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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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補足について

「世界を支配する王」 をアップする時に初めて
yasuさんからの翻訳の内容を読み、その都度、補足を書いています。
事前には読んではいませんので、そのつもりで補足を読んでください。

それから「結論」の翻訳公開ですが、
翻訳していただいた方と現在連絡が取れないため
勝手にブログアップはマナー違反と判断し、yasuさんに未訳の分も入れて
要約、まとめを依頼してありますのでこちらをアップすることにしました。

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「やさしい時間」


時々の声が

二人の間を

行ったり来たりする

やさしい時間




                                        
ふるいちまゆみ


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「世界を支配する王 その35」 の補足


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タントラって、実は
戦争のためのタントラなんだね。
じゃ、この前、
タントラやると彼らの兵士になるんじゃない?

って書いたの当たってない?

仏教とイスラムの戦争が出てくるなんてビックリ仰天。
仏教ってチベット仏教のことなの?
仏陀の原始仏教?
シャンバラ王は仏陀の血を引いてるなら、原始仏教かな。
わ~、何だろう。


>「真の」1つの世界宗教

ついこの前、けんしんさんから一つの宗教になる話を聞いて、
統一宗教は、カルトじゃないかと話してたんだけど、原始仏教?
ダライと仲良しだったアサハラオウムもこれなんだろうね。
やっぱりカルトだ!
カルトって新しいかと思ったら古いんだ。
宗教考察でまた書きます。


シャンバラが目の敵にしているのがイスラムだなんて驚き。
前にも何度か書いたけれど私はイスラムが結構好きなんです。

だから、イラクに続きイランが狙われているんだ。
ダライと米国(CIA)は仲良しだからね。
キリスト教じゃなく、仏教なの?
キリスト教が敵対してると思ってた。
え~!驚き~。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/24/62/b0086362_1902674.jpg',640,416,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

>闘争の衝突の最後の日(2327年に)は、Kalachakraタントラの解説によると、イランを遠て東部トルコに達すると思われる(Bernbaum、1982、251ページ)。 Kalachakraタントラの起源の地域は、来たるべき終末論の戦場(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、 タジキスタン、トルクメニスタンとアフガニスタンの国々)の地と

夢でみた、人類の先頭を歩く子猫の最終地「トルコ」が出てきた。
しかもトルコ近辺には来たるべき終末論の戦場六カ国がある。

こうなると夢の子猫はダライ以外の人物?
ラディン氏に続き、勘が外れた?
絶対、ダライと思ったのに。ううん、でもまだわからない。

やっぱり当初の予想通り、まだ「子猫」なのかな。
子猫だとしたら、この人?↓

Kalki(カルキ)王朝の25人目の子孫Rudra Chakrin(憤った車輪旋盤工)が
2327年に王座にのぼるとあった。

でも随分先、三百年も先だよ。
「無題」のゴビ砂漠も関係ありそうだね。

二つ下の記事に補足でタリム盆地(タクラマカン砂漠)を書いてます。

また車輪が出てきたね。
CERNを思い出す。
二輪戦車はアヌンナキもだよ。

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世界を支配する王 その35


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による10章です。

「憤る車輪旋盤工(車輪を回す者?)」:Shambhalaの戦争のイデオロギー

2327年に(英国国教会年) ? Kalachakraタントラの予言は言う ? 25人目のカルキは、Shambhalaの王座をのぼる。彼は、Rudra Chakrin、「憤った車輪旋盤工」または「車輪による激怒する者」という名で通っている。この統治者の任務は、大きな終末の戦いにおいて「仏教の教えの敵」を破壊することであり、また黄金時代を創立することだ。この好戦的な未来の望みは、今日もまだ多くのチベット人とモンゴル人の心を占めていて、全世界中に広がり始めている。 我々は、「Shambhala戦士」の原型が西の仏教徒の上に働かきかける魅力を、あとで細かく見てみることにする。

Shambhala国は、友人と敵のはっきりして確かな区別を示している。 仏教平和主義の原則的な考え方は、それとは全く合わない。それゆえに、RudraChakrinは彼の支配のしるしとして、「鉄の歯車」という武力のシンボル的な物を持っている(!)。仏教世界観において、我々の全世界 (Chakravala)は鉄の山のリングの中に囲まれていることを思い出してみたい。我々は、このイメージを古代の予言の「終末の鉄の時代」を思い出させるものと解釈している。

白い馬にまたがり、槍を手にして、24世紀にRudra Chakrinは彼の強力な軍を導く。Kalachakraタントラでいう「神々の王」は、「野蛮人を滅ぼすために行こうとする、12人の王たちと一緒になった」(ニューマン、1987、645ページ)。彼の軍は、「鋭い武器」を備えた「他にないほどに荒々しい戦士」から成っている。10万匹の戦争象と何百万もの山馬は、風より速く、彼の兵士の馬として役立つ。インドの神々 は、「憤った車輪旋盤工」の合計12の師団に加わり、 Shambhalaからの「友人」を支える。好戦的なShambhala王に対するこの支持は、多分彼の前任者であり、 1億2000万のヒンズーRishisをタントラの宗教的システムに融和させることに成功したManjushrikirtiによるものだ。(バナ ジー、1985、xiiiページ)

伝説がいうように、Kalachakraタントラの著者が歴史上のブッダShakyamuniその人であるとすると、彼は平和の全ての展望とメッセージを忘れ、武器に対する本当に大きな魅力を持っていたにちがいない。それから、兵器はTimeタントラで突出した役割を演じる。ここでも、人間の身体的な殺害を実行するあらゆる手段は、「武器」によると理解されている。それはブッダの好戦的後継者となるRudra Chakrinは、 「sella(致命的な武器)を手に、...彼は、地球上の存在の解放のために、Kalachakraを宣言する」(バナジー、1959、213ページ)。

致死軍事力

Kalachakra神がタントラの最初の章にいてページを捧げるいくつかの兵器の絵による説明は、非常に印象的で驚くべきものだ(ニューマン、1987、pp.553-570、 詩句135-145;Gr nbold(1996))。合計7つのとても破壊的な武器術が紹介されている。すべてが、車輪の形をとっている。テキストは、ヤントラとしてそれらに言及している。最初に山砦に対して攻撃する「風の機械」がある。それらは敵の軍の上に浮上して、燃えている油を降り注ぐ。同じことが、敵の家々や宮殿になされる。第2の武器術は、「地面にある機械の剣」と言われている。これは、「憤った車輪旋盤工」を個人的保護の働きをする。許可なしに彼の宮殿に入って、床の下に隠されている機械の上に足を乗せた者は誰でも、必ずバラバラにされてしまう。 第3としての術は、「銛機械」(一種の古代の機関銃)が続く。指をしぼると、「多くのまっすぐな矢や鋭い銛が穴を穿ち、装甲象の体を貫通する」 (ニューマン、1987、506ペー ジ)。

敵の軍隊全ての頭上越しに何もかもなぎ倒すさらに効果的な3つの「回転武器」を知っている。そのうちの1つは、太陽二輪戦車の車輪と比較される。これはおそらく、インドの神Vishnuがデーモンの群れに対して使用して効果をあげた、太陽の円盤の一種にちがいない。このような死の車輪は、この世紀に至るまでチベットの魔法の軍の歴史での重要な役割をしている。我々は後にこの話題をとりあげることにする。この頃では、Shambhala神話の信奉者は、原子爆弾で武装し、世界王の地球外のサポート軍隊によって案内された「航空機」や「UFO」を目撃している。

Kalachakraタントラにリストされる多数の殺人道具を見ていると、車輪の武器を純粋にシンボル的なものと理解している「保守的な」仏教徒に対する、道徳的な問題が明らかに持ち上がってくる。それらは、 その人自身の自我を破壊する根本的方法に関したものだ。偉大な学者でありとKalachakra解説者(Khas Grubje)は、はっきりとこの偽善的な試みに反対している。彼の意見では機械を「文字通りにとっている」 (ニューマン、1987、561ページ)。

タントラの黙示録をあがなう者、Rudra Chakrinに話を戻そう。彼は仏教の教えが大掛かりに根絶される時期に現れる。予言によると、それは「not-Dharmas」の時代で、それにに対して彼は立ち止まり戦う。仏教の敵との最終的な戦いが起きる前は、世界の情勢は劇的に悪化している。惑星は、天災、飢饉、流行と戦争であふれている。人々は、常に唯物論的で利己的になっている。本当の信心は消えている。モラルも堕落する。力と富が唯一崇拝されている。カーリーヨーガのヒンズー教義との類似は、ここで明らかになる。

これらの悪の時代には、専制的な「barbarian king野蛮人の王」はShambhala以外のすべての国に彼の規則に従うことを強制し、そのため、最終的には2つの大きな軍隊だけが残る:第1に、「すべてのデーモンの王」に支えられる堕落した「king of the barbarians」、 そして第2が、Rudra Chakrin、憤った仏教救世主である。最初barbarian kingは、Shambhalaの神話の王国以外の全世界を征服する。その存在は、彼と彼の主題を驚くほど刺激するものだ:「彼らの嫉妬はすべての限度を凌ぎ、海の波のように砕け散る。そのような土地が彼らの支配の外側にあることに激怒し、彼らは軍を集め、それを征服しようと試みた。」(バーンバウム、1980、240ページ)。残忍な対立がそれに続く、と予言は述べている。[2]

Kalachakraタントラからは、他にも多数のこの仏教黙示録的な戦いの文学的な描写が見つかる。彼らは、 敵の死体の上になるこの戦争の喜びと勝利感を隠しておくことができない。ロシアの画家でShambhala信者Nicholas Roerichの一節がある。彼は世界的な平和組織("Banner of Peace”)の創設者として30年代に有名だ。「Shambhalaの敵の運命は厳しいものだ。正当な怒りは雲を青紫に染める。Rigden-jyepo[Rudra Chakrinのチベット名]の戦士は、剣と槍を持つ見事な機甲部隊にあって、おびえる敵を追跡している。彼らの多くはすでに弱っていて、彼らの銃、大きい帽子やすべての持ち物は戦場にまきちらされている。彼らの何人かは正義の手によって死にいたり、破壊される。 彼らの先導者はすでに打たれ、偉大な戦士(神聖なるRigden)の馬の下に倒れ伏している。二輪戦車に乗った統治者の後には、どんな壁も耐える事が出来ないほどの恐ろしい大砲が続く。 敵の何人かは、 跪いて、慈悲を乞うか、象の上にあってその運命から逃れようとする。正義の剣が、裏切り者に襲いかかる。闇は絶滅されなければならない。」(レーリッヒ、1985、232ページ)

「闇」は、異なる信仰、仏教とそしてそれゆえ、 Shambhalaの敵対者のものである。彼ら全員は、「最終的な戦い」で無慈悲に切り倒される。この熱狂的な破壊で、仏教徒の戦士らはすべての存在への同情を説くBodhisattvaの誓いを完全に忘れている。

闘争の衝突の最後の日(2327年に)は、Kalachakraタントラの解説によると、イランを遠て東部トルコに達すると思われる(Bernbaum、1982、251ページ)。 Kalachakraタントラの起源の地域は、来たるべき終末論の戦場(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、 タジキスタン、トルクメニスタンとアフガニスタンの国々)の地と言われている。旧ソビエト連邦南の「イスラム」の側面地帯が、現代で最も爆発的危機を抱える地方のうちの1つとされることからも、これはある歴史的な正当性を持っている。 (スピーゲル、20/1998、160-161pp.)

カイラス(神聖な山)の征服は、Shambhala戦争のさらに重要なゴールとして挙げらている。Rudra Chakrin世界中の彼の敵を争いで殺した後、最終的に世界統治者がその4倍もの軍団を引き連れ、カイラシュの山の上に神によって築かれた都市に入る」(Banerjee、 1959、215ページ)。一般的に、「[仏教の]宗教が破壊され、カーリーの時代が現れるときはいつでも彼はそこに行く」(バナジー、1959、52ページ)。 [3]

ブッダ対アラー

Rudra Chakrinの軍は、「not-Dharma」と「無宗教の野蛮人の群れ」の教義を破壊する。Kalachakraタントラの原文によると、ここではとりわけコーランが意識されている。モハメッドは、Timeタントラの中で、その唯一の神アラーと同様に、何度かその名前を言及されている。 我々は野蛮人と呼ばれるMlecchaについて知っているが、それは「メッカの住民」を意味する。(Petri,、1966、107ページ)。この頃、Rudra Chakrinは、 「Mlecchasの殺人者」として既にまつられている(Banerjee、1959、52ページ)。イスラム教に関する最も高いタントラのこの固定化はあまりに理解しや鋳物だけである。モハメッドの支持者は、歴史において仏教修道院とインドのコミュニティの間にあったような、ものすごい荒廃はなかったと書いている? イスラム教義は普通の民衆の多くの感覚では、 僧侶コミュニティのもつエリート主義による仏教の複雑さより、より魅力的なものに見えたに違いない。中央アジアには、喜んで、<ためらう事なくコーランに手を伸ばした多くの「裏切り者」がいた。 民衆の間のそのような転換は、戦争の直接的な結果よりも更に深く、仏教僧の心奥深く刻まれたに違いない。それから、パンジャブとシルクロードに沿ってイスラム教徒の群れが荒れ狂ったその時の事は、 Kalachakraタントラに、メッカからやってきた「人間以下」の者への両立しない嫌悪として跡を残している。

一方の仏教と他方イスラム教の間の世界に横たわるこの二元論者の分割は、チベットのラマ僧が人間の歴史全体の将来へ移そうとしているドグマだ。「特定の推測によれば」とShambhala神話の西の解説者が書いている、「2つの超大国は、それから世界をコントロールし、お互いが向き合うフィールドで向かい合う。チベット人は、第三世界戦争をここで予知している。」(Henss、1985、19ページ)。

歴史の部分の分析において、我々はもう一度この危険な二律背反について話してみたい。モハメッドと対照的に、Shambhala王により争われるべき他方の「間違った教義」(Kalachakraタントラの最初の章で言及している)は、青白くて取るに足らなく見える。それにもかかわらず、それらを紹介するのは意味がある、敵のタントラの包括的概念がうまく広がっているのがどの宗教の創設者かを示すからだ。Kalachakraは、ユダヤ人の間では、エノク、エイブラハムとモーゼを、そしてキリスト教徒のイエス、一般的にマニに認められているマニ教創設者「white clothed one白衣の人」を候補者に指名している。更なる一節で、これらの宗教創設者の「間違った教義」が見くびられ、タントラ自身のシステムに融和さえされているのはたいへん驚くべき事だ。最初の章で「異教」として彼らに強力な攻撃を加えたあと、第2章においては、彼らは様々な結晶の面を作り出し、ヨギは彼らを軽蔑しないように命じられる(Gronbold,、 1992a、295ページ)。

このような矛盾は ? 我々がすでにしばしば経験しているように? それ自身タントラ哲学に加えられる。Kalachakraタントラの第2の章は、このように信仰や意見の自由を求める西の外見上の要求に転じることはない。それどころか、表面上の寛容性と「敵」 に関する考え両方が一緒に保持されて、状況に従っては、それ自身の力の利益を作り供給する。ダライラマ14世は ? 我々が詳細に示すように ? このダブルプレーの巧妙な通訳だ。表面上、彼は信教の自由と全世界的な平和を支持している。しかし対照的に、儀式システムでは、彼は攻撃的なTimeタントラに専念し、そこにおいてのシナリオは、破壊的なファンタジー、全能の夢、征服に対する願望、怒りの爆発、放火狂的な強迫観念、無情、憎しみ、殺害熱狂そして黙示録によって支配されている。このような専制的なイメージも、チベットの「神-王」のために追放されたチベット人の「国内事情」を決定し、我々が第2部で報告する研究がそれについてものである。

最終的な戦いの勝利の後?Kalachakraタントラは予言する?Rudra Chakrinは、「黄金時代」を創立する。純然たる仏教パラダイスが地球上に確立される。喜びと富に満ちる。どんな戦争も起こらない。誰もが、 大きな魔力、化学と繁栄するテクノロジーを持っている。さらに美しいエデンに生まれ変われば、人々 は1800才まで生き、死を恐れる必要もない。この至福の国はおよそ20,000年の間続く。その頃までにはKalachakraタントラは、地球の至る所まで広がって、 「真の」1つの世界宗教になる。(しかしその後、戦争による破壊、敗北と勝利古いサイクルが新たに始まる。)

つづく

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「世界を支配する王 その34」 の補足


>その地域を探し求める研究において最も広範囲にわたって優勢な意見は、今日のタリム盆地(TarimPendi)の砂漠である。

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NASAの衛星から見たタリム盆地は
東西1,400km、南北550km、総面積は560,000平方キロメートル。
北に天山山脈、南に崑崙山脈がある。
盆地の大部分はタクラマカン砂漠がある。
タクラマカン砂漠はサハラ砂漠についで世界2位の大きさ
ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語だとか。

下の記事に
仏陀がシャンバラのSuchandra王にカーラチャクラを教え
秘密の教義に引き入れ、王はタントラの教えをもって帰り国教とした。
7世代後に起こったともある。

チベットは、7世紀頃に統一王国を築いたといわれる。
7世代後と7世紀頃の「7」の一致。

>Shambhalaのすべての王は、その継承してきた王朝に属している。歴史上のブッダは初代摂政SuchandraにTimeタントラの秘伝を授け、その王朝には国の運命を決定した2つの国王家がある。 最初の7人の王は、彼ら自身をDharmaraja(法律の帝王)と呼ぶ。彼らは当初、 Buddha Shakyamuni,(Shakyas)と同じ血統を引いていた。

ここにも7。
この通りなら、シャンバラの王は仏陀の血を引いていることになる。
一体なんだろう?

