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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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「無題その58」



ああ、くくられしもの
ああ、くくられしもの
ものの見事にくくられたもの
道を踏み外したもの
我、悲しけり

見事に咲いた花を
君に差し向けたのに
何も見えぬ君
一輪の花も見えず
何が大輪か、真理か、道か
もう戻る道はない
悲しきことよのう

雪が降る
しんしんと降る
悲しみの雪が降る
音を立てながら我のこころに降る

ああ、何という浅ましさ、浅はかさ
目には目を歯には歯をと申すもの
何ゆえに言葉を弄ぶか

見事に咲いた花を
へし折ってはならずと申しておったのに
よくもまあ、へし折ってくれたのう
我の悲しみはいかんばかりか

揃いも揃ってよおく役者が揃いなされたのう
すべてひっくるめて一厘じゃと?
誰が申されたかそのようなこと

さてさて見ものじゃ、見ものじゃ
よおく、ハタラキなされ
よおく、ごらんなされ

ス・テ・バ・チ



2009/01/12 (月) 22:14

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世界の気象


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11日にシュツットガルト(ドイツ)でみられた青いフラッシュ
撮影者は、息を飲むような美しさだったと



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デンマークの2人の地球物理学者が
地球磁場が気候に影響を与えていると発表(英語)
http://uk.news.yahoo.com/18/20090112/tsc-the-earth-s-magnetic-field-impacts-c-c2ff8aa.html



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コスタリカの地震の死亡者は土曜日に34人に

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フィリピン 週末に巨大な波でほぼ100の家が破壊あるいは損害
南ヴェトナムも週末に高波で海辺の27の家が破壊、100以上を脅かす

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米国各地でまだ荒れ模様

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ワシントン州 記録的な洪水で30,000人以上に避難命令

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フィジー 猛烈な嵐、広範囲の洪水

オーストラリア(ケアンズ) およそ100世帯が浸水

マレーシア Jalan Singaiの9つの村の5000人が地すべりと洪水で寸断

フィリピンの新年は嵐、風、雨、大きな洪水から始まった
通常洪水が起きない場所で起きている

カナダ(ブリティッシュコロンビア) 週のほとんでが豪雨、避難も

オーストラリア(パース)は2週間熱波

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ブラジルで多発する稲妻
特に北と北東で。2008年に雷で75人が死亡
平均して5000万以上の稲妻があるが2008年は6000万を超えた。
増大の理由はまだ不明。今年は更に増えるとかですでに4人が死亡

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これが

何度も中断した書きかけのもの
なんちゃって小説。

・・・・・

ルイは空をみていた。
ずっと昔からこの空をみていた。
限りない青に置き忘れたような時間がいとおしくてたまらなかった。
ルクセンブルグの空もプラハの空もみんなルイにはかけがえのない時間だった。
押し消えるような声で「うん」とつぶやく。

風の中心に向かってみる。
声の中心に向かってみる。

ねえ、わたしには何が足りないの?



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心地よい声


見知らぬ人から(沖縄の人ではない)
心地よい声というものを体験した。
多分記憶にないからはじめての体験。

私の後ろを通り過ぎる時に
連れの人に声を掛けたその声が一瞬、妙に耳に残った。
こういうことは滅多にない。ううん、まずない。
思わず振り返りそうになったほど。

後ろのほうの席に座ったと思ったらまもなく隣の席に移動してきた。
連れの人と声が合っていたような気がする。
書き物をしていたけれど、その人の声が気になって何度も中断。
こんな声の人ってどんな顔、姿をしているのだろう?
どんな生き方をしてるのだろう?
顔を見てみたかったけれど失礼なのでそれはできない。
私より先に席を立たれたのでドアのあたりで後姿をそっとみた。
うん、なるほど…

心地よい声というのは
声の質だけじゃなくアクセントやテンポとか
色んなものが複合されたものなんだな、と思った。

普段こういう場で隣の人の会話は聞かないようにしているせいか、
それとも心地よいせいか、会話の内容はまったく覚えていない。


そして今日は道行く人(ある特定の場所)が
寒いせいかも知れないけれど、いつもと違って動きが速く都会的だった。
速さだけじゃなく何か違う感覚があった、私か何かが変化したのかも知れない。

しかし、寒い!
寒さの質が違う?
寒いのは私だけ?
何でこんなに寒いんだろう。ふ~っ。


あとで「無題」をアップします。

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みつめている主体 その12


土曜日のつづきです。

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                           11月の休暇中の写真



