2009年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年06月

| PAGE-SELECT |




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

深さ10キロ以内の発振

また飛騨で発振
13日と全く同じ「北緯36.0度 経度 東経137.3度」

18日 8時42分ごろ 岐阜県飛騨 深さ 10km M3.2 (震度3)
17日 17時17分ごろ 宮城県北部 深さ 10km M2.7
    8時36分ごろ 安芸灘 深さ 10km M2.7
    7時13分ごろ 福井県嶺北 深さ 10km M3.0 (震度3)
15日 23時51分ごろ 鹿児島県薩摩 深さ ごく浅い M2.3
    3時38分ごろ 新島・神津島近海 深さ 10km M3.7 (震度3)

| 未分類 | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

10日遅れの入梅


http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/18/62/b0086362_12141346.jpg',320,246,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>

今日、沖縄、奄美が梅雨入りしたようです。
内地は北海道の一部を除いて全部晴れマークだ。

だけど曇っているだけで雨はまだ降ってはいない。
沖縄の入梅は平年より10日遅れとのこと。
やっぱりそうだったんだ、
梅雨がないよねって昨日も出先で話していたところ。

ということで一旦祝詞やめますが、
ぐずぐずだけであまり降らないようだったらまたやります。
こんなこと書いていたらポツリポツリ降ってきた。
ダムがある北部にたくさん降ってくれるといいけれど。
たくさん降ってね。

あっ、もう止んだ。(笑

夕方、スコールのような久しぶりの雨。



| 未分類 | 12:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

連絡

yasuさんのメールチェックしたら8章と10章の翻訳がみつかった。
下に7章を二つアップしています。

8章と10章は気持ち悪くないです。
8.章はADI BUDDHA、10章はシャンバラです。
最初、シャン薔薇って変換されました。

| 未分類 | 11:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

世界を支配する王 その28


http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/18/62/b0086362_11203414.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による7章の続きです。

7.カーラチャクラ:内部のプロセス

Excursus: The mystic female body
付記:神秘的な女性の体

しかし、仏教タントラでいう神秘的な生理学を女性に適用することは可能なのだろうか?または、女性のエネルギー本体は、他の法則に従っているのだろうか?クンダリニーも、女性の会陰に眠っているのだろうか?女性は、赤い滴をその額に運ぶのだろうか?白いbodhicittaはどこにあってどのような動きをするのだろう?彼女の中にある両脇の2つのチャンネルは、男性のように配置されているのか、あるいは逆になっているのか? なぜ彼女は体のなかでは火として働き、水としてではないのだろうか?

女性の神秘的な体については本のわずかなレポートがある。我々が参照した実習に関する本は、中国の文化的な面から書かれている。フランス人女性(カトリーヌデスプ)は、歴史の肖像(Immortelles de la Chine Ancienne)の中に、これらのいくつかを集めている。MantakとManeewanによる実際的なハンドブックがあって、それには “The Secret Way to Female Love Energy”という副題がついている。

これらのテキストは、神秘的な体の中で女性によって経験される精神的なエネルギーは、男性のものとは異なるコースをたどると言う。女性の「タントラ」シナリオにある2つの極は男性の場合のような性器と脳ではなく、心臓と子宮になる。ヨガ行者の至福の喜びがペニスの先端に最初に集中する時、それは頭頂に引き上げられるが、女性はその喜びを子宮に感じ、心臓の「神秘的なオルガスム」や、心臓から現れるエネルギーは子宮に沈み込み、それからもう一度心臓に上がっていく。「心臓、チャクラ、を突然に開くことは、忘我の啓蒙の経験を引き起こし、女性の心臓は宇宙の中心になる」(トンプソン、1981、19ページ)。

たとえば、中国のテキストによれば、女性の赤い種は、彼女の胸の間で起こり、そこから膣へ流れ、Vajrayanaの男性の種とは異なり、頭頂下には見つからない。ここから生じるエネルギー体の操作の技術は、道教では男性と女性では完全に異なっている。

女性の体のさらなる内部のプロセスに関して、女性のエネルギー体へのVajrayana技術の移行は、重大な結果をともなうに違いないという文章もある。それは、男性的な体格による女性の身体パターンの一種の強姦に相当する。そしてそれは、以下の引用にあるように、ダライラマ14世が女性内部のプロセスを男性のプロセスと同等視していることからも明らかだ。「一部の人々は白い要素が女性にも存在することを確認したが、赤い要素がより強い。したがって、前に述べたタントラ瞑想の実習は、女性のための同じことだ。白い要素が全く同じ方法をもって沈み込み、そこから戻し引き上げられる」(バレーラ1997、154ページ)。