シャンバラ対イスラムでビックリした。
シャンバラの敵がイスラムなんだ。

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祝詞

昨夜も軽く祝詞しました。

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「世界を支配する王 その34」 メモ


下の記事の”ゴビ砂漠の世界統治者”で思い出しましたが
「無題その63」にゴビ砂漠が出ましたよね。
関係あるのかないのか、何だろう?

『ゴビ砂漠の中に隠れしもの
はよう、姿を現せよ
煙から出でよ
我が神
我が神の
我が神の声』



それから下の記事にもまたライオンが登場です。
”神々が囲んだライオン玉座”

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世界を支配する王 その34


9章は訳してないので飛ばします。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/23/62/b0086362_17505217.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による10章です。
yasuさんが『enlightmentは覚醒としてあります。
難しいから間違っている所もあると思います。』と言っております。


10章 シャンバラの攻撃的神話

ADI BUDDHAの、というよりChakravartinの役割は、Kalachakraタントラの一般用語で議論されるものではなく、 「Shambhalaの神話」の中で、Timeタントラが具体的な政治目的を示している。この神話の中では、世界君主の権限、彼の国家の設立と管理について、彼の軍の組織そして、惑星の征服の戦略的なスケジュールについての声明がなされている。しかし、最初にShambhalaの神話はどう正確に理解されるべきか考えてみよう。

伝説によると、歴史上のブッダShakyamuniは、Shambhalaの王SuchandraにKalachakraタントラを教え、秘密の教義に引き入れた。原文は、12,000節を含む。それは後に失われたが、要約したバージョンは残っている。 我々がTimeタントラの基本的にきまぐれなカレンダーを使うならば、ShakyamuniとSuchandraの遭遇は紀元前878年におこった。教示が行われたのは、南インドにあるRajagriha(Rajgir)そばにあるVulture Heap山に近いDhanyakatakaだった。Suchandraが指導を求めたので、ブッダ自身はKalachakraの型をまとって多くのBodhisattvasと神々が囲んだライオン玉座から彼に説教した。

ブッダShakyamuni=SHAKYAMUNI BUDDHA (サキャムニ(しゃかむに)ブッダ / 釈迦牟尼仏) 
Bodhisattvas=菩薩 (まゆみ解釈)

Suchandraは、Shambhala(インド北方のどこかにある伝説的な王国)の王として支配した。彼はDhanyakatakaでイニシエーションをうける時には、ひとりではなく、 96人の将軍や地方の王と知事からなる宮廷随行団を連れて行った。イニシエーションを受けた後、彼はタントラの教えを帝国(Shambhala)に持ち帰り、国教とした;他のレポートによると、これは7世代後に起こったという。

Suchandraは覚えていたKalachakra Mulatantraを記録し、包括的な解説を作り上げた。彼の後継者(Manjushrikirti) のうちの1人はKalachakra Laghutantra(原作の説教の概要)として知られている要約版を書いている。この1000節からなるテキストはまとまったまま残っていて、今日でも中心テキストとして用いられている。 Manjushrikirtiの後継者(Pundarika王)は、Vimalaprabha(『汚れない光』)の名前で、 Laghutantraの詳細な解説を書いた。これら2つのテキスト(Kalachakra LaghutantraとVimalaprapha)は、マハSiddha Tilopaによって10世紀にインドに持ち帰られ、そこから「雪の土地」 と呼ばれるチベットに100年後たどり着いた。しかし、原文 Kalachakra Mulatantraの断片だけは生き残っていて、Sekkodeshaと呼ばれる最も重要な断片は、Maha Siddha Naropaにより注釈されている。

Kalachakraの教えが国教として実践されたShambhala王国は、ちょうど最初の統治者Suchandraがそうであるように、大きな秘密に包まれている。彼は、Bodhisattva Vajrapani、「オカルト知識の支配者」の化身と考えられている。何世紀もの間、チベットのラマ僧は不思議の国を故意に不可解な物にしてきた、つまり、彼らはそれが存在するかしないかの問題を未解決のままにしてきたので、人々はそれは存在するが、存在しないと逆説的に言わなければならなかった。それは精神的な帝国であるので、その境界はKalachakraタントラの秘密の教えを授けられた人々によってのみ超えることができる。普通の死を免れることのない者の目には見えないので、何世紀もの間、Shambhalaの地理学的位置については的外れな推測がされてきた。「具体的な」条件として知られている全ては、 北インドの「Sitha川の向こうで」で見つかるに違いないということだけだ。。しかし、だれもこの川の名前を地図で発見していない。このように何世紀もの間ずっと、多くのShambhalaを探す者たちは、カシミールから北極との間に至るすべての考えられる地方を、その候 補に挙げてきたのだ。

その地域を探し求める研究において最も広範囲にわたって優勢な意見は、今日のタリム盆地(TarimPendi)の砂漠である。多くのラマ僧は、それはまだそこに存在しているが、不思議なカーテンによって好奇心に満ちた目から保護され、うまく守られていると主張している。確かに、Kalachakraタントラで見ることができる融合的要素は、テキストがタリム盆地を通り、古代シルクロードの多くの文化を横切ってやってきたものであるという見方を証明している。そして、ほぼ円をなして大地を囲む一続きの巨大な山脈は、Shambhalaと地勢的に一致している。

一般的に、シャンバラ神話の地図はマンダラに似ていて、数多くの複製もある。 それには8つのスポークを持つ車輪の形があり、それは8枚の花びらのハスと一致している。花びらの各々は行政区域を作っている。 そこでは知事が最も高い当局者として支配する。彼は、それぞれの「ハス花びら」の上にある、少なくとも1億2000万人を抱える村の総督である。 Shambhala は、このように合計9億6000万の居留地を所有している。全土は、かろうじて登れる、雪を頂いた山々のリングに囲まれている。

山々に囲まれたその中央に、Kalapa という名前の国の首都がある。夜になると光の都市は日中と同じくらい明るく照らされ、そのためもはや月を見ることができない。そこではシャンバラ王が、考えうるあらゆる宝石とダイヤモンドから作られた宮殿に住んでいる。建築は、天国の法律に基づいている。太陽寺院と月寺院、そして十二宮と星の軌道のレプリカがある。宮殿の少し南方に、訪問客は素晴らしい公園を見つける。その中で、Suchandraは KalachakraとVishvamataの寺院を建設するよう命じた。それは、5つの価値ある材料から作られている:金、銀、ターコイズ、珊瑚、真珠で、基礎設計は、Kalachakra砂マンダラと一致している。

Shambhalaシャンバラの王と管理

Shambhalaのすべての王は、その継承してきた王朝に属している。歴史上のブッダは初代摂政SuchandraにTimeタントラの秘伝を授け、その王朝には国の運命を決定した2つの国王家がある。 最初の7人の王は、彼ら自身をDharmaraja(法律の帝王)と呼ぶ。彼らは当初、 Buddha Shakyamuni,(Shakyas)と同じ血統を引いていた。第2の王朝の以下25人の帝王は、「Kulikas」または「Kalkis」である。これらの統治者は、それぞれ正確に100年間支配する。将来の摂政の名前もすでに記されている。テキストは、現在誰が領域を支配しているかについて必ずしも一致していないが、Aniruddha王は最も頻繁にその名を挙げられ、1927年に権力をとり、2027年にそれを終えると言われている。 Kalki王朝の25人目の子孫が就くとき、偉大なる光景が世界を待っている。彼が、Rudra Chakrin(憤った車輪旋盤工)である。2327年に、彼は王座にのぼる。彼を詳細に調べてみよう。

インドのMaha Siddhasたちの様に、Kalkisたちは長い髪を結び目で縛っていた。同様に、彼らはまたイヤリングと腕章で身を飾っている。「Kalkiは、優れた大臣、将軍、数多くの女王を持っている。彼は、ボディガード、象と象のトレーナー、馬、二輪戦車と輿を持っている。彼自身の富とその富たる臣民、彼の魔法の呪文(spells)そしてやナーガ、デーモン、 彼に貢献するゴブリンなどの力がcentaurs(ケンタウルス)によって与えられ、彼の食物は、神々の王でさえ争うことができないほどの素晴らしいものだった。…Kalkiには1人または2人以上の相続人を持たないが、毎年Caitraの満月に行われるイニシエーションの間vajraの女性として与えられる、多くの娘がいる」(ニューマン、1985、57ページ)。これは、彼女らがKalachakra儀式のムドラーとして用いられるように見える。

Shambhalaの統治者は専制君主で、世俗的で精神的な国家に対しておもうがままの全面的力がある。彼は「階層的なピラミッド」の頂点に立っていて、 Buddhocracyの基盤は、摂政の命令を実行する何百万もの総督、知事、役員らの軍から構成される。

彼は精神的な統治者としてのADI BUDDHAの象徴(代理)であり、「世俗的」支配者としてのChakravartinである。彼は金色の王座に座り、8匹の彫刻されたライオンに守られている。彼はあらゆる願望をかなえるという宝石と、彼の国や地球上のすべてを見通して支配することができるという魔法の鏡を手に持っている。何も、彼の注意深い目から逃れることはできない。彼は、あらゆる人の魂の最も奥深いところを調べる能力と権利を持つ。

Shambhala領での性の役割は典型的なものだ。男性中心的な国の政権を動かすのは男性だけだ。女性の役割について我々が耳にするのは、皇太后?王座の相続人の運び手として、そして「知恵の配偶者」としてという事だけだ。「タントラ経済」という国家予算として生命的な資源の貯蔵所を作りあげ、彼女たちの「gynergy女性的なパワー」を、公式な性的魔法儀式によって政治的パワーに変えて供給している。 単独で、支配者には100万人の(!)女子がいて、 「8日の月の若さ?」も彼のパートナーとして利用できる。

国家最高エリートは、タントラ聖職者によって作られている。僧侶全員が白い服を着て、サンスクリット語を話し、Kalachakraタントラの神秘的秘技を受ける。彼らの大多数は覚醒している考えられている。 そして次には戦士があげられる。王は同時に軍の最高指揮官で、その軍隊は将軍を頭に強力な将校団と従順な「下級者たち」を従え、規律正しく非常に有能なものだ。最も効果的で「最新の」破壊のための武器が、Shambhalaの広範囲な武器庫に保存されている。しかしながら ? 我々が後で見るように、 ? 軍隊は、300年の時間をおいて、2327C.E.年に動員されるだけである。

Shambhala 王の全体主義権力は、彼の国の住民だけでなく、同様に我々の惑星「地球」のすべての人々の上におよぶ。フランスのKalachakra熱狂者(Jean Riviere)は、以下のように仏教専制君主の包括的能力を解説している:「宇宙の支配者として、世界の皇帝として、人々の命を統制するように宇宙秩序を統制する、強力で微妙なエネルギー流の精神的な摂政として、ShambhalaのKulika[王]は、重く盲目の物資[宇宙]の中に生まれた人間大衆の精神的な発達を指示している」(Riviere、1985、36ページ)。 [1]

「太陽二輪戦車」のリシ

すべての統治者の名前が知られているが、Shambhala領には現実的な歴史がない。それゆえ、その存在するという多くの世紀の間、年代記に記録されるのに値するような事はほとんど何も起こらなかった。対照的にBuddha Shakyamuni が彼の生涯における一連の歴史的と事実と残された数多くの伝説を考えてほしい!しかし、この国が歴史的対立からまったく自由だったわけではなかったことを示す事実がある。これは、 賢明なSuryaratha(「太陽二輪戦車」)によって導かれる、3500万もの(!)一群のRishis(見る者)の反抗に関するものだ。

この事件は、おそらく2つの宗教的な教えの対立に関したものだ。Rishisたちは太陽だけを崇拝する。この理由のために、彼らはそのグルを「太陽二輪戦車」(suryaratha)と呼ぶ。しかしKulika王はKalachakraのマスターで宇宙的な両性具有者として、両方の天球を彼自身の中に結合した。彼は、太陽と月のマスターであった。Rishisに対してKalachakraタントラの教えを採用するという彼の要求は、満月の夜にも課された。Manjushrikirtiは、次の語で彼の説教を終えた: 「あなたがその道に入りたいならば、ここで止まりなさい、しかし、あなたがそうしたくないのならそのままどこかへ去りなさい;さもなければ、野蛮人の教義がShambhalaに広がるだろう。」(バーンバウム、1980、234ページ)。

Rishisたちは、後者に決めた。 「みんな太陽二輪戦車に忠実なままでいたいし、我々の宗教を放棄して、違うものに加わりたくない」彼らは再び集まった(Grunwedel、1915、77ページ)。これは、すでに概説されている脱出に終わる。しかし、彼らを連れ帰る際、Manjushrikirtiは彼の魔術的優勢さと、「太陽と月の軌道」が「純粋な太陽方法」より強いことを証明した。Rishisたちはこうして彼に多くの金の賛辞をもたらし、彼の力とKalachakraタントラの優越性を受け入れた。月の第15の夜には、彼らに覚醒が授けられた。

この独特のShambhala事件の歴史の後ろには、かろうじて気がつく政治力学的なモティーフを隠れている。 見る者(the Rishis) はその名前が明らかにBrahmansをあらわしている;彼らはエリートの聖職者カーストのメンバーだった。対照的にManjushrikirtiは聖職者-王として、彼の執務室で、聖職者と軍のエリートのエネルギーを集積した。彼は、彼自身の中で世俗的な力と精神的な力を結びつけ、? 我々がすでに議論したように、 ? インドの文化的な球面それぞれに、太陽(聖職者)と月(戦士王)として割り当てた。彼の中の両方の天球の結合は、彼を絶対の統治者にした。

将来のShambhala領域の軍事計画のため(少し後で解説するが)、王と彼の後継者は、常備軍を強化することにとても興味を持っている。それから、Shambhalaは数100万の軍を待ち構えている戦いのために必要としするが、何世紀もの間この神話の国で事はおこらないだろう。このように、軍事的な東洋のBuddhocracy全体のすべてのカースト制度区別を廃止することが、 Manjushrikirtiの関心の的だった。歴史上のブッダは、 将来のShambhala王をすでに予言していたと思われる。 「.. Vajra族を所有するのはKalki になることだ。そしてそれは4つのカーストをひとつのバラモンの家族にすることではなく、Vajra族内におけるひとつの一族にすることによってなる。」(ニューマン、1985、 64ページ)この「バジュラ家族」は、Shakyamuniの声明において、聖職者カーストと明らかに対比される。 いろいろなブッダの家族の中でも、それは軍事問題に対して責任がある人を表している。今日の西洋でさえ、高位のチベットのラマ僧はShambhala軍の将軍(!)として生まれ変わるであろうことを自慢し、 これはつまり、彼らがその精神的職務を軍のものに変えようと考えるということだ。

カースト制度の差別の撤廃の背景にある軍事的な意図は、Vajrayana仏教に従わなければ、国土は「野蛮人」の手に必然的に落ちることになるというManjushrikirtiの正当化でより明らかにされている。これらは ? 後に示すように? 巨大なShambhala軍隊に敵対しているイスラム教の支持者のことである。

Shambhalaへの旅

Shambhala探求者によって書かれる旅行報告は大部分保管されていて、我々はそれらが実際の経験か、夢か、想像か、幻覚連鎖か、秘技参入による進歩に関するものかどうかわからない。これらの区別を明白にしておく努力もなされていない。Shambhala旅行は、 単にこれらの全てをまとめて表している。

このように、人々が伝説的な国を捜して行った難しくて危険な冒険は、「王国自体でのタントラ瞑想の実現に至る方法に沿った、いろいろな神秘的な実行と一致している… Shambhalaを囲む雪山は世俗的な高潔さを意味し、中心の国王は旅を終えた純粋な心を象徴する。」(バーンバウム、1980、229ページ)。

このような解釈において、その時精神的な旅が起こる。反面これはShambha la’i lam yig?パンチェンラマ3世(1738-1780)の有名な旅行報告?のページをめくることで得られる印象ではない。この報告は素晴らしいコレクションとして、その事実の材料のリアリティーや、中央アジアからShambhalaに至る歴史的で地理的な詳細な道を確信している。

