ボーム「これについてはすでに何度も議論し、そして”わたし”という言葉それ自体は”神”(God)とほぼ同じことを意味していると言いました。それは万物の究極の源です。砂漠の中で燃えているしばに近づいて、しばの中から呼びかけてくる声に向かって名前を訊ねたモーセの物語の中で、その声は、自分は「有って有る者」( I Am That I Am)だと言いました。最初の‘I Am“は“彼“の個人名(ファーストネーム)で二番目のI Amは彼の姓(セカンドネーム)だったのです。後でその声は再び、”I Am”(わたしは有る)が彼の名前だと言いました。「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなた方の先祖の神が、わたしをあなた方のところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名は何というのですか』と私に聞くならば、なんと答えましょうか」とモーセが訊ねたとき、その声は「わたしは、有って有る者」だと言い、さらにモーセにこう命じています。「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。明らかに”I Am”(わたしは有る)は非常に神聖で、反復されたりすべきではない神の名前とみなされたのです。

それは一種の知覚ですーー“わたしは有る“(I am)という成句は、それだけで純粋な主体、純粋な源、一者、万物の源を表しており、“わたしに“(me)は客体を表しています。が、わたしたちは、“わたしは有る“(I am)を“わたしに“(me)と同一化または同等視し、「わたしはこれだ、わたしはそれだ、わたしは、有って有る者だ、わたしは“わたしに“(me)に帰せられるすべての事物だ。」と言うのです。が、“わたしは有る“を“わたしに“と同等視することから問題が生じてきます。なぜなら、“わたしに“は常に限られているからです。「ちっぽけなお前よ、自分が偉大である、偉大な“わたしは有る“者だと思い込むとは、自分を何様だと思っているのだ?」と彼らは言います。これに対して、“わたしは有る“者は、余計なものを何も付け加えられていないので、いかなる暗黙の制限も持っていません。」


つづく

「 I Am」に関しては知っている方も多いでしょう。



| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 01:43 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

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自己の概念


去年9月に描いたマウス画
これもまだアップしていなかったはず。
マウス画

”ボームは「私」という言葉は神を表すと言ってた”、
と書いた以上責任があるので、

「ボームの思考論(デヴィッド・ボーム著)」より書き写しです。

さて、問題が最もややこしくなるのは、自己イメージをめぐってなのです。わたしたちは、内側で続いているほとんどテレビ番組のような一種の自己イメージをすでに持っています。それは神経、等々の中で続いているのです。そしてこのイメージはいくつかの部分を持っています。一つの部分は、あなたが見つめている内なる、”誰か”であるように思われます。他の部分は、見つめている”誰か”であるように思われます。わたしたちは、これらを指す異なった言葉を持っています。”わたし”(I)という言葉は主体(subject)ーー行為し、実行し、あらゆることを決定し、意志を持っている存在ーーを表しています。

”意志”は”決心”(determine)および”意図”(intention)と同じです。”わたしは決心する”は、強い意志を含意しています。”わたし”は能動的行動者(active agent)です。わたしは意志し、わたしは決心し、わたしは見、わたしは選び、わたしは考えます。また、全てがそれに対してなされる”わたしに”(me)があります。”わたしに”は客体(object)であり、あらゆることがそれに向かって起こります。それから、基本的概念、”自己”(self)があり、それは右の両者を合体させます。”わたし”と”わたしに”は”自己”の二つの側面です。ですから、わたしに(me)、わたし自身(myself)およびわたし(I)があるわけです。それが自己の概念です。・・・


つづく。。。







| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 22:59 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

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「空」「不空」


まゆみ写真IMG_6667

「空」は宇宙のあらゆるものが生まれる場所であり、
全てはそこから限りない流れに乗り、あふれ出てくる。
実在しているのは「空」だけで、
客観的世界にあるすべての形態は錯覚であるという。
精妙な分割不可能なものであり、
個別性を示すような性質が全くない、と。

チベット学者ジョン・ブローフェルド「そのようにできた宇宙では、すべてのものは、すべてのものの中に互いに浸透し、浸透されているのである。空でもそうであるように、不空でも同じことなのだーーー部分は全体なのである」