女性名人が両性具有的なヨガ技術を持つ時、彼女の性的な特徴は消え、エネルギー的に男性に変わる。このように彼女は大乗仏教仏教の性的変化の要求を満たし、女性はこの現世において、 少なくとも彼らの神秘的な体に関しては男性として生まれ変わる可能性がある 。

彼らが精神的なフェミニストたちは、タントラ教の男性のヨガ技術を真似することで女性の無力を圧倒することができると思っているが、これは父権性が仕掛けた隠された冷笑的な罠に引っかかることになる。彼ら自身の中のcandaliを解放することで、両性具有的なくびきを追い払うことができるという妄想において、彼女たちは無意識に彼女たち自身を消滅させる性的な魔法の操作を使うことになる。彼女たちは知らないうちに「タントラの女性の犠牲」を実行し、自分たち自身がcandaliまたは魔女 (dakini)として焼かれるための火をつける。

The method or the manipulation of the divine
神学者の方法または操作

しかし、もう一度男性のタントラ技術に戻ろう。名人が彼の両性具有的な体を創るために使う「方法」は、「6つのリム(手足)のヨガ」(Sadangaヨガ)と呼ばれる。この教えのシステムは、カーラチャクラタントラとGuhyasamajaタントラに置いて有効だ。それは、Vajrayana仏教の中にあって最高の技術とされる。基本的に、このヨガを実行する際には、女性との性交と精液の保持が必要となる。パートナーがいないならば、マスターベーションが使われる。 [4]

Sadangaヨガの6つのステージは、(1) 個人の退却(pratyahara);(2)熟考(dhyana);(3)呼吸のコントロール(pranayama);(4)固定または保持(dharana);(5) 記憶すること(anusmrti);(6) 開くこと、または啓蒙(samadhi)となる。

1.Pratyahara (個人の退却): ヨガ行者は、彼自身へとすべての感覚の能力と感覚物から退く; 彼は、こうして外界から完全に孤立する。彼は感覚のドアをロックして、滴に集中するために外側の風を引き入れるとも言われる。瞑想は夜に始まって、完全な暗闇で実行されなければならない。アメリカのタントラ翻訳者(Daniel Cozort)は、「耐光性キャビン」を作ることを推薦している。ヨガ行者は彼の目を巻き戻して、中央のエネルギーチャンネルで最も高い点に集中し、小さい青い滴を心に描く。この運動の間、10のフォティズム(光と火サイン)が、最も高い啓蒙(無限の明るい光)の予兆として、以下の順序で彼内部の目の前に起こる。(1)煙;(2)光の光線;(3)光る虫;(4)ランプの光 ? これらが最初の4つの現象は、4つの要素であり、Sadangaヨガがいう「窓のない家のように、いわばいまだ暗闇に生きているという、夜のサイン」にあたる。残りの6つの現象は、「昼のサイン」と呼ばれ、「いわば雲のない空」のようだ。これは(5)においてはっきりした光に始まり、(6)空虚の輝きという火が続き、(7)月の光と日の光、(8)黒い宝石に例えられる惑星ラーフの輝き輝きが続く。それから(9)では原子は明るい稲妻のように放射し、最後の(10)で、すばらしい滴が「輝く月の黒い天体」として現れる。輝く現象はいまやヨガ行者にももはや理解できないので、Gronboldは「暗い光」は、終わりにおける眩惑と解釈している(Gronbold、Asiatische Studien、35ページ)。 [5]

2. Dhyana(熟考):Sadangaヨガの第2のレベルでは、熟考をとおして名人は頭頂下に固定された熟考は、彼の考えと10昼夜サインを頭頂の下に固定する。この熟考は、認識の5つの状態によって特徴づけられている:(1)知恵;(2)論理;(3)反射;(4)喜び;(5)冷静沈着な幸せ。この5つ全ては、存在の空虚に対する洞察を与える。彼がこのサインを定着させるとき、ヨガ行者は次のレベルにのぼるのに必要な純度を達成し、「神の目」を持つことになる(Naropa、1994、219ページ)。

