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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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太陽と一番近い日


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きのう1月4日は太陽と地球が最も近づいた日で
6ヵ月後の7月の初めには一番遠くなる


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7月といえば、7月22日には46年ぶりの皆既日食だ
全国で部分日食がみられ
奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部などは皆既日食がみられる。
ヴェーダでは悪い影響を受けるとして、見ないように言われる。

12月1日の三日月の三つ子から天体の動きが凄い!
そういう意味でも今年はいろんなことが起きるに違いない。


イェローストーンは危険だけどデマも飛んでいるそうで
デマに注意の情報をみかけた

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2日、体長6.8mのジンベエザメ、マレーシアで魚網に掛かり死亡

| 未分類 | 20:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「みつめている主体 その6」の補足


以前の記事を知らない方のために

みつめている主体 その5
http://cocorofeel.exblog.jp/7007601

真の実在(リアリティ)は
「もの、物」を意味する
ラテン語の「レース」という言葉に基づいている。

ものとは知りうるもののこと。

「レース」という言葉は
「ものを思う」を意味する「レーリー」に基づいている。

だから、ものは本質的に考えることができる。

ボーム


これに続くボームの言葉を書き写しました。
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物理学は混乱している

ボーム「・・・だから真の実在とはまさしく人の知ることのできるものです。ところで現代の物理学者が言っていることは、(その実、意味をなしませんが)本質的には人間の真の実在は科学的測定器具の操作の結果に限局されるということです。しかしかれらはそのことをまじめに議論しようともしていない。混乱しているのです。物理学者はいわば日曜日には哲学風になって、人間の真の実在は科学的な道具立てからの結果に閉じ込められているといい、平日には、それは本当は硬い固体粒子からできているという。しかもかれらは、そんなことはありえないことを自分でも分かっているのです。

その粒子は、波のあらゆる性質と粒子が決してもちえない多くの性質をもっているからです。だから一般的な結論は混乱しており、実験と比較できる数学的な結果をすばやく入手するために、一方の表象像から他方の表象像へうまく機会をつかんで飛躍するのです。それがともかく操作の中心点です。それ以外のことはその目的のためのことか、あるいはよくいうところの飾りもののごまかし、ちょうどケーキか何かに白砂糖をふりかけるようなものです。しかしそれは本当は中心点でないとかれらは言うでしょうが」

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 19:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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みつめている主体 その6


久しぶりにボームの登場です。

久しぶりにルネ・ウェーバーとの対談本(空像としての世界)をぱらっとめくったら
”物質はエネルギーの大海のさざ波にすぎない”が出てきた。
去年からLHC実験にはじまりずっと粒子の記事を書いているので
粒子のことを知ってもらいたいしちょうどいい機会なので書き写しています。
少しずつアップしていきますね。
20年近く前に読んだものなんだけど全然古くない、やっぱり好きだな。

ボームくらいの天才になると
私が心配している一連の実験のことを理解してくれると思う。


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                          デビッド・J・ボーム


物質はエネルギーの大海のさざ波にすぎない

ウェーバー「量子力学を部分的に内蔵秩序へ写像すると、顕前化する秩序にではないにしても内蔵秩序にあるものとして、粒子の別の側面が扱える。先生は昨日そう話されましたが、その点について説明願えますか。」

ボーム「はい。一点に収斂して粒子となり、また拡散するインクの水滴の構図を取り上げると、粒子は実際にあらゆるところにあることになります。粒子に収斂していく道筋に障害を置くと、波の場合のように別の形で収斂していきます。波に似た性質などが現れ始めるのです。粒子のすべての性質が秩序全体の中にあることがお分かりでしょう。

もはやそれは、われわれが単一粒子と呼ぶような粒子ではありません。真の実在、つまりこの”もの”といわれるものの振る舞いを全体として把握可能にするような真の実在が見え始める。それがもの、”レース”であり、思考、”レーリー”を通して知りうるものであると言えます。思考とものの関係はこうです。思考から形成される活動は矛盾なくそのものに適合するであろう、だからそれを試べるのが実験の役割です。」

ウェーバー「顕前化するものと顕前化しないものとの関係をもう少し説明願えますか。」

ボーム「たぶん全体運動についてのこの件にけりをつけるべきでしょう。現代の量子論の数学に従えば、粒子は場の量子化された状態、つまり空間に拡がっておりながら不思議な仕方でエネルギー量子をもつ場となります。また場の中の波はその振動数に比例したエネルギー量子を各々もっています。

例えば真空の中の電磁波を取り上げると、すべての波はエネルギーが取り出せない時でもそれ以下になりえない、いわゆるゼロ点エネルギーをもちます。真空の任意の中の領域中のあらゆる波を足し合わせるとすれば、無限箇の波が可能だから無限のエネルギー量となる。しかしこうも考えられる。エネルギーは無限ではないかも知れない、なぜなら、エネルギーに寄与する波の波長を際限なく短くして、足し合わせしてゆくことはできないからだ、と。そう考えるなら、それも理由がないことではありません。

波の中にはそれ以上は可能でない最も短い波があるかもしれず、従って波の総数は有限でありエネルギーも有限であるかも知れない。そこでその最小の波長は何かと問うべきでしょうし、重力理論がその答えを与えるかどうか疑う理由もありそうです。一般相対論によれば、重力場が「長さ」と測定の意味も決定しますから、もしも、重力場がいまの仕方で量子化される波からできているとすれば、最小波以下ではこのゼロ点運動のために重力場がもはや定義できなくなり、長さも定義できなくなる。・・・中略・・・