この「古典旅行ガイド」によれば、訪問客が不思議の国に入る時に通る景色や、そして辿らなければならない危険な冒険は、Shambhala(本当であるにせよ想像上のものであるにせよ)への旅行をタントラの秘技参入への道にしているという。これは、全ての旅の道程を制御するVajrayanaのように、女性の中心的対立において特に明白になる。ある絵画的な本は、 我々がタントラの環境からすでに知っている女性の像を何ページにもわたって描いている。文学的な気安さで、著者は最も甘く最もむごたらしい場面を描いている:豚の頭を持つ女神;イノシシに乗る魔女;血、内臓、目、人間の心臓で満たされた頭蓋骨を振り回すdakinis;甘露をしたたらせる胸を持つ蓮華と同じくらい美しい女の子;ハルピュイア(女面鳥身の怪物);銅赤唇の500匹の悪魔;水の妖精を好むヘビ女神はその1つを水の中で引き裂こうとする;一眼のEkajati;毒の調合者;サイレン(妖婦); 金色の体の裸の処女;女の食人種;女の巨人;馬の頭を持つ甘いアシュラの女;疑いのデーモン;熱狂の悪魔;さわやかなハーブを与える治療者 ? 彼ら全員は、不思議の国を捜そうと試みる勇敢な魂を待っている。

これらの女性とのあらゆる遭遇が征服されなければならない。あらゆるグループのために、パンチェンラマは抑止され、落ち着いた、受容的な儀式を準備する。女性の何人かは旅行者に追い払われ、他の者は尊敬を持って認められ、そして他の者はタントラの愛の中で結合しなければならない。しかし彼がその感情的に有力な支配をここで失うならば悲痛が彼をおそう!そして、彼らが美しいか恐るべきものに見えるかどうかに関係なく、彼はすべてのこれら「獣」の犠牲になる。完全なタントラの熟練者だけが、この女性の体のジャングルを通って、自分の道を追求することができる。

このように球体は、外部と内部、現実と想像力、 個々の人々の心の中の世界王と実際のゴビ砂漠の世界統治者、日常生活としてのShambhalaとおとぎ話のような夢としてのShambhala、これらの間を行き来し、すべては可能になる。ロシアの画家Nicholas Roerichが中央アジアでの旅行の際に、ある遊牧民にニューヨークの写真を見せたとき、彼らは叫んだ:「これは、 Shambhalaの地だ!」(レーリッヒ、1988、 274ページ)。

つづく

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もしかして、これが最大の陰謀ってことはない?


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セックスを覚醒の道具に使うことは好きになれません。
私は嫌です。
自然に反していると思う。
我欲の強い人間を象徴している。
手っ取り早く、安易に、しかも快楽を共にしたやり方。
どんなに科学的な知的な言葉を使っても中身は同じ。
タントラによく性愛という言葉が出てくるけれど、
これだって、何が、何処が、愛なんだと言いたい。

ダライのタントラを横に置いておいても、
いわゆるタントラって欲望だらけだと思うのです。
自分の覚醒のためにこれはと思う女性を選ぶようです。
タントラの相手になってくれないかと言われた女性もいるそうで、
こういうことが現実に行われていると知って驚きました。

まず愛情があって、
それからセックスをするものだと思っている私には、
タントラは合意の元でのレイプのようにしかみえません。
女性は道具として使われるだけですからね。
これならまだ、行きずりの恋のほうがましでしょうね。

タントラの記事に、少女が自ら進んで
見知らぬヨギに体を提供する話が出てきましたが、
これはきっと昔から続いてきた悪慣習なのでしょう。
絵を想像したらなんともいえず悲惨でした。
どうしてこういうことが延々と続けられているのか?
世界は余りにも無残で哀しい。
輪廻転生を悪用したチベットの奴隷制度とよく似ている。

タントラの覚醒はカタカムナのアマナ転換と似たようなものだと思います。
アマナ転換というのは、意識転換。ようは覚醒でしょう。
アマナ転換を目指していた人から聞いた話では
きれいな女性をみただけでもアマうつしというものが起きるそうです。
アマうつし欲しさにきれいな女性をみるということもあるでしょう。
なんか気持ち悪くないですか。

セックスも欲、タントラも欲、ドラッグも欲、
大麻とセックスの組み合わせで変性意識を体験したという話を聞きましたが、
ただの幻覚かも知れないのに、ぞっとしませんか。
前の記事では、大麻は最終セックスドラッグとありましたからね。
大麻を体験した別の人の話では、大麻はセックスに関係すると明言してました。

欲望が渦巻いている。
人間の最強の欲は「覚醒」と言われるものかも知れない。


この覚醒というものが、最大の陰謀だったら、どうする?


セックスというものですが、
生命の誕生、そして愛情を高めあうものだと思ってます。
なくてはならないものではないでしょう。
ある時期、必要なものなんだと思う。

チャクラで考えれば、性は創造エネルギー。
生命の誕生は創造です。
何かを生み出す、作り出す作業はみな創造。

性欲が強い人は創造エネルギーが強いということです。
だから創造に力を使えばいい。
押さえ込もうとするからいけない。
アートはもちろん、農だって創造、発想も創造です。
世の中には創造に関することがいっぱいあります。

ただ使い方を間違えているだけ。
そう思う。


追記
連載中の記事(12.パート1のエピローグ)では、
本当のこと(タントラの攻撃性と病的状態、「女性の犠牲」、性的過剰、
エネルギーの「吸血鬼信仰」、全能の力の主張、世界的な破壊狂乱、)が
ダライらによって組織的に偽られ、多くのテキストが一般公開されているとあります。

覚醒だと信じ込んでやっているつもりが
実は世界の破壊に手を貸していることになるんじゃないの?
タントラやると彼らの兵士になるんじゃない?
そのために一般公開してるんでしょう。違う?
有名なのがやっぱりあの人でしょ。
あ~、やっぱり怖いな。

タントラ人口って、世界中でどのくらいいるんだろう?
タントラをされている方がいらっしゃったら、是非意見をお聞かせください。
反論、歓迎します。



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お便り紹介です。


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遅くなりましたが
精神学考察のときに頂いた
ギリシャ・ローマの文化史を勉強されている
Aさんからのお便り紹介です。

________________________________

From:
Sent: Tuesday, May 12, 2009 11:13 PM
To: まゆみ
Subject: Re: Aです5/7


まゆみさま

毎日の迫力のある更新、ありがとうございます。
だんだん、私も核心が読めてきました。

この騒動、若くない独身の方が多いですね。
人間の3大欲、食欲、性欲、睡眠欲でしたっけ、、、これに突き動かされているみたいですね。
その中でも、性欲、フロイト流に言えば、リビドーでしょう。
欲望は、封印すれば封印するほど暴発します。

実は私も、大学院で心理学を勉強しました。
担当の教授は有名な彫刻家の息子で、私に理解があり、芸術学科出身ということで、表向き発達心理学専攻だったのですが、もう少し突っ込んだ芸術心理学みたいなことに道をつけて下さいました。
3人の学生のうち一人は外部からの方で、私ともう一人の男の子は、恋人の要素だけがない、学部時代からの公私共のパートナーでした。
ミュージカルの演出や、指導、ピアノの連弾、身体表現の相方、creativeな活動を一緒にしていました。
外から見たら、完璧、恋人同士に見えたそうです。
子ども達に身体表現を通して、信頼感とか勇気とか、人生を切り開く上で必要な心のあり方を伝えるプログラムを考えていました。
対象が第2次性徴以前の子どもの場合、スキンシップが大切で、大人から見れば、抱き合ったりとか普通なら、恋人同士しかしないようなことも、プログラムには入るから、、、、
一生懸命になれば、抱き合うし、寄り添って寝転ぶし、、、
それより年齢の高い人たちに対しては、同性同士にして充分コントロールした上で、ボディタッチを取り入れるけれど、異性として感じたことはなかったし。
恋人居ない暦20数年(イメージです)の博士課程の頭でっかちの先輩方は、スタジオに見学に来て、目が点になっていました。

まゆみさんと、ブログを通して垣間見える素敵な異性のお友達との関係は、なかなか理解できない人が、理解できないどころか、誤解してしまう人が多いと思います。
それが、ある意味、今回の騒動の本質をえぐりだしたのではないか、、、と思います。

まゆみさんがアップして下さった記事に、まずヒロさんが反応してくださったのも、彼はモデルという商売柄、身体を扱うプロだからだと思います。
心の要素がもう少し大きくなると、演劇の世界になりますが、彼は演劇のレッスンも受けていらっしゃるようですね。だから、よけいに、、、

学生時代の私たちは、本当に厳しい演劇の先生の指導のもと、心と身体の使い方の訓練を受けながら、学んでいました。
身体を解放するcreativeなプログラムに入るときは、これはウソッコの世界としっかり認識して、終わったら、はっきり日常の世界と認識する、これはとてもエネルギーがいることです。
二人とも、別に恋人がいましたが、それでも若かったので、時としてウソッコの世界でパートナーがとてもいとおしく感じられたり、ふと気がつくと、日常でも熱い視線を交わしていることを感じてしまったりしました。
それを、また、第三者がキャッチして、「恋人」同士と思ってしまったり、、、
まゆみさんのブログでの活動は、真にcreativeだから、俗っぽい恋愛感情や、やきもち、あてつけ、ヒステリーとは全く異なる次元です。

性について、異性について、語ったり体験することが歪められたのはいつからだろう、、、
教育によって、マスコミによって???
大人で生きるのに本当に必要なことなのに、タブーを作った人間社会だから、宗教が補った?
教祖様は男が多くて、熱心なとりまき女性信者がいる。
どの宗教もこのパターンが共通する。
キリスト教にも教会の花嫁という言葉があり、シスターがこれにあたる。
そして、原理主義の牧師は、それをすりかえて、信者の女性を性的に縛ることもする。
男性信者を獲得するため、女性の魅力を利用する。

欲望をマイナスにとらえ、封印することから、すべてが始まる。
美味しければ幸せ、人を好きになることは喜び、休みたいときは休む。
心と身体的なことの使い方を自由にすれば、かなりの部分のスルリと抜けると思うけど、、、

ネットでも、リアルな話し合いでも、なかなかタブーには踏み込めませんね。
安易に踏み込むと自爆するし、、、信頼感を築いて、時間をかけて、、、
ヒオキさんとのことも、いろいろお話を聞いてやっと全体が掴めました。
今、少しずつタブーがひらかれて、くびきが解かれて、混乱して、
そしてやがて収まり、新しい価値が生まれ、また、それに縛られて、、、繰り返す。
その繋がりが人の生きるということだと思います。

学生時代の私が考えていたこと、、、
「演劇教育をしっかりすることで、色々な人生を疑似体験し、リアル人生を豊かにする」
結局、教育の場から離れてしまったけれど、今、当時より大人も子供も追い詰められている。
あのまま、芸術教育の世界に進めば少しは世の中に貢献できていたかな、、、、

この混乱は仕組まれたものなのか、、、、
仕組まれたものでも、自然発生でも、、居心地が悪いのは事実です。
それなら、いっちょやってみよか!
まゆみさんとのやりとりで、私もアートの世界に戻る覚悟ができました。
no-prideさんのコメントから、art →アート→技術→生きる術(すべ)
だから、アートは万人に必要なこと、、、と感じました。

・・・・・

この騒動に首をつっこまなければ、今の決断はなかったと思います。
やっぱり、私にも、これに遭遇することは必要なことだったようです。

まゆみさんの新しい生活、、、みんなに知らせていただける時を楽しみにしています。


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ひと


大田龍さんが亡くなられたことはコメントにちらっと書いた。
大田さんの本も読んだこともないし、何も知らないも同然で、
アイクさんと一緒に写っている写真でも小柄な方だな、
こんな方がああいったことをされているんだ、って思っていた。

さっき偶然に大田さんのビデオをみつけた。
どんな人なんだろうと思ってみたら、
静かで感じの良い方でビックリ。
優しそうな学者さんといった印象。

人って本当にわからないな、ってつくづく思った。
写真でも駄目、やっぱり動く姿と声、動作、雰囲気をみないとね。
ブログというか、ネットでの言葉はきつく感じるしね。
小柄な体で頑張っていらしたんですね。
お疲れ様でした。

まさか、大田さんのことをブログに書くなんて全く想像もしていなかった。
自分でもビックリ。
記念にそのビデオを紹介します。




それから
私のことを暖かく見守ってくれている飄(つむじ風)さんところで
ブログ消滅の記事を読んでビックリ。

一昨日、ブログが最近おかしいと書いたばかりでしょ。
こんなことがあるんだね、ヤッパリ。
じゃ、私がおかしいといったのもまんざらではないかも。
やっぱり予備ブログ作ろうかな。


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祝詞

軽めに祝詞しました。

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「世界を支配する王 その33」の補足


>火は水から生まれる

チャネリング詩によく出てくる水、
詩集をお持ちの方は確認してみてください。

一番面白いのが「ラセンとは何ですか」に出てくる水。
何故か、ヒツクノカミの言葉も出てきます。
ラセンのヒツクノカミと、どこかでみかけたヒツクノカミとは全く別物です。
まったく次元が違う。

それとは別に
「水の由縁はすでに伝えてある」との言葉も受けています。


>大宇宙のわずかな「銀河の種」だけが残り、それは新しい世界のための始源物質を形作る

種子や点の言葉もチャネリングによく出てきます。


>この黙示録を生き残る唯一の要素は風であり、小宇宙の語でいうタントラマスター(ADIBUDDHA)の呼吸にあたる。

これは”まゆみふう「カムナ」「アマナ」”

で書いた「カ」と同じだ。
カ → フッと息を吹きかける → そこに稲妻が発生する
この最初の”フッと息を吹きかける”のところ。


>(気の荒い雌馬は、世界の深海で見つかる)。

これも何度か書いたように
瞑想を始めたころによく体験したこと

「瞑想をするたびに
ゆっくりゆっくりと深海の底まで降り、
海底にたどり着いたらゆくり横たわり海底を眺める。
(横向きになって寝る姿勢)
そしてまた、ゆっくりと浮上してくる。」

これを思い出します。

破壊と創造に関しては
1996年12月11日のメッセージNo.1で
「破壊なくては真の創造は有り得ない」と書いています。


間違いなく、ADI BUDDHAにダライはなろうとしているのだと思う。
その技術を彼はすでに手に入れたのだろうか?
それとも別の人間なのか?
一人しか使えないものなのか?
この技術を多くの人が使えるようになったら、空恐ろしいこと。
これこそ人工アセンションだ!

このあたりはまた宗教考察で書きます。

明日はいよいよ、シャン薔薇です。

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世界を支配する王 その33


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による8章のつづきです。

8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面

Kalagni and the doomsday mare
Kalagniと終末雌馬

デーモン・ラーフは、Kalachakraカップルの図像の中でも中心を占有している。時間神が彼のパートナー(Vishvamata)と踊る4つのクッションは、集約した形でタントラの全プログラムを含んでいる。上部2つのクッションはそれぞれ太陽と月を表し、ふたりの時間神(Kalachakraと Vishvamata)の象徴とみなされるべきだ。彼らの下に、Kalagniとラーフ(神秘的なカップルを皆殺しにする二人の死のデーモン)のクッションがある。我々はラーフのことは知っているが、Kalagniというのは誰なのか?