3.Pranayama (風または呼吸のコントロール):呼吸、空気と風は、ヨガのあらゆる形で同義である。体の中を流れる微細なエネルギーは風と呼ばれる。訓練された名人には彼の呼吸でそれをコントロールすることができ、息を吸い込み、吐き出すことによって、彼の体の全72,000のチャンネルに達し、影響を与える能力がある。エネルギーの風は、一般的にprana、純粋な生命力の名を持つ。Kalachakraの学校では、pranaが9つの主な風が引き出す、根本の風であるという。時間も呼吸の行き来と考えられる。したがって、彼の呼吸をコントロールするものは、時間に対しても支配権を持つ。彼は「3つの時間を知る[利用できる]」超人的な存在になる:吸い込むことにより将来についてを、息を吐き出すことによる過去についてを、そして息を殺すことにより永遠の現在についてを知る。風は、ヨガ行者の最高の支配の道具として全てのシナリオを支配し、チャンネルを通して神秘的な破壊できない滴を推し進める。そして、時々エネルギーが自由に流れることができるようにチャクラの結び目を押し分け、また時々呼吸のエクササイズを通してヨガ行者の悪いカルマを焼き尽くす。いろいろなタイプの風のカタログがある。粗くて微妙で、二義的な主要な、上昇して降下する、全ての風は体を通して漂っている。Kalachakraタントラでは、合計10の呼吸の風のタイプに識別されている。 pranayamaヨガの最高点は、左右の横のチャンネルで見つかる風を中央のチャンネル(avadhuti)にをもたらすことにある。普通の人では、pranaは外側両方のチャンネルで脈打っているが、ひとつは男性的で、もうひとつは女性であるす。したがって、タントラの見解からは、彼はまだ正反対の世界に住んでいることになる。彼の中央の両性具有的なチャンネルの活性化を通して、ヨガ行者はバイセクシャルな統一を再創造することができる。

4.4回目の修練は、dharana(固定)と呼ばれる。最初は中央のチャンネル内で、そして個々のチャクラにおいて、呼吸の風は固定、保持される。特定の神の感情、考え、展望は、これを通して固定される。この間を通してヨガ行者のペニスは勃起したままでなければならない。彼は今「風の支配者」であり、エネルギーを特定の場所に固定させるため、意のままに彼の体の中を動かすことができる。どこでこれらが見つかろうと、呼吸の滴への参加にもあてはまる。 名人は10の主要な風をコントロールする現段階では、その体はまだ浄化されていない。したがって、彼は臍チャクラでエネルギーに集中し、それを「性的なエクスタシーの滴」と結合する。candaliの点火の最初の結果はこのようになる。

5.「火の女性」(candali)への入口は、5番目のヨガのシナリオを支配し、anusmritiとして知られているが、奇妙なことにこれは『記憶』の意味を持っている。「体の中に、そして空の中に」candaliを見つけることが、なぜ神秘的な回想と関連するのだろう? ヨガ行者は何を覚えているのだろう? それはおそらく「原初の結合」、神と女神の結合だろう。

6.Sadangaヨガの最後の段階で、名人はsamadhi(啓蒙または展開すること)、「破壊できない幸福」にたどりつく。この状態は「空のビジョン」とも同等視されている。すべての風と存在のすべての徴候は停止し ? 平和はピークの間で支配する。一晩と一日の間、ヨガ行者は21,600の呼吸を停止するが、すなわちもはや彼は呼吸する必要がなくなる。彼の物質的な身体の集合は分解され、完全な静止が起こり、すべての性的な情熱も消えて、「静止した喜び」と取り替えられる。

時間の流れは体におけるエネルギー風の流れ以外の何ものでもなく、名人はこれらを静めることによって、時間のサイクルを越えて彼自身を上げ、絶対的な支配者になる。第3のレベルのpranayamaの間に、彼は時間の流れに対する支配力をすでに得たが、彼がsamadhiの状態に達すると、彼はそれをただ停止させるだけだ。

Sandanga ヨガの全6つのステージがカルマムドラー(本当の女性)との性的な合併の間に、実行されなければならないのは驚くべきものだ。しかしそれがここに来 るまでには、多くの準備の時間が必要であり、また記述されている内部のフォティズムもまた、性的な行為の間に起こる。