そこでそれより以下は不可能であるようなあの最小の波長の拡がりの中のエネルギーを計算してみれば、一立方センチメートルの中のエネルギーは、宇宙の今までに知られているあらゆる物質の総エネルギー量をはるかに超えていることがあきらかになります。」

ウェーバー「一立方センチメートルの拡がりの中のですか。」

ボーム「そうです。では、それをどう理解すべきでしょう。」

ウェーバー「先生はどう理解されますか。」

ボーム「こういう風に理解します。今の理論では真空はこのエネルギーを全部含む、但しその時、測量器具では計測されないから無視されていると。基本的な考えがそういうわけですから、器具による測量の結果だけが物理学の唯一の意味ある真の実在である以上、器具によって計測できるものだけが真の実在だと考えられる。但し例外的に測量器具では決して見ることのできない粒子がそこにあるともいうわけです。

真空はこのエネルギーを全部持っており、物質はエネルギーのかすかな増加であり、従って物質はある相対的な安定性をもって顕示化するいみで、このエネルギーのとてつもない大海の小さなさざ波に似ている、ということを理論物理学の現況は含んでいると言えます。だからわたしが示唆したいのは、この内蔵秩序はわれわれが物質と呼んでいるものをはるかに超えて、真の実在をうちに含んでいるということです。物質それ自身はこの背景の中の単なるさざ波にすぎません。」

ウェーバー「このエネルギーの大海の中のさざ波、というわけですね。」

ボーム「そう、このエネルギーの大海の中の、です。そしてエネルギーの大海は第一義的には時空の中には決してありません。時間については後で話すことにして、空間の話をしましょう。エネルギーの大海は第一義的には内蔵秩序の中にあります。」

ウェーバー「それはつまり顕前化されていないということですね。」

ボーム「その通りです。そしてそのエネルギーは、このほんのわずかな物質の中に顕前化するかもしれません。」

ウェーバー「さざ波ですね。」

ボーム「そうです、さざ波です。」

ウェーバー「しかしその波の源泉あるいは発生の母型(マトリクス)は内蔵秩序の中にあり、それがまだ手の触れてない、または顕前化していないエネルギーのこの大海だと。」

ボーム「その通りです。事実その大海を超えてなお大きい大海があるかもしれません。われわれの知識が結局その地点でただ消え去ってしまいますから。但しこの意味はその地点を超えては何もないということではありません。」

ウェーバー「どんな性質かを述べたり名付けたりできない何かがあるということですか。」

ボーム「ひょっとしてエネルギーの更に別の源泉が見つかるかも知れませんが、それもまた更に大きな源泉の上に浮かんでいると推測することができるでしょう。そこには究極の源泉は測ることも知識で捉えることもできないという含みがあります。だから今述べたことは一般的な示唆です。しかしそれは本当は現代物理学がむしろ含意していることなのですが、それをわれわれは避けて通ってきています。大抵は方程式を見て測定器具がどういう風に働き、その方程式に従ってどんな結果をもたらすかということばかりに懸命になってますからね。」

ウェーバー「今の考え方は勿論大変すばらしく、事実、あっと言わせますが、先生がこういう考え方に導かれることになった源といいますか、物理学者にこんな見方を許すような何か基礎が”物理学の中に”あるのでしょうか。」

ボーム「これは物理学の中から直接出てくることだとわたしは考えざるをえません。物理学者がどうやってこの基礎から眼をそらしているか問うてみるべきです。その考えは、物理学は測定器具の中に現れてこないものには関心がないという基本的な考え方によって、眼をそらしているのだということです。だからこの無限性を引き去ろうと決め込んで、そんなものはないと主張するのです。」

ウェーバー「それは計算と与えられるデータの中に内蔵されている、またはそこにあると言うことですか。」

ボーム「内蔵されているからそこにあるわけですが、測定器具が示すことを通してこのデータの内蔵された意味をみつけるなら、そこにはないでしょうね。すでに引き去られていますから。測定器具がこの背景の中で浮遊している以上、測定器具は直接にはこの背景に反応しないのです。それはちょうど大海を意識しないまま浮遊している魚に似ています。」

ウェーバー「分かりました。しかし理論、つまり物理学の理論的部分を拡張すれば、この種の推論が保証されるというのですね。」

ボーム「それだけではありません。そう推論するしかないのです。なのにそれを避けうるという考えが今までずっといかに巧妙に工夫されてきたか。今述べたような思想は事実、もし決して考えまいとする基本的な考え方によるのでなければ明白きわまるのに、人はそんなものは考えまいとして大変な圧迫を感じてきたのです。」

ウェーバー「その基本的な考え方とは別の言葉でいえば、器具で測定できるものだけを”承認”するという隠れた仮定でしょうね。」

ボーム「そうです。それがわれわれの真の実在だというのです。器具で測定できるものが真の実在であり理論の対象であると考えられており、従って器具で測定できないものについては理論は実際には語るべきではないというのです。これは暗黙の実証主義だと思います。で同時にそれは首尾一貫もしていたのです。理論は粒子のような硬い固体の真の実在についての理論である、そう人びととは主張し、飛跡が見えているのだから器具は粒子を測定しているのだと想像したがっているのですから。しかし動物の足跡が動物を証明するわけではないように、飛跡は粒子の証明にはならないのです。誰かがそこに足跡をあてがったいうことだってありうるでしょう。」

つづく。

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 13:42 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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