Ⅳ 場の意識と場の倫理 ルネ・ウェーバー

粗雑なる材料からつくられた三次元的自己を個人が解消させたその時にのみ、われわれの存在基底はわれわれを貫いて、無碍(むげ)に流れることができるのである。理論物理学者にとっては、この事態が量子力学と似ていることは明らかである。ボームはその適用範囲を心理学にまで拡張し、真理探究者がまず第一に保証できるものとしての思考者を解消せよ、とわれわれに要求するのである。この見解を探ることにより、かれはまさにわれわれの文化からして受け容られるかどうかの瀬戸際を、すなわち物理学と宗教との界面を行ったり来たりしているのだ。それは見慣れぬ領域である。

なぜなら、現在のわれわれの文化はそれを説明するためにいかなる概念も持ち合わせておらず、そのため物理学と宗教を結びつけることは、無意味ではないにしても味噌も糞も一緒にするたぐいのことだとして拒否するからである。だが、いかにも奇妙で見慣れぬものとは言え、全体運動としての宇宙というボームのモデルによって、この統合の正当なことが示されるのである。思考者という擬装を取り去ることによって、中性的でもなければ没価値的でもない質的なもので満たされたエネルギーが得られる。それは束縛されぬエネルギーであり、n次元的性、全体性、慈悲の力によって特徴づけられる。そしてこの過程で物理学と倫理学もまた一つになる。というのは全体のエネルギーは、われわれが神聖さと呼ぶものとどこか分かち難く結びついているからである。要するに、エネルギーそれ自体は愛なのである。


意識にも適用できるこの原子核破壊を、ボームとクリシュナムルティは「覚識」(アウエアネス)と呼んでいる。そのような過程は、意識をかのエネルギーへと直接接近せしめ、宇宙の究極的本性が愛のエネルギーであることを確かな証にもとづいて、やがて体験的に確信させるのである。神秘家たちは異口同音にこのことを公にしてきた。しかしわれれれの目を惹くのは、今日の物理学者がそのような理論や方法に興味を持ったということである。多くの点で、神秘家の目指すものが物理学者のそれと一致している、つまり両者がともに究極者に触れることを目指しているのは言うまでもない。

だが決定的な差が一つある。原子核を破壊することは二元論的な企てなのである。つまり物理学者(主体)は自己の外部に存在すると考えられる客体に働きかけるのである。客体を変化させることは、主体を基本的に変化させはしない。だがそれに反し、思考者としての構造を破壊する場合は、作用者ないし実験者がそれに巻き込まれざるを得ないのである。なぜなら、かれは当の”試験体”(テスト・オブジェクト)であり、変化を与える一方で変化を蒙る者でもあるからである。だから、そのような出来事には抵抗が、困難が、そして大変な希少性が伴うのである。


だが、稀であっても実際それは起こる。そして上で示唆したように、ボームはその状態の達成を倫理学に関係づけるのである。錯覚にもとづく数知れない自我の群れが独立性の意味の置き場を誤り、自我に第一次性を背負わせ、-ここから宇宙的な悲しみが生まれた-(全体内部の血液循環を阻害する痙攣のように)全体を汚染してきた。だが、心理学的な原子核破壊はそのよごれをぬぐい去るのである。心理学的原子核破壊を遂行する者は、かくして聖者に同じである。かれはこれ以上人類の悲しみを増やそうとせず、むしろ限りない慈悲のエネルギーを導く”水路”(チャンネル)となるのである。意識は宇宙のエネルギーと直結した管となり、宇宙エネルギーを自己中心的な追求のために歪めたり、その流れを変えたりすることなく、生きものや人間の世界にそれを満遍なく注ぐようになる。


われわれの知識でこそまだ捕らえられていないが、これが真実かつ望ましい事態であることをボームは確信している。だが奇妙なことにかれはこのことを簡潔にほのめかす以上には論じようとしない。しかし、かれの強調する点はみずからの制約を解いてゆく方法論であり、その到達点にあるかも知れぬ希望の地ではないのである。これについてかれの説明は単純明快である。自分が制約された状態にあるとき、心は制約されぬものを制約されたパターンに翻訳するしかなく、そこで求めているものの本質を見失ってしまうからだという。

ボームは科学の信条に忠実に、言葉による証明だけでなく、経験的証明を断固として要求する。この立場から帰結するものは、奇怪とまで言わぬにせよ奇妙なものである。知の領域内の何物も、あの量子力学の捉え所のない逆説でさえもそれに匹敵することはできない。ある平面でみれば、それはわれわれの心理的構造に戦いを挑んでいるようにも見える。と言うのは、この見解に頭では大賛成するひとも、みずからの生の実存の平面でそれと取り組もうとすれば困難に行き当たるからである。実際クリシュナムルティの教えでそれを試したことのある人なら誰でもそのとおりと証言するだろう。

つづく

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 15:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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