たとえば、pranayamaで男性と女性のエネルギー流を中央のチャンネルに押しやるために、名人は思い切ったHathaヨガのプラクティスを使用する。それは「太陽と月の呼吸に加わること」として知られている。その翻訳ではhaは『太陽』をthaは『月』を意味している。Hatha,、Haとthaの組合せは、『暴力』、『激しい努力』を意味し、それによって性的な魔法の行為における暴力の要素を表す。これは性交の間の手やかかとでの会陰への圧力という、突然の跳躍になるが、そのような「方法」(upaya)が魅惑的であり、「知恵配偶者」(prajna)にとってエロティックだというのには疑いがある。感覚の欠乏、寒さ、狡猾さ、これらのヨガ技術の後ろにある深い女性嫌悪は、すぐにカルマムドラーの目を捉えるにちがいない。それでも神のようなラーマの腕の中で、彼女はその懐疑的な印象をまじめに受けとり、明瞭に表現することをあえてしない。

Sadangaヨガはより最も高いイニシエーションに用いられるKalachakraタントラの「方法」(方便)を記している。我々は、感情をともなわない「合理的な」純粋に技術的なエネルギーの操作について扱っているが、そのエネルギーは愛、エロチシズム、性的関心のようにたいへん感情的で興奮的で本能的だ。「知恵」(prajna)と「方法」の古典的なタントラの両極性において、このヨガ技術によってカバーされているのは後者にあたる。ヨガ行者は、知恵、知識または感情など、他の何ものも気にする必要はない。それらはすでに「prajna」、適切なSandangaヨガの修練によって女性からうばい取ることができる女性の万能薬に見られる。さてこの計算と洗練された性的な魔法の結果は何なのだろうか?

以下脚注略

| 未分類 | 10:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

世界を支配する王 その27


http://pds.exblog.jp/pds/1/200905/18/62/b0086362_11152422.jpg',400,300,'1');" OnMouseOver="this.style.cursor='hand'"/>


『ダライ・ラマの闇』
http://www.iivs.de/~iivs01311/SDLE/Contents.htm

yasuさん翻訳による7章の続きです。

7.カーラチャクラ:内部のプロセス

The “drop theory” as an expression of androgyny
両性具有の表現としての「滴の理論」

さまざまなタントラ(特にKalachakraタントラ)に記述されているような、破壊の後に続くヨガ行者の神秘的な身体内部の創造を調べてみよう。我々は「火の女性」(candali)がヨガ行者内部の頭頂に達し、そこでbodhicitta(精液)を溶かすことをみた。bodhicittaは水と月のシンボルに結びつけられている。candaliの上昇が「太陽の道(方法)」という名をともなう一方、その降下は「月の道(方法)」として知られている。bodhicittaはbinduとも呼ばれ、『点』『無』『ゼロ』『drop?滴』を意味する。教義によると、純粋な意識のすべての力がこの「滴」に集められ凝縮されて、その中に「小宇宙の原子力エネルギー」が集中される(Gr nbold、Asiatische Studien、33ページ)。

チャンネルとチャクラがcandaliの火によって浄化されたあと、bodhicittaはavadhuti(中央のチャンネル)を制限されることなく下り流れると同時に、「火の女性」の点けた火を消す。彼女は太陽、「精液のしずく」の役割となり、男性的な月、月の力は今や太陽の力を破壊する。しかしいつもの仏教タントラのシンボリックな反応の逆転により、「滴」の降下が、女神に対する神の勝利であるという事象の核心は何ら変わることはない。

精液はいろいろなハスのセンターで短い休止をとりながら少しずつ真ん中のチャンネルを流れ落ち、幸福の感覚をもってペニスの先端で停止する。これが引き起こす頂天の感覚は、「4つの喜び」として分類化された。 [2]

この降下する喜びは徐々に増加し、言いようのない喜びとともに終わりに達する:「通常の何百万も何百万もの[精液の]放出」 (Naropa、1994、74ページ)。Kalachakraタントラでは、精液の停留に起因する激しい喜びの感情の固定化は、「こぼれない喜び」または「最高の不動」と呼ばれる(Naropa、1994、304ページ、351)。

この「固定された幸せ」は、ヨガ行者が儀式の始めに行うパートナーとの「荒れ狂う」「野生の」セックスへの対極にある。「固定された」ものは「荒れ狂う」ものをコントロールするというのが、タントラ教義の要素である。ブッダやBodhisattvaは男性と女性エネルギーの和合(性的な融合)を、どんなに荒々しく活気があってもそれを傍観者として冷静にやり過ごした。タントラ図像の性的に興奮するカップルのイラストでは、必ずそれを傍観する第3の人物が蓮華座にあって、全的静けさの中でバランスをとっている。これは、通常エロチックな場面より上にある小さなブッダのことだ。彼は目立たないにもかかわらず、性的な魔法でコントロールしている?冷たくて、無関心で、穏やかで、打算的で、不思議な微笑みをうかべるのぞき屋だ。