99年に沖縄で体験した「時間と空間は同じもの」
をまたしても思い出す。

2013.07.08 世界は本当は境目がない。
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-10507.html

昨夜、入眠時に不思議な体験をしました。

頭が冴えていたので早く眠れるといいなと考えていたら
しばらくして体が左右にゆっくりとゆっくりとゴムのように伸びてゆく。
次にたくさんのマッチ棒で作られた立体の映像がみえた。
これも身体なの?って感じ。

片手を胸のあたりにもう片方をシーツに置いてたら
間もなく手が身体に溶け込んでしまいました。
境目がなく一体化しているから
何処から手なのか身体なのかわからない。
ゆっくりと手を離してみると手の感覚が戻りました。
手が場から生まれるという感覚。

また手を胸に置くと同じことがおきました。


私たちは本来、境目のない存在。その2
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-13081.html


| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 15:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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天才は閉塞物を解消するエネルギーからなる。


ノートより

ボーム「科学においては我々は首尾一貫した適合する方法を見出そうと努めている。新しいものは何であれ、初めは思考を絶している。人間の考え方は固定している。我々の意識は閉塞物に囚われている。ニュートンはいっさいを疑うことによって重力に思い至った。天才は閉塞物を解消するエネルギーからなる。しかし、我々は皆、一定の領域内に閉塞物を持っている。(たとえば、アインシュタインは非局所性の可能性に思いいたることは出来なかった)閉塞しないためには、我々の精神は観念を自在に組み合わせることができなければならない。一つの問題は意識のプールである。観念は意識にのぼらず、そして我々が知覚できるよりも早く現れる。どうしたらいいのか?より高いエネルギー状態にある精神はこの過程を知覚できる」


| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「非常に幼い子どもたちは永続する物体の現実についての観念を持っていないかもしれない」


ボーム「ピアジェなどの心理学者たちは、非常に幼い子どもたちは永続する物体の現実についての観念を持っていないかもしれないーーー物体が見えなくなるとき、それはただ消え失せ、他の何かが出現すると感じているかもしれないーーーと主張しています。例えば彼は、食卓についていた父親とオフィスにいた父親とは別人だと考えた二歳ぐらいの子どもの事例を引き合いに出しています。彼らは二人の人間だったのです。さもなければ、彼らはすべての物体の一致を感じるかもしれません。かくしてそれは事物ーーーそれが一であろうと、多であろうとーーーの一部なのです。それは、表象を形成する際にしっかり整理しておかねばならない、もう一つの抽象概念です。あなたの表象は一定の事物を一つのものとして、一定の事物を多くのものとして、一定の事物を必然的、偶然的、一般的、特殊的なものとして捉えます。それはあらゆるものを組織化します。そしてその意味は、事物がどのように表象されるかに従って非常に異なったものになります。初め、その子は二人の父親を見ていました。それから彼は一人しかいないことを学び、それゆえ彼は一人しか見ないようになったのです。多分彼は、二人を見ることの中に首尾一貫性のなさを発見したのでしょう。ですからわたしたちは、表象はある点までは適切でありうると言わなければなりません。外見はある点までは適切でありうるか、またはそれらは錯覚であるのかもしれません。その区別は非常に重要です。脳は外見を構成するという事実は、一部始終そうであるわけではありません。が、それらのいくつかがある点までは適正であるということがきわめて重要なのです」




| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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”実際にあるもの”(that which is)


ボーム「真理は時間ではないでしょう。それが時間の中で起こることはましてないでしょう。真理の作用(働き)の一部は、このスモッグ、シナプスに影響を及ぼして、首尾一貫性のなさを取り除くことだと言っておきましょう。もしもそれが時間を要するなら、そうすることはできないでしょう。なぜなら、”実際にあるもの”(that which is)はいつも変化しているからです。そして、ある一つの瞬間の知覚は、次の瞬間に対しては必ずしも当てはまらないことでしょうから」


| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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脳が静まること


ボーム「脳が静まらなければなりません。この首尾一貫性のなさが電気化学スモッグの発生源です。わたしたちの文明は大気を化学スモッグで充満させてきました。そして、時々、肺は適切に呼吸する状態ではなくなります。同様にして、脳は真理に応える状態になっていないのです」

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 00:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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