Kalagniは世界を破壊する「黙示録的な火」と考えられている。小宇宙のレベルでは、Kalagniはヨガ行者(candali)の「内部の炎」と同等視される。大宇宙macrocosmicのスケールでは、この火の悪魔(我々は、 それを女性の力と考えるいくつかのスチールを持っています)は、全ての宇宙を破壊する。彼女は2つの宇宙の原初の力として性を清算し、ラーフのように「太陽と月の滅ぼすもの」の形容語句を持っている。しかし、主に彼女は、「破壊の火」として知られている。サンスクリット語のkalagniは、すなわち、 kala(『時間』/破壊』)とagni(『火』)の語に基づいている。しかし、kalaも『黒い』を意味していて、カーリー、憤った黒い女神、暗黒の最後の日の統治者、カーリーヨーガを思い出させる。したがってKalagni、カーリー、Candaliは、宇宙と彼女自身を炎の海に投げ込む恐るべき母の変種で、ADI BUDDHAとしてのタントラマスターは、創造の自発的行為を通して彼自身の中からそれを出現させることができる。

このようにKalagniがラーフに類似した機能として働くのを見ることができるので、我々は両方の惑星を同じエネルギーの2つの面(男性と女性の)として合理的に考えることができる。Kalachakra天文学のドイツの探検家Winfried Petriは、「宇宙活動の最高の例として」無限の破壊力に基づいて彼らに言及している(Winfried Petri、1966、146ページ)。彼らは組織的に天の失墜をもたらすTimeタントラの2人の主人公であり、ラーフとKalagniの破壊的な役割は太陽と月の破壊に限られたものではない。ヨガ行者が内部の火(candali)を使って彼の体のてっぺんからつま先まで様々に集積された状態を焼き尽くす時、それと平行して、ラーフとKalagniもまた、天のすべての惑星(土星、木星、その他)を破壊する。そしてタントラマスターの神秘的な身体のエネルギーセンター(チャクラ)は様々な惑星球と一致している。すべてのチャクラが「内部の熱」によってmicrocosmically(小宇宙的)に焼き尽くされるちょうどその時、同時にmacrocosmic(大宇宙)の世界での惑星大虐殺が起きる。CandaliとKalagniは、女性の破壊的な同じ力のふたつの面なのだ。

Kalachakra タントラでは、Kalagniは「雌馬の口火」 (Newman、1987、pp. 229、481)の形容語句を持つ。アメリカのインド学者(Doniger O’Flaherty)の研究に基づいて、考慮すべき2、3の問題をこの独特なフレーズに捧げることにする。いわゆる「最後の審判の日の雌馬」の神話には、インドの長い伝統がある。慣習的な話は、彼女がどうやって海の最深点で虜にされ、そしてどのように炎が絶え間なく彼女の鼻から流れ出すかを話している。時の終わりには、巨大な馬がその水の監獄を逃れ出て、全宇宙を炎にさらす。「雌馬の口の火は、海の水を飲み込み、吐き出す; カーリーの時代の終わりに、地下世界の炎が宇宙を破壊する」と、インドの国民的叙事詩マハーバーラタは語っている(O’Flaherty、1982、 213ページ)。

インドの神話において、一般に「雌馬」はcandaliの説明から知るその特徴と類似している。それは「下層階級の女性」、男性を滅ぼす魔女の飽くなき性欲、女性のセックスのエロティックな過剰さ、こういったもののシンボルである。「彼女が男性に会う際に、女性の陰門は、すぐに湿ったようになります。…死、地獄、mare-headed[火]、鋭い刃、毒、ヘビ、火 ? 女性らはこれら全てであり、そしてひとつである」(O’Flaherty、1982、214ページ)。インドの女神カーリーに付き従う女性たちは、誘惑的で非常にセクシュアルであると考えられていて、最後の日の雌馬の発散する物としていまだに恐れられている。 [3]

さらにみてみると、怒りで燃えあがる悪魔的な雌馬はタントラマスターの宿敵で、彼の情熱のすべてを制御することで彼女を支配下に置く。O’Flahertyは、 彼女の中に中性的なcosmocrat(世界の統治者)であるバイセクシャルのヨガ行者への、宇宙の女性中心の敵対者をみる:「雌馬は典型的な女性の両性具有者であり、男根の女性であり……女性の両性具有者は比較的めずらしいが、ひとたびそうなると、彼女らは男性より激しいものとなる」(O’Flaherty、1982、 236ページ)。しかし我々はタントラマスターが魔法の芸術をマスターし、女性のもつ致命的なエネルギーを彼自身の力の追求に使う事を決して忘れてはならない。最後の審判の日の雌馬(Kalagni/Candali/カーリー)によって引き起こされる終末の炎が燃え尽きる時、世界王座にのぼるのは彼女ではなく、ADIBUDDHAとしてのヨガ行者だという事も忘れてはならない。 

雌馬の神話において、黙示録的な火が水から出てくることは特筆されるべきだ。(気の荒い雌馬は、世界の深海で見つかる)。我々がタントラ秘技の視点から物語を解釈するならば、この起源はより理解しやすいかもしれない。これはすなわち、ヨーロッパ錬金術の「燃えている水」として知られている現象に関係している。水は最初女性的なものであり、男性的な火のエネルギーによって点火され、破壊的に機能する。インドの古い法律写本マヌでは、「稲妻と雌馬の炎に火を見つけるように、火は水から生まれる」と語る(O’Flaherty、 1982/1988?214ページ)。

ひとたび火をつけられた水は、ある種の宇宙燃料のようにふるまい、男性的な破壊力として働く。ちょうどその時、macrocosmic(大宇宙)のレベル上で、ヨガ行者はその助けを借りつつ、古い宇宙を分解するために雌馬の「海底の火」を利用するが、それはちょうど彼がcandaliの助けを借りて、小宇宙レベルでの古い身体の集合体を破壊するようなものだ。そして、海とそれに伴う女性的なものの「終わり」は予めプログラムされていて、ちょうどひとたびタントラの燃焼を終われば、candaliが崩壊してタントラのステージを去るように、終末の日の雌馬が海の全てを焼き尽くしたときにはそれは最後に自滅する。

終末の日の雌馬と黙示録的な炎 Kalagniは、同じ破壊エネルギーを意味し、それは深海でみつかるが、これと対照的に世界の山のメルの根にあたる所では地獄の炎が燃えている。時がくれば、Kalagniは下の層から上昇し、世界、惑星、星々を段階的に焼き尽くす。ヨガ行者が覚醒に至る厳しい試練で浄化しなければならない過去のカルマの重さにうちひしがれるように、Kalachakraの教義によれば、千年紀の多くの負債は星と惑星の重荷になる。したがって、天体もまた火よる完全な浄化を経なければならない。12ヵ月とそれに呼応する十二宮のサインにとってもこれは真実となる。それらは特別なnidama、一種のカルマの汚れで損なわれている:たとえば山羊座と無知、 獅子座と欲望、蠍座と再生などのように(Banerjee、 1959、 166ページ)。

容赦なく、そして残酷なまでに、Kalagniは全宇宙を炎えあがらせる。星に加えて天の住人、ブッダそして神々も焼き出される;地球でも人類と他の全ての生きものが火によって焼き尽くされる。空間、空気、火、水、地球といった元素もみずから溶解する。全ての創造物は、火の海の中に沈む。大宇宙のわずかな「銀河の種」だけが残り、それは新しい世界のための始源物質を形作る(Taye、1995、41ページ)。この黙示録を生き残る唯一の要素はであり、小宇宙の語でいうタントラマスター(ADIBUDDHA)の呼吸にあたる。次の宇宙時代には、それが残された「銀河の種」に影響して、新しい宇宙を創造する。 [4]

The myth of eternal recurrence
永遠の再発の神話

世界の炎の神話はKalachakraタントラを支配しているが、当初それはギリシアや東洋文化の中にあった。 大多数の東洋学者は、それがイランからやって来たと仮定している。そこからインドの文化に侵入し、 とりわけヨガの仏教システムとリンクしてきた。したがってTimeタントラの中にも黙示録的な火の教義の伝統的なモティーフ、すなわち神の悪に対する破壊的な勝利を発見する:頽廃の時代には、悪は権力をつかみとっていた。したがって、腐敗する宇宙を焼きつくす大火は、最終的な浄化の働きをする。多くの宗教で見つかる黙示録的な論理は、新しいものは古いものの徹底的な破壊からのみ生まれると推測しているが、これはKalachakra教えのパラダイムでもあり、あとでチベットの歴史の例を占めすように、 惨憺たる結果をもたらしてきた ? これは、ヨハネの黙示録のもたらしたものと比べておとるものではない。

ラーフは繰り返し太陽と月をのみこみ、そしてまた再度Kalagniは炎の海で宇宙をあふれさせ、再三再四世界は終わりをつげ、そしてそれはまた何度も新たに起き上がる。「永遠の再発」のこのような概念は、繰り返し同じ黙示録的な図式を示している: 最初のパラダイスのありさま、そしてモラルと生命の条件の加速度的な低下、終わりの破壊的な世界的な大災害と、最初のパラダイスを再現する素晴らしき新たな始まり。

グレコローマンの世界のように、インド信仰では世界時間(仏教によって始められた)について、偉大なる4つのサイクルに分類され示されている。これは西洋で金、銀、銅、鉄の時代として知られている。最初のものは、インドのKrtaヨーガに、最後のものはカーリーヨーガにあたる。4つ全ての時代は、 Mahakalpa、すなわち偉大なるサイクルを創りだし、その最後には全宇宙を犠牲とし、そして新しい始まりには救いのものが立ち上がる。(この救世主的な者は世界の破壊と再生の間に現れ、そしてまたShambhala神話の議論ではKalachakraタントラで特筆すべき出現をするが、このものについても詳細に考えてみる事にする。)[5]

永遠の再発において、宇宙は破壊と復活のリズムを通り抜ける。何億もの宇宙にある何億もの人が同じ運命に苦しむ。このような人間の理解を上回る何か、この概念の中で実際に恐ろしいものはタントラマスターであり、その内部の世界と外界の間には超自然的な相関関係があって、この宇宙ドラマを演出していると考えられている。そこでは彼は神秘的な体の中のcandali(火の女性)をわざと自由にしている。彼は、Kalachakraタントラでの二人のものとして現れる。ひとつは偉大な破壊者、Rudra Chakrin、憤った「車輪旋盤工」であり、彼は周期的な時間の輪を動かす。もうひとりは長く待たれた救世主で、カーリーヨーガ(彼が致命的な打撃をあたえる)の凄まじ地獄の中から選ばれた者をKrta ヨーガの日の光に導く者である。彼がADI BUDDHAであり、星の世界と時間に君臨する者である。 [6] 宗教研究で有名な学者Mircea Eliadeは、Mythos der ewigen Wiederkehr[永遠の再発の神話]のテキストで何ページにも渡って、いかに古代の人々がある考え?ある日その惨めな苦悩の時間が過ぎ去って喜びの時に変わるだろう?に慰めを見つけたのかを推測している(Eliade、1953)。我々にとって悪いことかもしれないが、もう一度最初のパラダイスに入る時はやってくる。復活は必然的に大災害に続くものだ。しかし、 ? そしてこれはEliadeが隠していることだが ? このモデルにおいて、必然的に大災害は復活に続いてやってくる。(また彼は、ほとんどの宗教の異端者たちが黙示録的な混乱の中で犠牲にされ、本物の信者だけがキリスト教の「新しいエルサレム」や、または仏教神話の領域「Shambhala」に入ることを許されるという事実を隠している。)


脚注:

[1] これは、タントラテキストでニルヴァーナの無名の「特徴」を捨てなければならないことを意味するものではない。タントラ教はそれ自体を継続とみなし、小乗仏教と大乗仏教仏教の2つの更なる発展として、彼らの教えを集積しようと絶えず骨を折っている。そしてそれらは、ダイヤモンド経路に足を踏み入れられるのに必要なステップであると言われる。Vajrayanaがこれに際して矛盾に巻き込まれることも珍しくない。その1つは、創造神としてのADI BUDDHAの象徴である。

[2] ヨーロッパの錬金術の記号的な世界の「暗闇」 または「黒い太陽」として知られ、 ? Kalachakraタントラのラーフのように ? 男性と女性の原則、太陽と月を破壊して、彼らを中性的な原則と入れ替える役割がある。

[3] 「雌馬」 は危険で、積極的で、病的な女性らしさの象徴であり、インドで非常に尊ばれる「雌牛」 と際立って正反対のものとしてみられている。2つの動物には、売春(雌馬)と結婚(牛)、崩壊と忠誠、淫乱と母性、セックスと愛、破壊と豊かさが対面している。

[5] 通常 yugasのシーケンスは、一連の時間として考えられる。これは一般にKalachakraタントラにとっても真実である。しかしここで、全ての4つの時代が円孤の一部のように、お互い一緒に同時に存在すると言う、非常に独創的なインドの神話の概念が取り込まれている。時間神は救世主としてこの円をあて もなくさまよい、周辺を行ったり来たりする。 彼 が常に歩いている領域は、カーリーヨーガの最後の段階であるのが気づきくが、「救世主」がそれに足を踏み入れるやいなや、金色の時代(Krta Yuga)がこの場所で始まる。 このように時間神は、彼自身を常に大災害とパラダイスの間の境界線で発見する。 彼はこの瞬間瞬間に地獄を天国に変える時計の手で、そして、彼が円上を歩いているので、この状況が絶え間なく繰り替えされる(Petri、1966.、39ページ)。

[6] Four Noble Truthsで、仏教は、苦しむことの起源、苦しみを軽減する方法と時間の超越(nirvana)への入り口を教えている。 苦しむことは絶えず繰り返される宇宙プログラムを意味するという教義を ? 大乗仏教でと後のVajrayanaにもある ? なぜ世界史での周期的ビジョンとして取り上げたかを理解するのは大変むずかしい。

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きょう、

アップ予定のタントラは核心かな。面白い。
すずさん、チャネリング詩の「水」が出てきます。

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サウジアラビアで群発地震


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サウジアラビアで350回以上の群発地震が発生
北西部のal-Ais火山地帯から多くの住民が非難している。


やっぱり乳酸菌だ!
飯山さんのところでも紹介されていた、キムチのことがニュースに。

キムチに感染抑制効果? 鳥インフルで実証と韓国
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051801000869.html

【ソウル18日共同】聯合ニュースによると、韓国政府傘下の韓国食品研究院は18日、同国を代表する食品のキムチに、鳥インフルエンザウイルスへの感染やウイルスの活動を抑制する効果があることが動物実験で実証されたと明らかにした。同ニュースは、新型インフルエンザウイルスへの効果も期待されると伝えた。

聯合ニュースによると、キムチからの抽出物を与えた鶏やネズミと、そうでない鶏やネズミに、鳥インフルエンザウイルスをそれぞれ鼻から注入。キムチ抽出物を摂取したグループは感染率が低く、生存率も高かった。どの成分に効果があるのかは不明という。中国で2003年に新型肺炎(SARS)が大流行した際、キムチは免疫力を高めるとのうわさが広まり、同国で販売量が急増したことがある。

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久しぶりに、ケム考察


夕方、電磁波の強そうな雲が出ていた。

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へいさんところでケムの動画をみた。
ケムには、アルミニウムと二酸化エチレンとバリウムが入っているとあった。
もちろん他のものも入っているだろうけれど、宿題のつもりでこの三つだけで考えてみた。

前に電磁波を通しやすくするために
ケムを撒いているんじゃないかと何度か書きましたよね。

金属に電磁波をあてると金属内の電子が加速しますよね。
アルミニウムを撒くのはよくわかるんだけど
バリウムと二酸化エチレンは何故?

バリウム、これも金属。
燃えると緑色の炎が出るので花火に使われるらしい。
バリウムも種類があるようなので何を撒いてるんだろう?
硫酸バリウムだと胃のレントゲン用のX線造影剤。
他は塗料、プラスチック、蓄電池などに使用されてるそう。
色んな金属の不純物が混じってるらしい。

二酸化エチレンって爆発しなかったっけ?

ざっとだけど
大気を暖めてない?
電気、雷が発生しやすくない?

科学に強い方、教えてください。

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「世界を支配する王 その32」の補足


下の記事に出てくるラーフ。

Wikiによると
ラーフ(Rhu)は、インド神話に登場する、4本の腕と1本の尾をもつアスラの名。
あるいはインドの天文学におけるナヴァ・グラハという9つの惑星(九曜)の1つ羅

とある。

アヌンナキ本では火星がラーム
金星がラハム

私の記憶に違いがなければ
どちらも過去に地球に影響を及ぼしたといわれる惑星
どちらも気になる惑星だけど
名前からいけばラーフは火星かな

ラーフのような
神話に出てくる怪獣はみな空を覆うプラズマ。
世界中の空を覆いつくすオーロラが出たり、
想像を絶する宇宙稲妻が起きたり、
バチバチ火花を散らしたりしたら、
そりゃ、怪獣になるでしょうね。
空には巨大なプラズマ、地上は大異変。

だとしたら、
この禍をもたらした火星は怪獣ラーフになるでしょう。

古代中国では火星を「蛍惑」と呼んだそう。
まどわすという意味だとか。

とここまで書いて
”羅”を検索したら
ラーフは月の昇交点ですって。

大嘘でした。


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交点で日食や月食が起きるようです。
だから、凶兆の星なんだ。

ケトゥ / ケートゥとどうやらセットらしい
こっちは月の降交点。
下の記事にある「Ketu」だね。

神話では、ケトゥはラーフの胴体が星になったものだそうで
鳥に乗る姿や下半身が蛇の形で描かれるそう。

これは間違いなくプラズマだ。


だから下の記事で
”ラーフは太陽と月を飲み込むものとしてここに現れる。”
とあるんだ。

タントラで食を引き起こすの?
それとも、食と同じ状態を作り出すの?
それとも、食の時に魔術をする?