激しい感情を起こさせるエクスタシーが名人の神秘的な身体で準備される必要があり、彼がその男性的な力を浪費しないと恐るべき地獄の罰が彼を待っている。「喜びの損失より大きな罪は存在しない」とKalachakraの解説にはある(Naropa、1994、73ページ、135)。Pundarikaも、時間タントラの解説で詳細にこの事を扱っている:「罪は、喜びの破壊に起因している...それから暗闇がやってきて、自身のバジュラ[陰茎]がうなだれ、精神的な混乱や、食べ物、飲酒などのささいなものに対する独占的な関心が続く」(Naropa、1994、73ページ)。つまりヨガ行者が性的な行為でオルガスムと射精を経験すると、その精神的な力を失う。

精液のしずくは「月の液体」を象徴しているので、ヨガ行者の数々のエネルギーセンターを通るその降下は月齢にも関連づけられる。頭頂の下でそれは新月として始まり、その最も明るい輝きに達するまで、段階ごとに落下し、ペニスで16の段階にわたって成長する。ヨガ行者はその想像力で輝く「満月」をそこに固定させる。

第2の対比される連鎖において、理論的には「満月の上昇」が行われる。名人にはもはや月が欠けていくことはない。彼がその種をもらさなかったため、月の豊かな輝きはそのまま完全に残っている。「もらさない喜び」は「満月」としてペニスで始まり、その完全な輝きをもはや失うことはないので、中央のチャンネルを通って登る月の滴は、降下よりずっと強い喜びにつながる。

その上昇の間、それは新たな「最高の幸福」を呼び出すために、すべてのチャクラで立ち止まる。ハスのセンターに残るこの歓喜の段階を通して、ヨガ行者は新しい神の体を作り、それを彼は「創造の体」と称する。「満月の滴」が 額にあるハスに達するときに、これは最初に成し遂げられる。

4つの喜びのセンターをあてもなくさまよううち、「滴」は時折「ダイヤモンド」の歌で応じるさまざまな女神に遭遇する。彼女らは若く、優しく、非常に美しく、親しみやすく、その身を捧げる用意をしている。candaliのたぎるような荒々しさと赤い怒りはいうまでもない!」美女は呼びかける、「あなたが私の生きる事を望むなら、ダイヤモンドの体、多くの存在を楽しませる回転する車輪、ブッダの利益と最高の啓蒙を明かす者、情熱をもって私を愛してください」。そのようなエロチックな誘惑は、女神のうちのひとりとの想像上の結合につながることもある。

いくつかのKalachakra解説は、名人の神秘的な身体の内の白い月の滴の上下のモデルを、男性のbodhicittaの勝利だけに限定している。最初の落ちていく段階において、それは火のようなcandaliを破壊し、彼女を空虚に導き、いわゆるbindu(滴)が『何もない事』を意味するので、消滅する力を制御をする。第二段階でその滴は、宇宙の建築用ブロックを形成し、後にヨガ行者の新しい身体がこれによって作られる。この見地からみれば、男性の精液と女性の精液の混合ではなく、男性の種だけの話になる。Naropaのカーラチャクラの解説では、創造を生み出すものは男性的な月であり、消滅をもたらすのは女性の太陽であるとはっきりと書かれている。 これを読んだ人は、candaliを消した後にはヨガ行者の身体の中に女性の要素が存在していないし、血というよりpermが彼の静脈に流れているという印象を持つに違いない。しかし、他のモデルもまた同様に存在する。

たとえばDaniel Cozortは、彼の現代タントラの研究における2つの基本的な滴について話している。一つは白く、男性的で、月のようであり、水のようで、頭頂の下に位置している; もう一方は赤く、女性的で、太陽のようで、火のようであり、性器のあたりにある(Cozort、1986、77ページ)。白い滴が額から、のど、心臓と臍を通ってペニスの先端へと流れるとき、「上からの4つの喜び」が呼び起こされる。「下からの4つの喜び」はこの逆になる。そのとき、赤い滴は脊柱の根元からハスセンターを通って上方へ流れる。合計21,600の男性の滴と、同じ数の女性の滴がヨギの体の中にはある。滴は喜びだけでなく空虚も生じるので、名人は21,600の幸福の瞬間を経験し、21,600の「彼の身体的な構成要素」を溶かすことになる。

