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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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謎の光の柱 追記


2日の記事で紹介した12月28日のSigulda(ラトビア)で撮影された
大気光学の専門家でさえわからない謎の光の柱
ネットでアマチュア天文家の間で活発な議論になっているそう
2日に掲載したのは右端のブルーグレーの光柱だったけれど、今日は別の写真を掲載


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なかなか結果が出ない発振


8日に続きまたパソコンの動作がかなりおかしくて再起動
あ、ちょうど一週間後だ!何だろうね?
大き目か、あるいは近場で発振の可能性あり!
と言いたいけれど、このところ地震前兆は色々あるのに
以前のようなはっきりとした結果が出てなくて、これがちょっと気がかり

深さ 10kmの発振
14日に京都府南部、13日に宮城県北部と橘湾、12日に福井県嶺南



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フィンランドで撮影された氷のハロ

他の写真はこちらからどうぞ
http://jari.pic.fi/kuvat/Atmospheric+phenomena+and+sky/Atmospheric+halos/2009_01_09-10+Hastings+Parry+Helic+Wegener+Tricker+etc/



気象ニュースを簡単に
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イエローストーンの群発地震は北東角に移動、当初より小さくなっている
偽のイエローストーン避難通知は刑事告発に発展する可能性

タジキスタンでも地震のデマ
非常に強い破壊的な地震が10~11日の夜に起きるという噂で
数万人が寒さの中、テントとシェルターで寝た。当局はデマの源を調査中

フィリピン 一週間続いた雨でフィリピン全域で洪水、地すべり、大波を誘発
非常事態のフィジー 火曜日に新しい洪水

米国 衝撃的な寒波、火曜日に北極レベルの零下40度に
各地で北極レベルの温度、事故やらで大きな被害

アラスカ 連邦気象学者はアラスカの継続的な寒い冬を予測


■GKSS科学者は、気候懐疑論者の議論に反論する(英語)
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2009-01/haog-gsr010909.php

■気象研究に90億ドル費やすよう促されたオバマ(英語)
http://uk.reuters.com/article/oilRpt/idUKN1336209920090113
*新しい気象衛星が欲しいらしい

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みつめている主体 その14


昨日のつづき書き写します。
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Ⅳ 場の意識と場の倫理 ルネ・ウェーバー

それとは対照的に、カントが人間のこういった状態を体験しなかったことは疑いがない。だがほんの少数ではあっても、そのような状態を驚くほど一貫した、しかも互いに符合するかたちで書き記した人びとがいたのである。ボームはカントと同じく、知の限界がどこになければならないかを明確に描くことで測り知れぬ貢献をなした。カントの主張を分かりやすく言えばこうなる、つまり人類は-今日風に言えば-全員がコンタクトレンズを与えられた種類の動物であると表現されるような、一種の束縛状態にあると。このレンズなしには、われわれは何も見られない、つまりいかなる知識も得られない。だがこのレンズには、それ自体の色をもった組み込みの濾過装置(フィルター)がついているために、われわれはそのフィルターを通れるものしか「見る」ことができないことになる。かくして、われわれは何も見ることができないか、歪められたかたちで見るかのどちらかである。どちらにしても、われわれは究極者にふれることはできないのである。


ものの真にあるがままの姿を見る(と言ってももちろん視覚的にではないが)には、このレンズを働かないようにさせなければいけない。つまりボームの言い方では、そのレンズを通して世界を操作している自我ないし自己を迂回(バイ・パス)して、われわれのみなもとたる全体が流れるための、空なる水路とならなければいけない。すでに説明したように、その空にあっては特徴づけられるもの何ひとつない。なぜなら、特徴づけとは本体(ヌーメノン)を現象に、つまり顕在化されていないものを顕在化されたものに変形することだからである。それゆえにどんな言葉をもってしても、そう、プラトンが『国家』の中で認めたように言葉の最も純粋な数学でさえも、全体の本質をとらえることはできない。沈黙のみが空の本性と通底することができ、かつそれを「論ずる」のに相応しい空間である(パタンジャリはヨーガの瞑想における歓喜あふれる絶頂点を三昧と呼んでいるが、その文字通りの意味は「真の黙(しじま)」「完全な静寂」である)。