三番目の、食の時に魔術をするかな。
二番かな。


参考までにWikiの”羅”を載せておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9B%9C
『ラーフ(羅)は転じて「障害をなすもの」の意味で、ラーフラ(Rhula)(羅羅、らごら)として釈迦が息子に名にしたといわれる。
羅星は平安時代の神仏習合の際、日食を引き起こしたスサノオと結び付けられ災いを引き起こす天体と考えられた。』

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世界を支配する王 その32


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による8章のつづきです。

8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面

Rahu?the swallower of sun and moon
Rahu―太陽と月を飲み込むもの

ギリシャ神話における太陽(ヘリオス)と月(セレーネ)の結合は神秘的な結婚として祝われ、また反対物の崩壊とされる。こういった報告を Kalachakraの学校でも見つけることもできるが、ここでは HierosGamos(聖なる結婚」の意) は死の融合であり、ラーフというの恐るべき存在によってもたらされる。 我々はこれを更に詳細に調べてみよう。

チベットの天文学と占星術(それは、区別されていない)において、ラーフとKetuの名前の更なる2つの惑星は、7つのさすらう星(太陽、月、水 星、ビーナス、火星、木星、土星)のそばに見つかることになっている。天文学の見解から見れば実際の天体とは関係ないが、昇って沈む月の軌道の交点、つまり月の軌道が黄道(太陽の軌道)と交差する2ポイントと関わっている。これらは「ドラゴンの頭」と「ドラゴンのしっぽ」として、または一緒に「ドラゴンポイント」として西洋でも知られている。月がこのような軌道の静止点(または連接点)を通り抜けるとき、天文学的に食が起きる: 満月の時は月食が、新月の時は日食となる。

この2種類の食は、インドの天文学者の心に、巨大な惑星が関連する天球をのみこんだという確信をあたえた。日食の間、太陽をおおい隠す月の影が常に真っ暗なので、想像上の惑星うちの1つラーフ(太陽を飲み尽くすもの)も黒い。月食の間、地球の影は色のついた境界を持つように見え、月は赤銅になるので、もうひとつの惑星Ketu(月を飲み尽くすもの)はカラフルであると言われている。それにもかかわらず、Kalachakraタントラでは、Ketuは主に背景として扱われ、月食に関連したすべての出来事はラーフに転移される。このように、ラーフは太陽と月を飲み込むものとしてここに現れる。

暗いデーモン(ラーフ)の神話の起源のより詳細な観察をしよう。古いインドの話では、ラーフは考えるのと同じくらい速く走る8匹の黒馬の引く暗い二輪戦車に乗り、天を嵐のように駆け抜ける。彼は太陽と月の軌道を追いかけ、彼の巨大なあごで彼らのかかとに噛みつく。しかし神話のもう一つのバージョンでは、ラーフの頭だけが天空より上に浮いていたが、この暗いデーモンが神の生命の飲物を盗もうとしため、太陽神インドラによって切断されたという。こうして頭を切り落とされたにも関わらず、 彼が天を通って飛び続け、太陽と月をのみこむのを妨げられることはなかった。これらは無傷のまま彼を通過して、すぐ再び現れ、そして、彼の喉の下端から解放される。このプロセスを天文学的に言うと、太陽や月のそれぞれの食の終わりを意味している。

Helmut HoffmannによるとラーフはKalachakraタントラ原理で突出した役割をはたし、ラーフの関連する出来事は自身の「暗闇の神学」をつくりだす。 (Hoffmann、 1964、128ページ)闇のデーモンという形容語句は、 それだけでその心理学について多くを語り、その包括的な神話のプログラムを歴然と示している。とりわけ彼は「月の敵、月の征服者、薄暗いもの、肉を滅ぼすもの、ライオンの息子、怒鳴る人、しかしまた天国のようなパラダイスの光を与えるもの」として知られている(Petri、1966、141ページ)。彼はまた、「ドラゴン」、「ヘビ」、「暗くするもの」、 「暗闇の支配者」と呼ばれている。Hevajraタントラでは、太陽と月を支配するのはヨガ行者の意識だけであると言われている。しかし、Kalachakraタントラでは、ラーフと同盟しているVajraマスターは、2つの天体の上に破壊の一節を発音し、独立した力として輝く2つの天体を破壊するのは「うす暗いもの」 (ラーフ)の仕事となり、つまり、男性と女性のエネルギーを停止させることになる。

性の両極性の破壊は、あらゆるタントラ儀式での力の道に沿った必要なステージとして現れる。SadhangaYogaのテキストが言うように、最終的なゴールには最初に秘技参入者が達し「その人によって、太陽と月の道は完全に破壊される」(Gronbold、1969、74ページ)そして、有名なタントラマスターSarahaは次の事を必要とする:「運動性と志向性の効力がないところでは /そして太陽も月も現れない所では、/そこではあなたはおどけて、心を平穏にリラックスさせる」(Guenther、1976、pp. 69-70)。太陽と月の両方が時間を示すので、彼らの破壊者ラーフは「時間から自由」(Wayman、1973、163ページ)と言われる。

同様に、Kalachakraタントラではヨガ行者の体(avadhuti)の中央のエネルギーチャンネルは、(右側は太陽の、左側は月のエネルギー)それ自体の中を流れ、そしてそれらを独立した力として閉じ込めていて、陽と月をも破壊するラーフとまさに同等である。avadhutiは、「ラーフのチャンネル」という名で呼ばれている(ウェイマン、1973、163ページ)。 「暗闇の支配者」に関して言うと、中央のチャンネルは「暗闇のチャンネルを導くもの」(Naropa、1994、 272ページ)としても知られている。

ヨガ行者の身体の地理学との関係も、惑星デーモンを神秘的な熱と関連づけている。したがって、ラーフ(輝く球を飲み込むもの)はタントラの体の「両性具有の炎」として燃え上がる(Wayman、1983、616ページ)。「したがってまた、人が中央の火として両性具有にたどり着くとき、太陽と月は消えさる」 (Wayman、1983、616ページ)、この火とcandali(純粋に女性的なものであり、中性的なものとして想像されることはない)との象徴性の関係は、未解決のままである。タントラはこの詳細に関してはあまり正確ではない。ラーフ神話では、天球の破壊は暗闇と同様に、火を通して実現されるということが重要なの
である。この組合せは想像上の惑星ラーフに「暗い太陽」の名前ももたらした。 [2]

ラー フの力のシンボルは、あらゆるチベットの卒塔婆を飾っている。タントラ教義において、小さな、ぱっとしない炎が太陽と月より高く上げられ、 そのふたつを支配下に置いてある事をしめしている。「黒い太陽」の中性的な暴力がより鮮やかに、 そして簡潔に示されることはほとんどなかった。

つづく

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やっぱり、電気は愛?


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チャネリング詩二題のコメントにこう書きました。

『なんか、世間の夢を打ち砕く、ふるいちまゆみみたいですが、

世界中の神話と同じく、不動明王とか仁王さんも
私に言わせればプラズマが作り出す形態になっちゃいます。(笑
仁王さんは間違いなくプラズマでしょ。
雷と金剛杖を持ってませんか?二人だしね。
不動明王の背後は炎かな?手に持っている棒はプラズマ。

蛇もプラズマ。蛇を本能的に人間が怖がるのは、
地球に大異変をもたらした古代の空にみえたプラズマの形が蛇、竜で、
それが原型として刻まれ、本能的に怖いんじゃないでしょうか。』って。


さっき
検索でみつけたサイトにあったもの

>主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。(「民数記」第21章6節)

これってやっぱりプラズマとしか思えない。

蛇は聖書に出てくる最初の動物だそうですね、さっき知りました。
ホント、私って何も知らない人間だな、でもだからいいのかも。

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ヘルメースの杖のような二匹の蛇は私にはどうしてもDNAにみえます。
「生命の樹」を杖に置き換えたら、生命の樹に巻きつくDNA(二匹の蛇)
モーゼの杖にも蛇があるそうで、これもさっき検索で知りました。
DNAの鎖は二本、一本、そして三本あるとも言われている。
やっぱり蛇ってDNAじゃないかな。

一匹の蛇が巻きつくアスクレビオスの杖。
三匹の蛇で検索したら夢の蛇というものがあった。
夢の蛇は、〈治療師〉スネークがいつも持つ三匹の蛇の一匹で
ガラガラ蛇の〈砂〉、コブラの〈霧〉、スネーク自身がつくった夢の蛇の〈草〉。

もう一つは
ウロボロスの蛇(Vortex)パズルの攻略法
http://www21.tok2.com/home/kainaga11/vortex/vortex.htm


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シッチン氏のアヌンナキ本にも
アダムとティ・アマト(イヴ?エバ?)を造るときに「生命の樹」の言葉が出てくる。

エンキとニンマーによって最初に作られた人間、
アダムとティ・アマトには自己生殖能力はなかった。
追加したDNA鎖二本によって自己生殖が可能になったそうです。
(アヌンナキのエッセンス)

自己生殖能力を新たに加えられた
アダムとティ・アマトは自分たちが裸でいることに気づき、
女らしさと男らしさを知り、そしてティ・アマトは葉っぱで前掛けを作った。
そのティ・アマトをみたエンリルは激怒して、彼らをエディンから追放した。
(エンリルは創造主の真似をするエンキに最初から反対していたので。)

アダムとティ・アマトをそそのかした蛇は、
あと二本のDNA鎖を追加しようと言った存在。

それはエンキの息子、「ニンギシュジッダ」。
ニンギシュジッダは昼も夜もずっと草陰から
自己生殖能力がないこの二人の行動を観察し、
アヌンナキのエッセンスの残りの二つが足りないこと知って、
エンキとニンマーに報告、二人はショックを受ける。

ある日、ニンギシュジッダは「治療の家」でエンキとニンマーに囁き、
そしてエンキとニンマー、アダムとティ・アマトの4人を眠らせ、
エンキの肋骨から生命エッセンスを取り出しアダムの肋骨に、
ニンマーの肋骨からティ・アマトの肋骨に入れた。
こうやって「生命の樹」に「二本の枝」が付け加えられた。
本では「ニンギシュジッダ」が二匹の蛇を巻きつけて立っている絵があるよ。

その二本で女らしさと男らしさを知ったんだから、
聖書にある「善悪の知識の木」は追加した二本のDNA、
アヌンナキの残りのエッセンスでしょ。
蛇はアヌンナキのニンギシュジッダ。

エンキとニンマーから取った二本のDNAの鎖が
二匹の蛇になったり、
イシスとネフティスになったり、
ニンギシュジッダがヘルメースになったり
世界各地の色んな神話になっていったんだろうね。

これで考えれば
「生命の樹」は「生命の原型」かな。


更にぶっ飛びだけど


蛇と杖の組み合わせで考えれば
DNAも何かに巻きついているんじゃないかな。
”見えない何か”に巻きつき、振動しているんじゃないか。

杖に巻きつく蛇、
これをプラズマが作り出す形として考えれば
「生命の樹」は宇宙に満ち満ちている「力場」かな?


じゃ、やっぱり

ね?


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電気は愛だ。



これが最初に書いた電気は愛?


きょうもぶっ飛びでした。

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「世界を支配する王 その31」の補足


最近このブログに来られた方へ

何故、ライオンを赤字にしたかというと

「世界を支配する王 その1」で  
世界の王に君臨したいと思っている人物は
1998年1月24日(土)朝の夢でみた”人類の先頭を歩く子猫”
猫=獅子=ライオン
これに該当する人物はダライ・ラマだと思うと書いているからです。
こんなこと言ってるの、世界で私一人なんじゃないかな。

メッセージ No,4にも書きましたが
98年当時、オサマ・ビン・ラディン氏かなと思ってました。 
まだほとんどの人が彼の存在を知らない頃だったけれど
新聞で"アラブの獅子"の獅子はオサマを意味すると知ったからです。
その後、911があって彼ではないとわかりました。


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世界を支配する王 その31


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による8章のつづきです。

8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面

The astral-temporal aspects of the ADI BUDDHA ADI BUDDHAの星の現世の面

ADI BUDDHAの小宇宙microcosmic的な体と、大宇宙macrocosmic的全宇宙の間には、超自然的な相関関係がある。 カーラチャクラタントラでは、ADI BUDDHAという言葉は、ヨガ行者またはバジュラマスターのエネルギー体と、すべての世界と星を伴う全ての宇宙を包括している。ヨガ行者、ADI BUDDHA、タントラマスターと宇宙の法則は、このように同義であり、それは神秘的統一を形作る。(我々は、この教義の魔法の相関関係がタントラ論理の理解に絶対必須であり、我々 の西洋/科学的な世界観の影響下では、これを忘れがちである事を繰り返しておく。)

歴史上のブッダがKalachakraタントラを初めてSuchandra王に説明した時に、彼は全ての宇宙が彼の体の中に見つかることをすでに示したという話がある。天の地図は、彼の体に同じように書かれている。太陽、 月、星々が、外部ではなくヨガ行者(ADI BUDDHA)の神秘的な身体の内部で見つかる。これは覚醒したタントラマスターは、彼の内部のエネルギー風を通して惑星を動かすことができるという概念がわきあがってくるということだ。従って、我々が天空に観測する星の自転は風の動きでもある。「星の輪は、 両方の極[極星]で固定され、動く風によって回され、疲れをしらずに回転する」と、Kalachakraタントラの天文学の断片が語っている(Petri、1966、58ページ)。この駆動風は、ADI BUDDHAの「宇宙呼吸」であると考えられる。天体の運動は歴然とした時間をと示すので、タントラマスター(ADI BUDDHA)の小宇宙の「星の体」は1種のタイムマシン(「宇宙時計」)として呼応している。

宇宙的なドラマ(candaliの火のような上昇)がヨガ行者のエネルギー体で続いている間は、この相関関係の教義によれば、マクロコスモスとしての天においても、これに見合う動きがあるにちがいない。 我々は、更に詳細にこの光景を調べてみよう:太陽と月はここで主要な役割を演じ、5つの惑星は端役を担っている。さらに強力な2つの星の主人公 (西洋では知られていない)がステージに登る。それらはラーフとKalagniと呼ばれている。十二宮と恒星は、最初は観衆の中に残っているが、最後にはこのイベントの全般的な嵐に巻き込まれてしまう。

Sun?feminine ? Moon?masculine
太陽―女性的 ? 月―男性的

太陽と月は、Kalachakraタントラではヨガ行者の神秘的な身体の左右のエネルギーチャンネルと一致している。ここでもタントラ占星術の場合のように太陽は女性的であると考えられ、火と月経の血に関連づけられる;これと対照的に月は男性的で、水と精液に一致している。すで我々が一度ならずとも指摘しているように、この相応は文化的歴史に非常に珍しく、伝統的には、月は女性的、太陽は男性的としてみなされている。

インドの文化的範疇で火と水、太陽と月の宇宙や元素の関係を見てみると、このシンボリックな矛盾をより把握できるだろう。ベーダの時代(1500?1000B.C.)には、そのシンボリックなつながりはまだ古典的なものだった:男性=火と太陽;女性の=水と月。 この段階の信仰生活で中心となっている馬の象徴性は、こういった「古典的な」方向を反映していた: 雄馬は太陽と日を、雌馬が月と夜を表していた。 「太陽の雄馬」は男性的な力を、「月の雌馬」は女性の力の蓄積を象徴していた。後者はこのように両性具有的社会での男性の力の損失と同等視され、去勢不安のシンボルと考えられていた。

ウパニシャドでは、(800?600 B.C.E.)火は男性的な元素と考えられていた。男性は、「火のペニス」と「火の精液」を「水の」洞穴である女性の膣に差し込んだ。(O'Flaherty、1982、55ページ)。 ここでも、女性は劣っていて有害であると位置づけられた。「太陽の方法」は再生からの解放に至り、「月の方法」 は望まれない化身へと至った。

1世紀(C.E.)になってさえ、Puranas(古いインドの神話のコレクション)は、火のようなエネルギーに、semen virile(男性の精液)を名前として使った。 しかしこの時点で、男性の種はその淡い色のために月に割り当てられ、一方月経の血が太陽エネルギーを表すべきであるという概念がすでに現れていた。 この考えは、ヒンズーと仏教の両者の形をもって、 タントラ教に編み込まれた。たとえば、「男性の精液は月を表し、女性の排血は太陽を意味し、したがってYogiは最大限の注意を持って太陽と月を彼自身の体に組み入れなければならない」とshivaiteテキストにある(O'Flaherty、1982、255ページ)。

ヒンズー神のシンボリックな道具であるシバも、太陽と月の性が180度転換する例を明らかにしている。 シバは冠として月を頭につけ、偉大な母の動物のシンボル上に取り付けられ(雄牛Nandi)、女神Kaliのように濃紺の肌を持っている。 彼(男性的な神) は、前文化的時代には女性的であると考えられていたエンブレムで装われている。宗教的な歴史において、太陽と月のシンボリックな再解釈は、彼の外観に効果を及ぼしている。しかしなぜ?