2つの「滴の列」が名人のエネルギー体でつくられる時、このプロセスは最初に完成され、ひとつは上昇を始め、もうひとつは下がり始め、両方が段階を追って確立される。滴のこの移動が終わると、あらゆる啓蒙の印と特徴をもつ広大な空の体、宇宙の元素に対応する体が作られる。「それは触れる事はできず、非物質的で、地上の原子構造を何ら持たないので、それは澄んで輝いている」と初代ダライラマは書いている。

更なるバージョン(それはまた、時間タントラにあてはまる)が、我々のエネルギー体のいろいろな場所で見つかるゴマ程の大きさの「4」つの滴を紹介している。 [3] 複雑な練習を通して、ヨガ行者はこれら4つの原理的な滴を止め、神秘的な体の特定の場所に固定させる。

エネルギー体の解剖は、Lharampa Ngawang Dhargyeyによるカーラチャクラの解説においてはさらに複雑で、上の4つの滴に加え、ヨガ行者の心臓のもう一つの「破壊できない滴」を紹介している。この両性具有的なbinduは、上半分の「母の赤い種」と、下半分の「父の白い種」から成る。それはゴマの種のサイズで、「非常に繊細なエネルギー」の混合からなる。他のハスセンターも、このような「中性的」な滴を持っているが、それは様々な割合の混合で成り立っている。たとえば臍では、binduは白より赤い種を多く含み、額ではこの逆になる。瞑想エクササイズのうちの1つは、すべての滴を「破壊できない心臓の滴」に分解することにある。

幸運にも、我々の分析にとってタントラ生理学のさまざまな理論を持ち出す事は、さして重要ではない。それにもかかわらず、テキストの用語上の混乱のため、多数の解決できない矛盾が残されていて、一般には2つの基本的なモデルと関わっている。

最初に神のエネルギー体は、白く男性的なbodhicittaの助けを借りて創りだされ、candaliの形としての女性のエネルギーは、古い人体の破壊のみを補助する 。

第2のモデルにおいて、ヨガ行者は赤と白の両方、つまり女性的で男性的なbodhicitta要素から両性具有の体を創りだす。男性的で女性的な滴が、イニシエーションの前に名人のエネルギーシステムにすでにあるという仮定も存在する。ここでは、彼は最初からバイセクシャルの存在と考えられている。そうするとなぜ彼はタントラ儀式の中で、外部の女性や想像の女性を必要とするのだろう?女性の存在がなくても、彼自身の体にすでに存在する両性具有者(そして対応する滴)を起動させることが可能なのではないだろうか?しかしこれはおそらくできない。Sekkodeshaはその文章で、男性の精液で満たされたチャンネルを持つ男性(khagamukha)と、女性の精液で満たされたチャンネルを持つ女性(sankhini)があるといい、ヨガ行者は最初に赤いbodhicittaまたは赤い滴をカルマムドラー(本当の女性)から抜き取るので、彼の両性具有はこの練習の結果であって、自然の出発点からおこった事ではないという。

この見解はカーラチャクラタントラの別の一節にも支えられていが、それによると、sankhiniはヨガ行者の神秘的な身体の中央のチャンネルとされる。通常、月経の血はsankhiniの中を流れ、それは女性の下の右側チャンネルに見つかる。対照的に、性的な魔法のイニシエーション前のヨガ行者の身体においては「月経のチャンネル」が全く存在していない。このテキストがタントラマスターのavadhuti(中央のチャンネル)をsankhiniとして言及するときは、ムドラーの結合で赤い種を「吸収した」ことを意味するだけである。

このように、性的な魔法の儀式の前の名人の体には、赤いbodhicittaが完全に存在していないし、もしあるとしてもほんの少量だけと仮定するべきだ。そして彼は、女性から赤い万能薬を盗むことを強制される。

チベットのラマ教徒がその理論と実行の圧倒的優勢を確信しているにも関わらず、原則的にヒンズーと仏教技術の基本的な違いはない。両方のシステムは、ヨガ行者による女性エネルギーの吸収とミクロコスモス的/男性的/両性具有的/神的な体の生成に関している。詳細においては様々な違いがあるが、個々の仏教タントラをお互いと比較するときこれも真実なのだ。唯一の相反する教えは、包括的な「シャクティズム」で、「それは女神をすべての神より上に持ち上げる」(フォングラーゼナップ、1936、 125ページ)。

つづく

| 未分類 | 10:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |