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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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和解を目指して…


和解は現実的には無理だと思いますけどね。

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世界の動向や身の回りも色々総合して考えて
一番はやっぱりガザが気になるし、
型をやっていることもまだ消えないし、
昨夜、H氏に和解しませんか、と持ちかけました。
私としてはH氏の返事待ちです。

一昨日、懐かしい風景をH氏のブログでみかけて、
懐かしいですね、と一言メールを送ったあと、
昨日、ボームの本を読み直していたら、H氏とこのままではいけないな、
私は元々人ともめたことがないので自分らしさにも戻ろうと思った。
(ボームの本を読まなくても、いずれ和解しなければとは考えていました。)

ボームの本を読み直そうと思ったのは、
ニュートリノについて何度もコメントされている方のことが頭にあっって、
ボームだと私が言ってることを理解してくれそうだなと思ったから。

それでボームの本をぱらっとめくったら例のページが出てきて、
そうだ、粒子のことをまず読者に伝えよう!って思ったのです。

その間、他のページも読んでるうちに(コメントにも書いたように)
ボームが人との(特に家庭内)争いがいかにエネルギーを消耗しているか、
精力を使い果たしているか、有害かを語っているページに出くわして、
とっても懐かしく、エネルギーの水路のことも考えたりして、
H氏とこのままじゃいけないな、和解持ちかけようと思ったのです。

型をやってるなら、和解は早いに越したことはない。
でもだからといって無理に和解しても駄目だと思う。

ニュートリノのコメントをされている方と私は考え方が全然違って、
普通だったら喧嘩になる可能性もあるのに、
それが最終的には、和解しようと思うきっかけのきっかけになったことが面白い。
こう考えれば、目の前で起きていることは予想もつかなくて、これこそ神秘的。


今日はどうしてこれを書こうかと思ったのは、
H氏とずっともめ続けていたのにそれを書けなかったから。
今度もまたいきなりの展開では人騒がせになってしまうので、
先はどうなるかわからないけれど、一応伝えておいたほうがいいと思ったからです。


余談
ボームの本書き写しながら、ボームとNが似てるなと思った。
二人とも私には独特の説得力があるんです。
まゆみに効く”滅多にない薬”かも。

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チャネリング詩

きょうは2009年を訊いてみました。近いうちに公開するつもりです。

追記
yasuさんが2009年読んで「しずんでくる。」と言ってるので、公開止めようかな。
きょうは2009年にも伝言にもイエスが出てきました。
12月30日の伝言にカタカムナが出てきたけれど今日もまた出てきた。
今日のは長いので「無題」シリーズにしようかな。

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予知と制御


普通の物理学者の最大の関心事、”予知と制御”

今のこの世界をそのまま現している。
一握りの人間によって予知され制御されているこの世界。

この予知というのは自分たちの都合の良い予知ということ。
作られた予知の意味で使いました。

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みつめている主体 その7


昨日のつづき
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物質はエネルギーの大海のさざ波にすぎない

ウェーバー「先ほどのような比喩は、オッカムの剃刀(「存在は必要もなく増加してはならない」-14世紀の唯名論者の格言)と簡略化の原理を犯していると非難されませんか。」

ボーム「そうでしょう。しかしそれは別のもの、別の思想です。だからわたしは「基本的な考え方」と呼ぶわけです。オッカムの剃刀は哲学上の思想です。いいですか。器具の使用をオッカムの剃刀で解釈すべきだということが、器具の使用そのものからでてくるわけではないのです。人びとは何らかの歴史的な条件を負わされているために、オッカムの剃刀が他の何ものにもまして優先権があると信じているだけのことです。」

ウェーバー「その基準で測ってみても、事実は内蔵秩序の方がより単純で、より洗練されているのではないのですか。」

ボーム「それはその通りです。測定器具にのみ従うべきであるというのは、基本的にはオッカムの剃刀ではなくてむしろ信念です。思想という点からすれば、先に述べた見方はもっと簡単です。実際は、今の見方とうまく合わせるためには論理的な訓練をしなければなりませんが。量子力学を勉強する学生の典型的な反応は、最初は理解しないこと、そして一、二年すると、量子力学は計算の体系にすぎないから理解すべきものなど何一つないと言い出すようになることです。しかし同時に、いやそれだけではないのだ、われわれが問題にしているのは真の実在なのだ、と言うようになる。

ともかくこの粒子が真に宇宙を構成している礎材だと信じなければ、物理学者には仕事をする動機がないことになるのでね。だから宇宙の真の実在を相手にしているんだ、と言うこの架空話を維持するためには精神的な訓練をし習熟しなければならない。そうは言っても、現実にはそれほど容易なことではないですよ。それには何年もの月日と技巧を要する。

今わたしは内蔵秩序の方が思想という点からみてもっと単純だと言いましたが、測定器具の記録しないものは何であれオッカムの剃刀で切り捨てるべきだと主張するのなら、勿論それはそれでいいでしょう。オッカムが自分の剃刀をこういう意味で使ったかどうかすらわたしにはわかりません。そもそも彼には測定器具などなかったからです。とすれば思想を形成する際の単純さを意味していただけかもしれません。そうなるとそれは全く別の考え方です。」

ウェーバー「ちょっとその単純さという基準を取り上げてみましょう。ジョン・ウィラーの言葉を思い出すんですが。かれは「宇宙がどんなに単純であるかをわれわれがはっきり悟る時にのみ、宇宙がどれほど不可解であるかを理解するだろう」と言ってます。この言葉をどう思われますか?」