たとえヨガ行者がタントラ儀式の後に宇宙的な支配を発揮するにせよ、宇宙に女性的性質が与えられた時から、両性具有的タントラ教は女性支配の宗教的な概念に深く根ざしているに違いない事を、我々は何回にもわたって示してきた。これは、男性の種子が月と象徴的に結ばれている理由でありえた。全てのタントラのイニシエーションのプロセスが動きだす以前には、伝統的な女性に対する支配力への両性具有的な要求が、こういった関係としてすでに表されている。男性の精液はすべての男性的な物質の中で最高のもので、両性を超える全能を示すために女性の外観で現れる。シバは月の女神のすべてのエネルギーを彼自身の中に集積したことを示すために月冠をかぶり、彼は月(そして女性の)の指揮官にな
る。

当然我々は、semen feminile(女性形の精液)と女神の月経血に何が起こるかを、我々自身に尋ねなければならない。左右対称の理由で、これらのシンボルは太陽と火に割り当てられる。しかしこの文化的な異常な広がりを通して、現在の女性は前男性的な太陽の原理の力とパワーを吸収しているのだろうか?そんな事は少しもない? インドの前文化的な時代には「男性的な太陽」と「男性的な火」は肯定的な性格をもって特徴づけていたが、タントラにおいて、 「女性の太陽」と「女性の火」は、そんな特徴は明らかに与えられていない。Kalachakraタントラでは、 そらはもはや、輝き、暖かく、理性的で、創造的なものではなく、対照的に致命的な熱さ、放火癖を持つもの、炎を上げる破壊的な熱狂、すべてのレベル上での不合理などと表現されている。ヨガ行者はこれらの否定的な女性の火のエネルギーに巧みに対処する方法を理解し、彼の粗い体と宇宙を焼き尽くすためにそれらを完全に利用するが、それによってそれらが肯定的なものに変容するわけではない。一方タントラマスターは、炎をあげる破壊の冒険を「純粋な精神」として生き残り、彼の人体は滅びるが、 最終的に彼の「内部の火の女性」(自主的な女性の原理)が、彼女自身を焼き尽くし、タントラの動きから永久に消えさる。我々はcandaliの破滅的な火と、ブッダの力の重要な男性的象徴としての火の区別を示さなければならないように、破壊的な女性太陽と創造的な男性太陽を区別しなければならない。

The ADI BUDDHA (Kalachakra master) as the androgynous arch-sun
中性的な第一の太陽としてのADI BUDDHA(Kalachakraマスター)

ブッダのイメージと太陽と火のメタファーの関連は、月と水のシンボルへの彼の繋がりとは対照的に浸透し、初期仏教でもすでに証言されている。ブッダの父Suddhodanaは、「太陽王朝」の系統を引いて、 「太陽の民族」のメンバーとされていた。彼の太陽からの降臨の印として、彼の息子は足の裏に、1000の放射された車輪または「鉤状の十字」(鉤十字は、古代の太陽シンボル)といった太陽のイメージを持っていた。太陽-車輪は、彼の「スピリチュアルな」王座の背を飾っている。

すべての文化において、ライオンは一段と優れたものとして「太陽の動物」を代表している;これは、 仏教にとっても事実となっている。有名な伝説によると、Shakyamuniゴータマブッダは、彼の母の体から生まれでると、ライオンのようにうなりをあげた。 その時以来、彼は「Shakyaの家のライオン」と呼ばれていた。若かりしゴータマが悟りへの道をたどるために彼の宮殿から逃げたあとも、「ライオンのような声の」うなりをあげた:「生死のより遠い岸を見るまで、私は二度とこの街に決して足を踏み入れない...「(Joseph Campbell、1973、265ページ)。この力強い「ライオンのような声」を聞いたとき、神はさぞ喜んだであろう。Joseph Campbell(神話の研究者)は、 世界史のこの重要な瞬間について以下のようにコメントしている:「人類のより大きな部分となる文明を形づくる冒険が始まった。ライオンのうなり、太陽の精神の音、心の純粋な光の原理、それ自身の力を恐れることなく、これらは星の夜に出現した。そして、太陽が昇るようにその光線が送り出され、夜の恐れと狂気を追い散らす:ライオンがうなり声をあげ、豊かな草原の向こうの動物に警告を発し、それを恐れた驚くほど美しいガゼルを追い散らすように:このようにライオンの怒号は、やって来た人に光のライオンがやって来るという警告を発してい た。」 (ジョーゼフキャンベル、 1962、265)

あとに続いた大乗仏教とタントラ教の後期両方においても、ブッダのこの太陽の神格化は厳しく維持され、また拡大されさえした。太陽の比喩が、 Kalachakraタントラの中心に置かれた。時間神は「太陽のような体」を持つという(Newman,、1987、pp. 225、 326)。特にKalachakraは、「daymaker日をつくりだす太陽」(Newman,、1987、243ページ)としばしば言われている。彼は「360の太陽日」(Newman,、1987、454ページ)の支配者で、「vajraのライオン王座」に座る。 彼の信者は、「Sakyasの見事なライオン」(Newman,、 1987、243ページ)として、彼を崇拝する。時間タントラの解説において「Kalachakraは太陽として全部で3つ世界にあり、それは時間のイメージである」 (Banerjee、1959、133ページ)とある。

ブッダの持つ宇宙の王にふさわしい力が示される必要がある時には、タントラ教において、太陽のシンボルはスポットライトの外に後ずさりする。月のイメージは、ヨガ行者の神秘的な身体においてとても重要であるが、全く同じテキトにおいては脇役をつとめるか、しばしば否定性の象徴とされている。 Kalachakra研究者Gunter Gronboldは、歴史上のブッダの「太陽の」降臨を、月の球面とまさに正反対のものとして置いている:「太陽の王朝は純粋な光の原則を支持している。太陽の光は純粋である。月の光は対照的に暗闇を分け持っている。さらに、太陽の光は永遠であり、一方月はそれ自身の暗闇へ反撃しようと満ち欠けし、死を免れないと同時に不滅である」(Gronbold、1969、38ページ)。このように突然の「太陽崇拝」が、タントラ生理学の論理に十分に一致することはないし、男性的な原理が月によって、 そして女性的な原理は太陽によって表されているという事が、Kalachakraタントラの解説者達によって明らかだ。したがって、男性時間神である太陽の優勢におくために、時間女神(Vishvamata)はおとしめられたことに疑いがなく、タントラの体の理解では、 Vishvamataは以下のような太陽の性質を備えている: 彼女は、「太陽自体でなく、毎日の太陽のサイクル[時間]の影響を表している」(Mullin、1991、273ページ)。彼女はこのように、ADI BUDDHAの「強い男性的な太陽」によっておおわれる「小さな女性の太陽」を象徴している。

基本的に、Kalachakraタントラにおいては、中性的なADIBUDDHAは、彼自身の中で火と水、太陽と月を結びつけると言うことができる ? しかし最終的な例において彼は、男性的な光の優越性を暗闇に示すために、 両性具有的な第一の太陽として称賛させられている。太陽のシンボルは、自然の太陽よりはるかに大きな範囲を占める。それ自体の範囲内に、宇宙のすべての光のメタファーを集積している。HerbertGuentherによる説明では、最も高位のブッダ(ADIBUDDHA)は、「まるで太陽の光が朱の海に落ちるように;まるで宇宙のすべての恒星の光沢が一つの太陽に集まるように;まるで金色の祭壇が空により高く高く上がっているように;...まるで宇宙のすべての恒星が一つの太陽になったように空をその光線で満たして」、(Guenther、1966、101ページ)。読者は、ADIBUDDHA(第一の太陽)は、秘技を受けたヨガ行者の神秘的な身体と同一であるという事実を決して見失ってはならない。

つづく

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伝言36



さざ波の
五月雨の
緑の黒髪
いと白きひと

草笛の
草いきれの
白きたおやかな峰々

いと白き
いとおかしき
いと見目麗しき
そのかぐわしさの中に
我、鎮まりたり

あさしき
眼差し
見目麗しき

そこそこにみゆる
陽炎のごとく
揺れ動けり


2009/05/16 (土) 15:51

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タントラひと休み

8章は気持ち悪くはないけれど、内容がめんどくさくて思考がついていかない。
ダライはこのADI BUDDHAになろうとしているのだと思う。
権力ほしさの欲望以前に、私には狂気としか思えない。

下の記事でパッと目についたのが、「Tenの力」
これって「天の力」というよりも

「点の力」、「転の力」 でしょ。

いつもの直感で。


「Ten」を逆にすると「Net」
丸ごと逆読みすると「力のNet」

「力の網」、「力の網織物」、「力の罠」だ。

こちらはお遊び。

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世界を支配する王 その30


http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/19/62/b0086362_1935018.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による8章のつづきです。

8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面

The “Power of Ten”: The mystic body of the ADI BUDDHA
「10の力」:ADI BUDDHAの神秘的な体

カーラチャクラタントラで記述される神秘的な体を通しての宇宙エネルギーの制御は、中世のヨーロッパでも知られていた伝統である。西洋の哲学の学校で、人間の神秘的な体の解剖と宇宙学を同じ科学と考えていた所もあった。人と宇宙は、統一体をつくりあげた。Homo omnis creatura ? 「人は、全ての創造である」。この見解では、小宇宙の器官と四肢 ? たとえば心臓、臍、腕、頭、目、 ? すべてに大宇宙との相関関係があった。

ADI BUDDHAの力の拡大のためには、小宇宙の条件を認識するためのヨギの中性的な身体、つまり我々が上で解説したmahaムドラー(精神)の内面化が必要となる。絶対的パワーは独りの人間の内にある男性と女性原理の「神秘的な結婚」を通して想起されるという強迫観念的概念があり、これはヨーロッパの錬金術への囚われをも含んでいた。両方の文化(西洋と東洋の)において、タントラ教=錬金術という方程式が中心的な役割を果たしていて、これは真剣に受けとられるべきだという事実にわれわれはいま一度直面している。西洋人による「すばらしい業績」 (opus magnum)の終わりには、個人を超えて全能な存在、別の言葉でいうと「コントロール原理(男性的な)とコントロール原理(女性的な)とを同時になしとげ、そしてしたがって中性的であるもの」と遭遇する(Evola、1989、48ページ)。関連したテキストではHermaphroditusに関して言及し、その男性的な側面は神ヘルメスから、女性的な側面が愛の女神アフロディテから構成されていることを示している。この両性的な神は、全宇宙の創造精神であるADI BUDDHAのようだ。Corpus Hermeticum、後期エジプトの秘技?魔術のテキストのコレクション(200B.C.?200年)には、 ヨーロッパの錬金術が引き合いに出されている。 「知的な存在?男性的な / 女性の神?生命であり光である」。そしてそれが全宇宙をつくりあげた事を読み取れる。(Evola、1989、pp. 78、79)。このような基本的な相関関係は、2つの文化的世界の驚くべき類似がとても大きいということを明らかにしている。Kalachakraタントラとヨーロッパの錬金術は、共通した源泉から生まれたという意見を非常によく耳にする。

我々がすでに詳しく報告したように、西洋/錬金術とタントラ/仏教両者の試みの中にある宇宙的両性具有者の人工的発生は、女性の球面の犠牲とその後の男性的な球面への統合に引き続いて起きる。その上、両方のケースにおいて、熟練者の古く精神的で身体的な「集合体」は破壊される。錬金術師も彼のタントラの同僚として同時に死に、彼がゴールに至るまで、いくつかの微妙な死を「生きながらえる」。彼も、神として生まれるためその人間存在を溶解する。テキストが言及するように、彼自身を「新しいアダム」?全宇宙的超人(または神)?に昇華するために「古きアダム」(彼の人間の存在) をはぎ取る。タントラが彼の現実の個性と自我を死に至らしめ、そして神の船を提供するように。

小宇宙/大宇宙の教義によって、両性具有者は ? Vajrayanaにおいてそうであるように錬金術においても ? 彼のmysto-magicalな体の助けを借りて全宇宙に渡るコントロールを試みる。オークの木がドングリから成長するように、全宇宙的パワーの起源はヨギ内部にあって、それが「小さな」体から成長し、最終的に宇宙の「大きな」体に拡大する。この小宇宙/大宇宙理論において、ヨギの神秘的な身体が中心のモナドであり、他の全てのモナド(そして他の全ての人々も)は単にその反映であると見なしている。 より具体的に言うと ? そして錬金術とタントラはとても具体的である ? 彼のエネルギー体の制御を通して、宇宙雌雄同体(ADI BUDDHAまたは錬金術のHermaphroditusヘルマフロディトス)は、星の軌道、 我々の知る世界政治、そして個人の精神を決定している。

The dasakaro vasi
dasakaro vasi 十の力

ADI BUDDHAの小宇宙体は、?彼はこれにより全宇宙をコントロールするのだが?カーラチャクラタントラでは「Tenの力」(サンスクリット語のdasakaro vasi;チベット語のnamchuwangdan)という名の謎のシンボルによって表されている。ドイツの東洋学者(AlbertGrunwedel)は、それを「強力な10の形」と呼び、最初の西洋チベット研究家Csoma de Korosは、「世界の10の防御」と呼んだ。

我々はラマ教徒の持つものにその特性を多く見つける。それはお守りのための本のカバーとして、また魔除け入れの小さな箱と容器を飾り、卒塔婆の上にもあり、日常生活のお守りと考えられている。パンチェンラマ個人の印は、神話の鳥(garudaガルーダ)によって囲まれヘビを飲み込んでいる。dasakaro vasiは、上記のADI BUDDHA、Maha Siddhaであり、カーラチャクラのスペシャリスト Tilopaと一緒に、Nalandaのインド寺院の大学の門上に初めて示されたと言われている。

そのサインは7つの異なる色の織り込まれた文字を取り入れている。1~5の文字は、以下の順序に5つの要素を表す:空気、火、水、大地、空間。第6の文字は、メル山(仏教宇宙の宇宙軸)を表す;第7はハスを表し、12の大陸が車輪上に仏教世界のメル山を取り囲むように置かれている。そして、その一つは我々の地球であると言われる。この上部に、月(10)と太陽(11)がある。ふたつは暗黒のデーモン・ラーフdemon Rahuによって小さな炎の形で 掲げられている。

この絡みあった性格(dasakaro vasi)は、ADI BUDDHAの小宇宙の体の解剖学的地図である。文字を形作っている個々の線は、彼の内部の静脈か神経システムと言われている。mysto?身体的レベル上では、dasakaro vasiのシンボルは、合計72,000チームチャンネルが分岐する10の主なエネルギーチャンネルとして言及されている。全身の概要の出発点は、 ? 我々が上記を解説したように、 ? 性に割り当てられる3つの中心静脈によって形作られ、それらは左(lalana)男性的であるもの、右(rasana)女性であるもの、中央(avadhuti)中性的なものといったチャンネルに置かれている。

dasakaro vasiを組み立てている文字の各々は、エネルギーの特定の形と一致している。地球、火、水、空間といった要素もまたエネルギーとして数えられる。静脈の中を流れるエネルギー流の各々は、対応する魔法のspell(マントラ)により活性化する。まとめて言えば、様々なマントラは一つの魔法の公式を作りだし、それを正しく発音する人誰に対しても、全ての宇宙の支配力を与えると言われている;その語は、「hamkshahmalavaraya」(Mullin、1991、327ページ)。この世界的なマントラは主要なエネルギーのうちの全ての10をコントロールし、また創造を構成するが、それはタントラマスターが彼の精神と呼吸の力を通してコントロールする。

これもその片割れをヨーロッパ人の錬金術や、それが密接に織り交ぜられているカバラの中に持っている。ユダヤ人のシステムにみられる両性具有のカバラ神は、10の(!)エネルギーセンター、10のsephirotセフィロトとこれらから派生する32のcanales occultae(超自然的なチャンネル)から成る神秘的な体を所有している。最初の3つのsephirotは、性の3つの主なタントラのチャンネル と一致している:chochmaは男性、binaは女性、ketherは両性具有者になる。

ADI BUDDHAがdasakaro vasiの静脈システムと同一であるということは疑いない。しかし、我々はここで、 Kalachakraタントラには、「10の力」(dasakaro vasi)が女性のエネルギーシステムの象徴と考えられる多数のしるしがあるが、それは熟練者がある「方法」 (upaya)を通して補助として与えていることを識別しなければならない。それはすなわち「10のshaktis」 または「10匹の強力な女神」と解釈される。(Bryant、 1992、157ページ)。彼らの各々には、特別な名前がついている。これらのshaktisは、ADI BUDDHAの10の原初の力を意味している。それらはさらに意識の10の「完全な状態」と同等視されている:高潔さ、道徳、忍耐、努力、集中、知恵、方法、精神的な目的設定、 精神的な力、飛びぬけて優れた知恵。

ADI BUDDHA は? あるKalachakraテキストで言うように、 ? 彼自身の中にshaktisを溶かしこむ(ダライ・ラマ14世、1985、406ページ)。この文章からは、この溶解の内的行為以前にも、shaktisは現実に、またかすかなものとして外界に存在していたにちがいないと結論づけることができる。我々の疑念が正しいならば、dasakaro vasiのこれら10のshaktisは、時間タントラの4つの最高イニシエーションにおいて、タントラ達人と共にganachakraを祝った10人のムドラーのことになる。Kalachakraタントラの更なる文章がこれについて言及している:「その時、様々な空のシャクティの体が形として現れる」。「ヨギ(その人は空の体の神という形で現れた)はこれらの女神と性的に結びつき、途方もなく、至高の、変わることのない幸福を与える」(Mullin、1991、235ページ)。ここで、彼の「空の体」が女神の「形作られた体」を吸収し、 そのため、彼女らはエネルギー流として、また神秘的な静脈システムとして彼の内部に存在し続ける。 前のセクションでは、ganachakraの実際の女性(karmamudras)が儀式的犠牲を通していかに精神内部の女性(dakinis)に変換され、ヨガ行者の身体の中でmahaムドラー(「精神」)として存在し続けるかを示してきた。Adelheid Herrmann-Pfandは、「dakinis(または10のshaktis)は神秘的なヨガ生理学の静脈と同一視され、そのためヨガ行者の体は、dakinisの集まったものとなる。この統一のプロセスは、これらの静脈の中で循環するエネルギーの結合として考えられるが、これは大きな流れに統一され、時間を遡り、そして最終的に全身を通して脈うつのである。…すべての dakinisの統合を通して、人はすべてのブッダと同じになる」(Hermann-Pfand、1992、pp. 400、401)。

dasakaro vasiのイメージでは、10のshaktis(10のムドラー)は一緒になって、「世界女性」とでもいうべき一つの強力な女性の存在に流れ込んでいる。 Kalachakraタントラでは、Vishvamata(時間の女神)という名前で知られる。印章(dasakaro vasi)の様々な線は、タントラ儀式の最高点において、ヨガ行者またはADI BUDDHAの空の体に挿入された彼女の神秘的な静脈システムを象徴し、彼自身の部分になって彼のコントロール下に置かれる。男性のタントラマスターは、このように女性のエネルギー体を所有している。

Breathing
呼吸

我 々はこのように、現在何が男性として彼に残っているかを尋ねなければならない。ヨガ行者と彼の男性の体は女性となり「大きな女神」に変わったのだろうか?いいえ!タントラマスターが彼自身を「空」作りあげたように、彼は呼吸することを決して放棄しない。彼の呼吸は、統合された「世界女性」または「10のshaktis」を操縦する絶対の制御器具なのだ。呼吸に熟達したヨガ行者は、エネルギー風に乗ると言われている。彼は「風 または呼吸の体」を所有している。風、空気、呼吸は、タントラ用語とその実習における統一を形作る。この理由のため、 dasakaro vasiは10のshaktisまたは 「世界女性」の10の静脈に相応し、Timeタントラでは10の「主要な風」として語られている:「最初の8つの風は神のカップルKalachakraとVishvamataを取り囲む8人の女神(shakti)と一致し、最後の2つは中心に結ばれ女神Vishvamataとつながっている」(Brauen、1992、55 ページ)。

風をコントロールする最終的なステップは、「大きく息をころす」ことだ。これによりヨガ行者は、彼の想像の中の「世界女性」を空に溶かしこみ、彼女を根絶し、もしくは停止させる。しかし、彼が好きな時に無から彼女を再生させることができるようになると、彼は「彼女の人生と彼女の死を統治するもの」となる。彼女の死をもって世界は終わり、彼女のcreatio ex nihilo をもって新たに起こり、そしてヨガ行者の風エネルギーは「新しい世界を形づくることができる特別な力を授けられる」こうチベットのKalachakra翻訳者Lodro Tayeは語っている(Taye、1995、 177ページ)。

ひとたびヨガ行者が dasakaro vasi、世界女性、または「10匹の強力な女神」を取り入れると、彼はADI BUDDHAとなり、中性の「ダイヤモンド体」(vajrakaya)を所有することになる。タントラ研究者(Alex Wayman)は、 vajrakayaがどのように性の力から出現するかを述べている:「女神が秘技参者として、またはその裏にある女性要素として想像されるという事実は、イニシエーションを、タントラにおける段階を追った進歩であり、固有の体の個体化としてとらえている事を示す...これは前遺伝的な両性具有状態と明瞭な光への体の進歩を意味する」(Wayman、1977、69ページ)。 ヨーロッパの錬金術もvajrakayaを持っていて、熟練者はその作品(偉大な作品)のフィナーレで「輝ける体」受けとる。

まとめてみると:Kalachakraタントラの教えによれば、 ADI BUDDHAの神秘的な体は、10の主なエネルギーチャンネルから成りたっている。これらは、マクロコスモスレベルにおいては、我々の世界のすべての力が引き出される10の主要なエネルギーと一致している。 個々のエネルギーを動かし導くために、ADI BUDDHAは、彼の呼吸をすべて超えたものを利用する。彼のエネルギー体は、dasakaro vasiとして象徴的に描写されている。

この「病因論」のサインは、我々をganachakraまたは時間タントラの最後の4つのイニシエーションに導くことになる。10のエネルギー風(10のshaktis)は、 性的な魔法の儀式に参加する10のカルマムドラーと一致している。dasakaro vasiは更に、Vajrayana仏教における「tantricな女の犠牲」の基本的な重要性を証明している。ヨガ行者がADI BUDDHAの中性的なダイヤモンド体を得ることができるように、ganachakraの10人のタントラ性的パートナーのもつ女性性が盗まれ、それはヨガ行者の神秘的な身体に集積されている。この体は、彼が宇宙のプロセスを制御する間ずっと強力な器具となるのだ。

つづく

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世界を支配する王 その29


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による8章です。

8. ADI BUDDHA:彼の神秘的な体と彼の星の面

カーラチャクラのイニシエーションの中で最高ゴールが、ADI BUDDHAと呼ばれる精神的状態の達成である。1833年には、チベット学創設の研究家(ハンガリーのCsoma de Koros)は、Maha Siddha TilopaがNalandaの仏教大学の入門として定めたと言われている有名なKalachakraを、ヨーロッパの言語で始めて引用した。それらの中でも、ADI BUDDHAは最も高いものとして紹介され、他の全てはそこから現れる: 「彼が最高位の最初のブッダ(Adi-Buddha)知らないのであれば、時間の環(Kalachakra)を知ることはない。彼が時間の環を知らないのであれば、神の特質の正確な列挙を知ることはない。彼が神の特質の正確な列挙を知らないのであれば、最高の知恵も知らない。彼が最高の知恵を知らないのであれば、タントラの原則を知らない。彼がタントラの原則を知らないのであれば、そのような人々は生まれ変わりの世界の中で、そして最高の偉業への道から外れた放浪者である。したがって、Adi-Buddhaはすべての本物のラマ僧により教えられなければならない。そして解放を切望するすべての本物の弟子は彼らの話を聞かなければならない」(Koros、1984、pp. 21、22)。他のいかなるタントラも、KalachakraタントラほどADI BUDDHAについての考えを、教えの主要なものとしなかった。

ADI BUDDHAのことを、歴史上のブッダがニルヴァーナと称す最も高い精神世界の存在だと推量するのは誤りである。 我々がこの覚醒(ニルヴァーナ)の最終的な領域につながる3つの意識の出入口を調べると、これは明らかになってくる:(1)空虚(shunyata);(2)signless無相?(animitta);wish-less無欲(3)(apranihata)。

ニルヴァーナ raison d’etre of Buddhismは、これらの3つの出入口のために、言葉では定義する事が出来ないほど大きなものだ。我々はそれについて話すことができるだけであって、ことばで決して捕えることはできないし、概念的に把握するだけである。EdwardConze(仏教の著名な歴史家)は、 仏教著者がこれまでにこの宗教の最も高い精神的レベルを「描こう」 とした、たくさんの絵」を集めた。そのいくつかをここで引合いに出そうと思う:ニルヴァーナは、不変で、終りがなく、持ちこたえ、不死のものである。そしてそれは平和、休息、沈黙、解放、放棄、見えないもの、隠れ家、至福の善だ。

ニルヴァーナの非人間的な「特徴」は、このリストからすでに明らかになる。ニルヴァーナはこのように、ある状況下の人間のことではなく、むしろ意識の状態のことである。この理由のために、初期の仏教図像の中では覚醒したブッダの身体の描写が禁じられていた。ブッダがニルヴァーナへ入った後に、 彼は象徴的に描かれたのであり、決して物理的なものではない ? 例えば火の車輪や、また火の柱として、アーティストが彼の不在を「空の」王座として描くように。すでに空虚の中にある「崇高なOne」 は、視覚的に描写されることはできなかった。

したがって、ニルヴァーナは創造ではなく、創造の根本原因さえでなく、むしろ停止なのだ。それは活動ではなく、むしろ不活動である;目標へ向かう思考ではなく、むしろ無思考だ。それは意図がなく、 動機づけを知らない。それは命令することはなく、 むしろ静かなままである。それは公平で、関わりが欠如している。そしてそれは時間の外側にあり、性を持たない。仏教(神秘的な「明るい光」と同一の)の最初の歴史の段階では、それは均一ではないが、しかし ? 創造的な力、最も高く明るい光、行動、思案、動機づけ、命令 ? こういった事がADIBUDDHAにあてはまる。

ニルヴァーナとは異なり、ADI BUDDHAは性的に中立でなく、むしろ彼は心の中で性の両極性を集積したGreat Cosmic Androgyne?偉大なる宇宙の両性具有者?である。彼は彼自身から現れて、彼自身を通して存在しているので、彼には父も母もいない。彼は生まれもせず死にもせず、始まる事も終わる事もない。彼は最も高い幸至福であり、すべての苦しみから自由である。彼は色褪せることなく、完璧で、相対するものの崩壊であり、全体である。彼は、知恵と方法、形と無形、同情と空虚であり、彼は静けさと運動であり、彼は静止していてもダイナミックである。彼には、無数の名前があり、彼は全宇宙的な神、最高位の支配者である。彼に捧げられる古いイ ンドの賛美歌の歌詞にはこうある、

He is the ONE and proclaims the teaching of unity;
彼はONEであり、統一の教えを宣言します;
He stands at the summit of being.
彼は存在の極限のところに立っています。
He permeates everything; he is the infallible way.
彼はすべてに浸透しています;彼は絶対確実な道です。
He is the victor, one whose enemy is defeated,
彼は勝者であり、敵は破られ、
a conqueror, a world ruler who possesses the great powers.
征服者であり、列強を占有する世界統治者です。
He is the leader of the flock, the teacher of the flock,
彼は、群衆のリーダーで、群衆の教師です
the lord of the flock, the master of the flock, the wielder of power.
群衆の支配者であり、群衆のマスターであり、権力を振るう者です。
He has great power, withstands all burdens.
彼には大きな権力があり、すべての重荷に耐えます。
He does not need to be led by others; he is the great leader.
彼は他の者に導かれる必要はありません;彼は偉大なリーダーです。
He is the lord of speech, the master of speech,
彼は言葉の支配者で、言葉の達人です。
the eloquent one, the master of the voice, the eternal word.
雄弁なものであり、声の達人であり、永遠の言葉なのです。
(quoted by Gronbold, 1995, p. 53)
(Gr nbold、1995、53ページ)

我々は、仏教教育の歴史における興味深い分岐点に立っている。ニルヴァーナが名付けることのできない非人間的な、性のない空虚の代わりに、我々は突如、両性具有で万能の統治者に直面している。ニルヴァーナに住む仏像は全ての時間の外側にあり、対照的にADI BUDDHAは、Maha Siddha Tilopaのよると、時間神Kalachakraと同一である。「彼は時間の輪であり、同等のものもなく、不滅だ。」(Carelli、1941、21ページ)。「Primordial Buddha[ADI BUDDHA]は、時間の輪に、 創造と破壊のサイクルや、我々の存在を定める絶え間ない変化を生じさせる」とバーンバウムは語っている(Bernbaum、1980、127ページ)。彼はこそが「Kalachakraタントラの帝王」なのだ。

彼はタントラの秘密の全教義を知り、体と言葉と知識をコントロールし、あらゆる魔法の力を持っている。Kalachakraタントラは、幻想の支配者として彼を誉め称え、多くの幻影的な形を発している。このような力を発することで、彼は木を根こそぎにし、山頂をを揺るがすのだ」(Newman、1987、296ページ)。 彼はdharmaraja(法律の帝王)であり、教主としてすべての存在に命令する。彼は全宇宙の最高位にある裁判官として、神と人間を統轄する。救済を運ぶ者として、仏教の敵を打ち破り、その支持者を黄金時代に導く。ADI BUDDHAは仏教宇宙の中央にあって活動し、同時に彼自身から発散されている。それでも、 彼はヨギとして擬人化した人間の形として現れることもできるのだ。

哲学の理想主義の言葉でADI BUDDHAを説明するならば、「絶対の精神」、「絶対の個人性」、「絶対の自我」のようなフレーズを持ち出さなければならないだろう。彼はヨギの自我のipsissimus(秘密の首領)で、ヨギは性的な魔法の実行を通してそこに到達しようとする。イニシエーションの最後に、彼は誇りをもって一つのタントラテキストを叫ぶ:「私は、意識の空の中にある、自分自身の内に宇宙を現出させる。わたしは宇宙であり、そして創造者である。[…]宇宙は私の範囲内に溶解する。私は意識の偉大なる永遠の火の、その炎なのだ。」 (Dyczkowski、1987、189ページ)。

もちろんこれらの文は、個々の「自我」ではなく、 むしろ神聖な宇宙的存在の「超自我」を示している。

ADI BUDDHAの絶対の主観化と同様に、彼の意志は法であり、その力は限りなく、この至高の存在を偉大な宇宙の機械と見る変わった見解もある。万能のブッダはあらゆる歯車が他の歯車と結ばれ、すべてがかみ合っている時計仕掛けであると想像されたりもした。仏教宇宙発生論とそのコントローラのメカニズムは、この連鎖の変化させられる事象を何も必要とすることなく、果てしなく繰り返し続けるのだ。すべては、その位置、その命令、その繰り返しを持っていて、我々が示すように、それ自身の破壊さえもがそこに本来備わっている出来事であった。そしてそ引き続いて起きる、神の装置の避けられない復活も同様である。決して終わらないプロセスを決して止めることはできず、決して引き返すこともなく、 また決して多様でもないた。Friedrich Nietzscheが「永遠の繰り返し」のビジョンを経験したとき、この宇宙時計を一目見たにちがいない。ADI BUDDHAがこの世界時計であり、神の機械または神聖なる機械であり、絶対の意志と絶対のメカニズム、絶対の主観性と絶対の性質客観性、絶対のエゴと他者は、ADIBUDDHAの絶対の原型の中に統一を見つけると思われる。このパラドックスは、大きな神秘的な秘密としてタントラ教師によって広められている。

Kalachakraタントラの万能のブッダ(ADI BUDDHA)は、疑う余地なく、一般的な神、世界統治者(pantocrat)、 救世主(savior)と創造者のすべての特徴を示している;彼は、疑う余地なく一神教の特徴を有している。 [1]

全能の神的存在のアイディア、そしてその多くの特徴は近東の創造神の概念に合致し、それは大乗仏教仏教にすでに受け入れられるとともに、初期のタントラ(4世紀C.E)にも取り入れられた。最初にその成熟と最終的な公式をカーラチャクラの教え(10世紀)に見つける。ADI BUDDHAの一神教信者の特徴から、多くの西洋の研究者が、元来の近東への非仏教的なものの影響を疑っている。イランの源流への納得のいく言及もなされている。イメージの継続的な発達とその輪郭は、イスラム教に対する反動からさらなる恩恵を受けている。インドと近東では、個人的に置かれたアラーの顕現は、博識な仏教僧のエリート主義的で「抽象的な」ニルヴァーナ教義に対する、魅力的で感情的な反モデルとして普通の民衆に紹介された。このように適当なカリスマ的イメージを、元々持つ信仰の崇拝に加えるのは自然なことだったように思われる。ADI BUDDHAはまた、第一の神としてヒンズー多神教に代わるものを表すようになり、それは仏教が後にコーランの教えに脅かされたのと同じほど、ヒンズー教にとって強い脅威だった。

このような神の主観化イメージは、偉大な学者Nagarjuna(2~3世紀)が現れるまで、初期の仏教学校における正当な哲学的意見ではなかった。彼らは「ブッダ」を創造主Mundiとしてではなく、意識レベル・認識フィールド・覚醒段階・空虚・簡潔な精神状態として描写するのにたいへん骨を折った。しかしながら、たとえばADI BUDDHAのシステムでは、創造的な側面は神の激怒の現れ、または神的破壊という黙示録的審判の偉大なる役割を演じる。しかし、高度の精神的な自己を超えたブッダ意識は創造と破壊、生死を越えたレベルに存在している。