これらのことに注意すれば、ボームの妥協のない姿勢も理解されるだろう。現象を見る眼を通して本体を把握することは、元来不合理なのであり、それをボームは混乱(コンフュージョン)あるいは自己欺瞞と呼ぶのである。存在の純粋形態に波長を合わせ、知り手によって知覚されないときのそれを、そのあるがままに知覚しようとする古い哲学の努力は、従って空しい希望なのである。無限なる宇宙的叡知、愛、あるいはボームの語る洞察に近づこうとすれば、純粋に非二元論的な覚識に道を譲るべく、知り手は身を引かなければならない。これが必然であることを思えばボームの卓越した点が見えてくると同時に、その卓越が理の当然であるように思える。粗雑な物質に局限した場合の原子核破壊-それは素粒子物理学の領分である-は、われわれが真の実在に至ろうとする第一段階にすぎず、かつ物理学者の集団がそれを追求している道である。しかし、ボームはその一団のはるか前方を走っているのだ。原子内的粒子(粗雑な粒子)の形態変化(『チベットの死者の書』参照)は宇宙の神秘を明かしてはくれないだろう。それがわれわれに提供できるものは、すでに見てきたように、すべて知識であり、従って三次元的領域にしか通用しないものなのである。


ボームは、もっと精妙な種類の原子核破壊を要求する。すなわち形態を変化させるものの踊りそれ自体をゆるやかにし、ついにはそれを静止させることを要求する。それは三次元的思考の死であると同時に、かれをn次元の意識領域に再生させることである。そのようなことが起これば、それはボームが呼ぶところの動的状態への扉を開くものとなろう。そこでは創生-分解-創生が同時にわれわれを貫いて流れる。それはちょうどエネルギー量子が何百万分の一秒のうちに生まれては消えてゆきつつも、捕獲されたり、掴み取られたり、汚されたりすることなく常に新たに湧き出てくるのと同じである。その結果、-そのような作業が成功すればだが-宇宙、意識および人間の真の実在についての新しいパラダイム(枠組み)が生まれる。知が作り出した深い溝をへだて、知る者が知られる者を観察するという問題はもはやない。そのような意識モデルは、われわれがそれに頑なに執着してきた何世紀ものあいだ、われわれの期待を裏切りつづけてきたのである。

ボームがまことに明瞭に論じるように、そのモデルは一掃されなければならない。それに取って代わるのは存在の統一場、みずからが統合された全体であり相互に結びついていることを自覚している、自己意識的な宇宙という厳粛なパラダイムである。知る者-知られる者の対立はこうして虚偽なのであり、それらは抽象にもとづく生硬な構成物なのである。それらは、ものごとの真のありように照らして正しいとは認めがたい。他方、ボームの主張する一元論は現代物理学の告げるところに最もよく一致する。それは、かれの説がこれまでのところ自然をよく洞察していることによるのである。データは物理学者たちも受け取っている。しかし、かれらは旧態依然として意識する存在しての自分たち自身を締め出した領域の中でのみ、そのデータを解釈しようとするのである。


ボームが戦いを挑んでいるのは、科学者がその領域内にとどまり、そこから出たがらないというそのことに対してである。かれは量子力学理論からの”あらゆる”帰結を探求することを厭わず、みずからの名声をかけて全体運動の究明に全霊を傾けているのである。かれの見解は、科学がこれまで夢想だにしなかった統一場理論である。というのは、かれの見解によれば探求者と探求されるものとが一つのものとして捉えられ、全体運動は、おのれの真の姿を自覚するようになるのである。その統一場は、現代科学の格率(カノン)が要請するような中性的かつ没価値的なものでなく、物理、倫理、宗教が一体となった、今までに生まれたことのない領域の中で顕在化される叡知と慈悲のエネルギーなのである。そのような領域に多くの人びとが目覚めるようになれば、人間の生にとって革命的なことである。それはわれわれを情報獲得(インフォーメーション)から自己変換(トランスフォーメーション)へ、知(ノレッジ)から智(ウイズダム)へと導いてくれることだろう。

おわり。

このあとはまたボームの対談に戻ります。

| デイヴィド・ボーム/カール・プリブラム | 14:58 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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