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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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首里城の赤。


首里城正殿560px-Naha_Okinawa_Japan_Shuri-Castle-01

「首里城の壁も瓦も赤色じゃない」と、
知ったかぶりの嘘つきが横行しています。
首里城の壁も瓦も赤です。
(屋根に関しては変遷があります)

おさらいも兼ねて。

赤瓦は、省エネのひとつだった。

赤瓦になったのは火事で首里城が焼けた後の
1715年に再建した首里城から。

なぜ灰色から赤瓦に変わったかと言うと、
当時の琉球で起こった人口増加問題にあったようです。

灰色の瓦だと高温で焼かないといけないけれど、
赤瓦だと低い温度で焼ける。
薪の消費を少なくできる。

赤瓦を作った後、琉球王国では
山原に植林して各村の山を管理し守ろうとした。

首里城の赤瓦
http://oki-park.jp/shurijo/about/3798/3828

「・・・400年前の琉球の人口は約10万人。それから100年後、人口は20万人近くになったようです。今も昔も、生活に欠かせない火は、薪を燃料にしていたので、人が増えると薪が無くなります。灰色の瓦だと高い温度で焼かないといけませんが、赤瓦だと低い温度でも焼けるので、薪を使う量を節約できるのです。首里城の瓦を赤くして資材を節約した後、琉球王国では、山原(やんばる)に植林して、各村の山を管理し、守ろうとしました。当時の琉球の人々は、すでに自然の大切さに気付いていたのです。その証拠の一つが、首里城の赤瓦とも言えるのではないでしょうか。瓦屋根は士族の家の他、陶器を焼く窯(かま)元、酒屋等の火を使う職業の家屋などに制限されていました。赤瓦は、省エネ対策のひとつだったと考えられます。当時の琉球の人々は、すでに自然の大切さに気付いていたのです。その証拠の一つが、首里城の赤瓦とも言えるのではないでしょうか。・・・」

首里城の材木。

ゆる琉球史マンガbot@単行本発売中 @mangaryukyu

1709年に焼失した首里城正殿の復元に際し、国内の材木が不足していたため、およそ2万本が薩摩から提供されている。1992年の復元でも県内で調達できず、台湾からヒノキが、徳之島からオキナワウラジロガシ、イヌマキを九州から入手。王国時代から木材調達には苦労していたようだ。


首里城の壁。

ゆる琉球史マンガbot@単行本発売中 @mangaryukyu

なお今回焼失した首里城正殿の壁面は、朱色の下地は黒漆。何重にも塗り重ねてあの姿になっている。

https://twitter.com/kina_peechin/status/1189870772329730048

首里城正殿の彩色については言うまでもないが、ちゃんと考証して赤になってる。戦前の大修理で正殿壁面に弁柄が残ってたとの証言、また前もツイートしたけど、史料から正殿顔料に久米島や名護の赤土を使ってたことからも明らか。戦前の映像で黒っぽく見えるからとか、それは証拠にならない。

訂正。1811年→1846年

15世紀首里城正殿の壁について。「其の閣は皆、丹雘(朱色の顔料)を着け、覆うに板を以てし、鷲頭(大棟)毎に鑞(錫)で之を沃す(覆う)」(『朝鮮王朝実録』)とあり、板葺き屋根におそらく棟は瓦(金属製塗料と誤認した可能性)、壁は朱色だったことがわかる。

いちおう僕は首里城研究の専門家じゃない。入門書や論文読めば誰でもわかる、誰も入手できる情報を伝えてるだけ。ところがなぜかTwitterでは戦前の「着色」写真ごときを根拠にしたとんでもない首里城の話が流布している。それがTwitterだと言われれば身も蓋もないが、暗澹たる気持ちになる…


首里城の屋根。

ゆる琉球史マンガbot@単行本発売中 @mangaryukyu

首里城の屋根については当然ながら変遷がある。
①大和系灰色瓦:14世紀頃
②板ぶき:15世紀~1660年
③明朝系灰色瓦:1671年~1709年
④赤瓦:1715年~1945年

1992年の首里城は④を復元したもので、それに対して時代を混ぜて灰色瓦に復元しろ!なんてナンセンス。


首里城の漆。

滝沢志郎@小説家 @Tacky_Shiro

10年前だけど首里城内で漆の塗り直しの展示をしていたときの写真である。下地に黒漆を何重にも塗り重ねているのがよくわかる。#撮影可エリアだったはず https://twitter.com/mangaryukyu/status/1191154722490601472

aaEIgOq3XU4AI-8Ao.jpg
aaEIgOq3XU0AAiGwK.jpg

これも10年前。日光と風雨にさらされやすそうなところはやはり劣化が激しいのか、白く剥げている。下の方の黒ずんでいるところは、汚れに見えるけど今思えば下地の黒漆が残っていたのではないかと。

aaEIgVdqQU4AY3-tL.jpg

これも朱色が比較的鮮やかな箇所と黒ずんでいる箇所があるけど、黒ずんでいるのは下地の黒が透けているのではないかと。#奉神門

aaEIgSsGQUcAAefEs.jpg





| 沖縄 | 13:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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首里城火災支援のクラウドファンディング3億円超え


寄附金額 302,043,375円
支援人数 22,162人

ふるさと納税(クラウドファンディング)
沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクト
https://www.furusato-tax.jp/gcf/717

ついったー情報局‏ @FKINR36doGmR2KB

【首里城再建のための寄付方法】

①首里城公園基金へ寄付
②那覇市 支援金活動事務局へ寄付
③那覇市内の募金箱へ寄付
④ふるさと納税で寄付(返礼品なし)  
次点 琉球WAONで寄付

現在那覇市及び首里城を管理する財団が公表している支援方法はこの4つ+αです。

https://refinelifekaz.com/archives/6961





| 沖縄 | 12:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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首里城「計算されたゆがみ」


災い転じて福となればいいですね。

「前回の復元が国中心だったのに対し、今は県民の熱が高まる。安里さんは「最大の変化。再建は急がなくていい。左右も上下もなく、多くの県民が参加できるようにしてほしい」と望む。」

首里城「計算されたゆがみ」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/493286

首里城の御庭(うなー)は真四角ではない。創建当初は真四角だったが、17~18世紀ごろにずれた。県立博物館・美術館の前館長、安里進さん(72)は「計算されたゆがみ」と表現する

「直線は緊張を生む。あえて逃げ道をつくり、緊張を避ける琉球独自の美意識が育った」。城壁も緩やかな弧を描く。角が鋭い本土の城壁とは対照的だ

安里さんは龍潭のほとりで生まれ育った。復帰直前、首里城の復元が持ち上がったころは琉球大生で、現場の発掘調査に抗議したことがある。城は搾取の象徴に映った。国事業で完成した時も、派手な朱色を奇異に感じた

その後、歴史研究者として25年間復元に関わり、自宅から毎日見るうちに気づいた。琉球の美を美と感じられなかったのは、象徴的な「形」がなかったから。首里城だけでなく感性や文化も戦争に奪われていた

今また、失って初めて存在の大きさを知った、と話す人が多い。27年間立ち続けた正殿はその姿で県民の心を支え、県民が思いを投影してアイデンティティーの象徴になった。こう書くと故人の評伝のようだが、それがふさわしいように感じる

前回の復元が国中心だったのに対し、今は県民の熱が高まる。安里さんは「最大の変化。再建は急がなくていい。左右も上下もなく、多くの県民が参加できるようにしてほしい」と望む。(阿部岳)






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