ADI BUDDHAは教義によると、全タントラ儀式システムに広がる「神学上の」原理である。完成した形態としては、Kalachakraタントラの個々の開始レベルを通って活動しているヨガ行者として、そしていまだ発展中の彼の不完全な形態としては、「雌雄同体cosmocrat」の完全体にとして現れる。不完全体においての彼は修行中のヨギであり、カーラチャクラタントラの個々崇拝レベルでの発展途上にある。原則として、タントラマスターの神秘的な身体はADI BUDDHAのそれと同じものだが、ヨギが彼の人体のすべての要素を「絶滅して」、それを神の体に変えた時初めて、その完全な同一化が起こる。

それではここで、Kalachakraタントラに記されたADIBUDDHAの力の拡大を見てみよう。基本的に、それは5つの面を示している:

1.内面
これはヨギ(またはADI BUDDHAそれぞれの)の中性的なエネルギー体にある、小宇宙を通しての手順として記述することができる。この「生理的地図」は、 複雑なシンボリックな性格、いわゆるdasakaro vasi(10のエネルギー風)として表される。より詳しくこのサインを調べてみよう。

1. 現世の/星の面
これは星まで伸びている。彼の小宇宙的な局面で、 ADI BUDDHAは全宇宙を包含している。太陽、月、星といった天体に言及される際、Kalachakraタントラは、 これをすべての古代文化の中のものとして、そして時間の指標として扱っている。これらをコントロールする者はみな誰もが時間の達人である。この章では、我々は時間のいろいろなタントラモデルを分析する。

1.空間的な/宇宙的な面
これは同様に全空間に拡大する。ADI BUDDHAは人でもあるが、同様に仏教宇宙の構造と同一であり、あるいは ? もう一つの見方では ? 全宇宙の小宇宙的モデルは、ADI BUDDHAの小宇宙体に相応している。両方ともマンダラ(宇宙図)の形をとっている。ここでは、ADI BUDDHAが力を振るう全宇宙の構造を解説する。

1.世界的な/政治的な面
これは仏教世界統治者(Chakravartin)についての考えに焦点を当てている。我々が示すように、ADI BUDDHAは全世界に対する現実の政治権力を率直に求めている。

1.神話的政治プログラム
Kalachakra タントラは世界統治者を一般的な話題として扱うことはないが、特定のユートピア、イデオロギーや国家の形に発展しシャンバラ神話に要約されている。ADI BUDDHAの世界政治プログラムはカーラチャクラタントラと後のチベットの歴史解析の理解のために大変重要である。別々のセクションをそれぞれに割くことにする。

第2部の我々の政治的部分の研究(「儀式としての政治」)では、ダライラマ14世と関連したこれらの5つの面全てについて調べてみる。 彼は、現在最も高いKalachakraマスターであり、その人、行動、思考がADI BUDDHAの概念に最も近い。

つづく

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深さ10キロ以内の発振

また飛騨で発振
13日と全く同じ「北緯36.0度 経度 東経137.3度」

18日 8時42分ごろ 岐阜県飛騨 深さ 10km M3.2 (震度3)
17日 17時17分ごろ 宮城県北部 深さ 10km M2.7
    8時36分ごろ 安芸灘 深さ 10km M2.7
    7時13分ごろ 福井県嶺北 深さ 10km M3.0 (震度3)
15日 23時51分ごろ 鹿児島県薩摩 深さ ごく浅い M2.3
    3時38分ごろ 新島・神津島近海 深さ 10km M3.7 (震度3)

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10日遅れの入梅


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今日、沖縄、奄美が梅雨入りしたようです。
内地は北海道の一部を除いて全部晴れマークだ。

だけど曇っているだけで雨はまだ降ってはいない。
沖縄の入梅は平年より10日遅れとのこと。
やっぱりそうだったんだ、
梅雨がないよねって昨日も出先で話していたところ。

ということで一旦祝詞やめますが、
ぐずぐずだけであまり降らないようだったらまたやります。
こんなこと書いていたらポツリポツリ降ってきた。
ダムがある北部にたくさん降ってくれるといいけれど。
たくさん降ってね。

あっ、もう止んだ。(笑

夕方、スコールのような久しぶりの雨。



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連絡

yasuさんのメールチェックしたら8章と10章の翻訳がみつかった。
下に7章を二つアップしています。

8章と10章は気持ち悪くないです。
8.章はADI BUDDHA、10章はシャンバラです。
最初、シャン薔薇って変換されました。

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世界を支配する王 その28


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『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による7章の続きです。

7.カーラチャクラ:内部のプロセス

Excursus: The mystic female body
付記:神秘的な女性の体

しかし、仏教タントラでいう神秘的な生理学を女性に適用することは可能なのだろうか?または、女性のエネルギー本体は、他の法則に従っているのだろうか?クンダリニーも、女性の会陰に眠っているのだろうか?女性は、赤い滴をその額に運ぶのだろうか?白いbodhicittaはどこにあってどのような動きをするのだろう?彼女の中にある両脇の2つのチャンネルは、男性のように配置されているのか、あるいは逆になっているのか? なぜ彼女は体のなかでは火として働き、水としてではないのだろうか?

女性の神秘的な体については本のわずかなレポートがある。我々が参照した実習に関する本は、中国の文化的な面から書かれている。フランス人女性(カトリーヌデスプ)は、歴史の肖像(Immortelles de la Chine Ancienne)の中に、これらのいくつかを集めている。MantakとManeewanによる実際的なハンドブックがあって、それには “The Secret Way to Female Love Energy”という副題がついている。

これらのテキストは、神秘的な体の中で女性によって経験される精神的なエネルギーは、男性のものとは異なるコースをたどると言う。女性の「タントラ」シナリオにある2つの極は男性の場合のような性器と脳ではなく、心臓と子宮になる。ヨガ行者の至福の喜びがペニスの先端に最初に集中する時、それは頭頂に引き上げられるが、女性はその喜びを子宮に感じ、心臓の「神秘的なオルガスム」や、心臓から現れるエネルギーは子宮に沈み込み、それからもう一度心臓に上がっていく。「心臓、チャクラ、を突然に開くことは、忘我の啓蒙の経験を引き起こし、女性の心臓は宇宙の中心になる」(トンプソン、1981、19ページ)。

たとえば、中国のテキストによれば、女性の赤い種は、彼女の胸の間で起こり、そこから膣へ流れ、Vajrayanaの男性の種とは異なり、頭頂下には見つからない。ここから生じるエネルギー体の操作の技術は、道教では男性と女性では完全に異なっている。

女性の体のさらなる内部のプロセスに関して、女性のエネルギー体へのVajrayana技術の移行は、重大な結果をともなうに違いないという文章もある。それは、男性的な体格による女性の身体パターンの一種の強姦に相当する。そしてそれは、以下の引用にあるように、ダライラマ14世が女性内部のプロセスを男性のプロセスと同等視していることからも明らかだ。「一部の人々は白い要素が女性にも存在することを確認したが、赤い要素がより強い。したがって、前に述べたタントラ瞑想の実習は、女性のための同じことだ。白い要素が全く同じ方法をもって沈み込み、そこから戻し引き上げられる」(バレーラ1997、154ページ)。

女性名人が両性具有的なヨガ技術を持つ時、彼女の性的な特徴は消え、エネルギー的に男性に変わる。このように彼女は大乗仏教仏教の性的変化の要求を満たし、女性はこの現世において、 少なくとも彼らの神秘的な体に関しては男性として生まれ変わる可能性がある 。

彼らが精神的なフェミニストたちは、タントラ教の男性のヨガ技術を真似することで女性の無力を圧倒することができると思っているが、これは父権性が仕掛けた隠された冷笑的な罠に引っかかることになる。彼ら自身の中のcandaliを解放することで、両性具有的なくびきを追い払うことができるという妄想において、彼女たちは無意識に彼女たち自身を消滅させる性的な魔法の操作を使うことになる。彼女たちは知らないうちに「タントラの女性の犠牲」を実行し、自分たち自身がcandaliまたは魔女 (dakini)として焼かれるための火をつける。

The method or the manipulation of the divine
神学者の方法または操作

しかし、もう一度男性のタントラ技術に戻ろう。名人が彼の両性具有的な体を創るために使う「方法」は、「6つのリム(手足)のヨガ」(Sadangaヨガ)と呼ばれる。この教えのシステムは、カーラチャクラタントラとGuhyasamajaタントラに置いて有効だ。それは、Vajrayana仏教の中にあって最高の技術とされる。基本的に、このヨガを実行する際には、女性との性交と精液の保持が必要となる。パートナーがいないならば、マスターベーションが使われる。 [4]

Sadangaヨガの6つのステージは、(1) 個人の退却(pratyahara);(2)熟考(dhyana);(3)呼吸のコントロール(pranayama);(4)固定または保持(dharana);(5) 記憶すること(anusmrti);(6) 開くこと、または啓蒙(samadhi)となる。

1.Pratyahara (個人の退却): ヨガ行者は、彼自身へとすべての感覚の能力と感覚物から退く; 彼は、こうして外界から完全に孤立する。彼は感覚のドアをロックして、滴に集中するために外側の風を引き入れるとも言われる。瞑想は夜に始まって、完全な暗闇で実行されなければならない。アメリカのタントラ翻訳者(Daniel Cozort)は、「耐光性キャビン」を作ることを推薦している。ヨガ行者は彼の目を巻き戻して、中央のエネルギーチャンネルで最も高い点に集中し、小さい青い滴を心に描く。この運動の間、10のフォティズム(光と火サイン)が、最も高い啓蒙(無限の明るい光)の予兆として、以下の順序で彼内部の目の前に起こる。(1)煙;(2)光の光線;(3)光る虫;(4)ランプの光 ? これらが最初の4つの現象は、4つの要素であり、Sadangaヨガがいう「窓のない家のように、いわばいまだ暗闇に生きているという、夜のサイン」にあたる。残りの6つの現象は、「昼のサイン」と呼ばれ、「いわば雲のない空」のようだ。これは(5)においてはっきりした光に始まり、(6)空虚の輝きという火が続き、(7)月の光と日の光、(8)黒い宝石に例えられる惑星ラーフの輝き輝きが続く。それから(9)では原子は明るい稲妻のように放射し、最後の(10)で、すばらしい滴が「輝く月の黒い天体」として現れる。輝く現象はいまやヨガ行者にももはや理解できないので、Gronboldは「暗い光」は、終わりにおける眩惑と解釈している(Gronbold、Asiatische Studien、35ページ)。 [5]

2. Dhyana(熟考):Sadangaヨガの第2のレベルでは、熟考をとおして名人は頭頂下に固定された熟考は、彼の考えと10昼夜サインを頭頂の下に固定する。この熟考は、認識の5つの状態によって特徴づけられている:(1)知恵;(2)論理;(3)反射;(4)喜び;(5)冷静沈着な幸せ。この5つ全ては、存在の空虚に対する洞察を与える。彼がこのサインを定着させるとき、ヨガ行者は次のレベルにのぼるのに必要な純度を達成し、「神の目」を持つことになる(Naropa、1994、219ページ)。

3.Pranayama (風または呼吸のコントロール):呼吸、空気と風は、ヨガのあらゆる形で同義である。体の中を流れる微細なエネルギーは風と呼ばれる。訓練された名人には彼の呼吸でそれをコントロールすることができ、息を吸い込み、吐き出すことによって、彼の体の全72,000のチャンネルに達し、影響を与える能力がある。エネルギーの風は、一般的にprana、純粋な生命力の名を持つ。Kalachakraの学校では、pranaが9つの主な風が引き出す、根本の風であるという。時間も呼吸の行き来と考えられる。したがって、彼の呼吸をコントロールするものは、時間に対しても支配権を持つ。彼は「3つの時間を知る[利用できる]」超人的な存在になる:吸い込むことにより将来についてを、息を吐き出すことによる過去についてを、そして息を殺すことにより永遠の現在についてを知る。風は、ヨガ行者の最高の支配の道具として全てのシナリオを支配し、チャンネルを通して神秘的な破壊できない滴を推し進める。そして、時々エネルギーが自由に流れることができるようにチャクラの結び目を押し分け、また時々呼吸のエクササイズを通してヨガ行者の悪いカルマを焼き尽くす。いろいろなタイプの風のカタログがある。粗くて微妙で、二義的な主要な、上昇して降下する、全ての風は体を通して漂っている。Kalachakraタントラでは、合計10の呼吸の風のタイプに識別されている。 pranayamaヨガの最高点は、左右の横のチャンネルで見つかる風を中央のチャンネル(avadhuti)にをもたらすことにある。普通の人では、pranaは外側両方のチャンネルで脈打っているが、ひとつは男性的で、もうひとつは女性であるす。したがって、タントラの見解からは、彼はまだ正反対の世界に住んでいることになる。彼の中央の両性具有的なチャンネルの活性化を通して、ヨガ行者はバイセクシャルな統一を再創造することができる。

4.4回目の修練は、dharana(固定)と呼ばれる。最初は中央のチャンネル内で、そして個々のチャクラにおいて、呼吸の風は固定、保持される。特定の神の感情、考え、展望は、これを通して固定される。この間を通してヨガ行者のペニスは勃起したままでなければならない。彼は今「風の支配者」であり、エネルギーを特定の場所に固定させるため、意のままに彼の体の中を動かすことができる。どこでこれらが見つかろうと、呼吸の滴への参加にもあてはまる。 名人は10の主要な風をコントロールする現段階では、その体はまだ浄化されていない。したがって、彼は臍チャクラでエネルギーに集中し、それを「性的なエクスタシーの滴」と結合する。candaliの点火の最初の結果はこのようになる。

5.「火の女性」(candali)への入口は、5番目のヨガのシナリオを支配し、anusmritiとして知られているが、奇妙なことにこれは『記憶』の意味を持っている。「体の中に、そして空の中に」candaliを見つけることが、なぜ神秘的な回想と関連するのだろう? ヨガ行者は何を覚えているのだろう? それはおそらく「原初の結合」、神と女神の結合だろう。

6.Sadangaヨガの最後の段階で、名人はsamadhi(啓蒙または展開すること)、「破壊できない幸福」にたどりつく。この状態は「空のビジョン」とも同等視されている。すべての風と存在のすべての徴候は停止し ? 平和はピークの間で支配する。一晩と一日の間、ヨガ行者は21,600の呼吸を停止するが、すなわちもはや彼は呼吸する必要がなくなる。彼の物質的な身体の集合は分解され、完全な静止が起こり、すべての性的な情熱も消えて、「静止した喜び」と取り替えられる。

時間の流れは体におけるエネルギー風の流れ以外の何ものでもなく、名人はこれらを静めることによって、時間のサイクルを越えて彼自身を上げ、絶対的な支配者になる。第3のレベルのpranayamaの間に、彼は時間の流れに対する支配力をすでに得たが、彼がsamadhiの状態に達すると、彼はそれをただ停止させるだけだ。

Sandanga ヨガの全6つのステージがカルマムドラー(本当の女性)との性的な合併の間に、実行されなければならないのは驚くべきものだ。しかしそれがここに来 るまでには、多くの準備の時間が必要であり、また記述されている内部のフォティズムもまた、性的な行為の間に起こる。

たとえば、pranayamaで男性と女性のエネルギー流を中央のチャンネルに押しやるために、名人は思い切ったHathaヨガのプラクティスを使用する。それは「太陽と月の呼吸に加わること」として知られている。その翻訳ではhaは『太陽』をthaは『月』を意味している。Hatha,、Haとthaの組合せは、『暴力』、『激しい努力』を意味し、それによって性的な魔法の行為における暴力の要素を表す。これは性交の間の手やかかとでの会陰への圧力という、突然の跳躍になるが、そのような「方法」(upaya)が魅惑的であり、「知恵配偶者」(prajna)にとってエロティックだというのには疑いがある。感覚の欠乏、寒さ、狡猾さ、これらのヨガ技術の後ろにある深い女性嫌悪は、すぐにカルマムドラーの目を捉えるにちがいない。それでも神のようなラーマの腕の中で、彼女はその懐疑的な印象をまじめに受けとり、明瞭に表現することをあえてしない。

Sadangaヨガはより最も高いイニシエーションに用いられるKalachakraタントラの「方法」(方便)を記している。我々は、感情をともなわない「合理的な」純粋に技術的なエネルギーの操作について扱っているが、そのエネルギーは愛、エロチシズム、性的関心のようにたいへん感情的で興奮的で本能的だ。「知恵」(prajna)と「方法」の古典的なタントラの両極性において、このヨガ技術によってカバーされているのは後者にあたる。ヨガ行者は、知恵、知識または感情など、他の何ものも気にする必要はない。それらはすでに「prajna」、適切なSandangaヨガの修練によって女性からうばい取ることができる女性の万能薬に見られる。さてこの計算と洗練された性的な魔法の結果は何なのだろうか?

以下脚注略

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