ボーム「彼の言う単純さは思想の単純さだったのでしょう。ご存知でしょうが、単純さは”単一体”(ワンフォールドネス)からなっているという。つまり単一の根源から発生しているわけですが、その根源は宇宙の複雑さを抱擁するために”抜いている”(アンフォールド)というほどの意味でしょうか。」

ウェーバー「顕前化されない起源または領界(レルム)の思想でしょうか。(この領界という言葉は実体化の傾向が強すぎるかどうか分かりませんが。)」

ボーム「顕前化されない真の実在です。それは十分単純です。人びとは何世代もこの考えを持ちつづけてきました。”霊妙媒体”(エーテル)はその一形態でした。この霊妙媒体は通常顕前化されることはないものとされ、われわれが見るものはその霊妙媒体の顕前化である、と主張することはある時期の人びとにはごく自然に思えたのです。

しかしある段階で事態は大変複雑になって、物理学の事実とうまく合わせるのが極めて困難になりました。そこで直接顕前化されなければ無視すべきだという実証主義の哲学が登場したのです。その後はこんな思想は考慮すべきではないというのが一種の習慣、流行になってしまった。その前の流行はというと、こうした思想が大変自然だったのにです。事実、人びとはそれを愛好していたのです。だから歴史上の特定時期の学界の合意は、大して意味があるとは思われませんね。」

ウェーバー「先生の理論は、事実、量子力学をよりよく説明するし、だから物理学の見地からでも自分の理論の方が説明能力の点で分があると先生は昨日言われましたが。」

ボーム「ええ、よりよい説明を与えるつもりです。物理学者も評価するでしょう。でも一方で、物理学者はこうした操作主義、実証主義、経験主義の哲学に余りに強く影響されているので、物理学の問題は、説明ではなく予知と制御だと言うかもしれない。そして予知と制御が可能にならないなら、それはただのケーキの上の白砂糖だと。それが三十年前物理学者がよく使っていた言葉使いですよ。」

ウェーバー「予知と制御といえば、ラトガー大学でのわたしの同僚の物理学者の見解をどう思います?かれが言うには、ボームは量子力学の統計学的方法を受けつけない点で本当はデカルト主義の型の予知と制御を巧みに奉じている。ボームは完全な予知を、従って機械論を巧みに再導入している、と言うのですが。」

ボーム「誰か知りませんが、わたしが書いたことを余り注意深く読まなかったというだけでしょう。第一にわたしは統計学がないとは言っていません。この内蔵秩序には統計学の余地がたくさんあります。統計学的分布を決定法則と同じように使うこともできるでしょうし、事実わたしは統計学的分布を提案してもいます。

わたしがそもそも反対しているのは統計学自体ではなく、量子力学の統計学は測定器具の働きを映すための算法にすぎず、真の実在は何であるかのための統計ではない、という説にたいしてです。第二にかれは誤解している。制御と予知ができなければ関心がないというのは普通の物理学者の方ですよ。」

ウェーバー「かれの質問は、あの統計学の方法は”十分な”制御を与えないからあなたは退けるのだろうか、ということですが。」

ボーム「そうではありません。それは制御と関係ありません。わたしが統計学を退けるのは混乱しているからです。事実、普通の物理学者は予知と制御に関心があるだけです。統計学も予知と制御の手段、大多数のものをその平均値で予知し制御する手段です。もしも量子力学の公式が器具による測定の平均的な結果がどうなるかを物理学者に予知させることができなければ、物理学者はその公式には意味がないと言うでしょう。その公式を捨てますよ。

普通の物理学者ははどんな手段であれ、予知でき制御できることにしか興味がない。それが決定論的な手段であれ、統計学上の手段であれ、あるいは昨日言ったように役に立つのならヨーガや逆立ちするといった手段によってであれ、ということです。」

ウェーバー「それは物理学者が事実の真相には主とした関心がないということでしょうか。」

ボーム「そう、真の実在には関心がないのです。物理学者の第一の関心は予知でき制御できることにある。他の物理学者ではなく、このわたしがそれに関心を寄せているとあなたの同僚が言っているのは、何とも驚くことです。」

ウェーバー「かれが更に問うているのは、宇宙を機械とみなすのはどこが悪いのか、ボームはなぜこの考えを受けつけないのか、ということです。(この問題は先生の考えと他の考えの違いを明らかにしてくれるでしょう。」

ボーム「混乱しているようですね。わたしは何も宇宙を機械あるいは何かその他の形で考えることに反対しているのではないんです。人びとが提案している特定の考え方が完全に混乱している、と言っているのです。」

ウェーバー「どのように混乱しているのでしょう。」

ボーム「現在の量子力学では、前にも触れたし、ここでも少し話しているように、一方では真の実在がある、粒子は本当に真の実在であると主張し、自分たちの仕事の動機の背後にこの真の実在について強い確信をもっている。そして他方ではこうした粒子はどんな真の実在ももたない、唯一の真の実在は測定器具だけである、そしてこの粒子といった実在は記述する方式がない、と主張している。だから量子物理学者たちは、ともかく粒子といった真の実在がそこにあるとなにがしか信じていても、そう主張すれば大混乱状態になってしまうのです。」

ウェーバー「この新しい方向での先生の仕事の動機は本質的に物理学の独創的な研究、真の実在の研究ということにあって、単に予知可能性の研究ではないといってもよいわけですね。」

ボーム「ええ、明晰さの探求でもあります。真の実在は何であるかを考えたいだけではなく、それをはっきり理解したいのです。物理学者は明晰さは大して重要ではない、ただ結果が問題だという。予知でき制御できる結果を獲得するならどんな方式でもかまわないわけです。」

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 13:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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