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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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記憶の犠牲者





認知症のレポートやドラマをみたこともあって
記憶について考えることが多くなった。

ドラマをみて感じたのは
社会を生きるとは、
人生は記憶を生きることなんだなと思った。

記憶がどんどん消えていったら、どうなるんだろう。
日常のなにげないことが認識できなくなったら、どうなるんだろう。
自分の存在自体さえもわからなくなったら、どうなるんだろう。

記憶を失うことが怖いのか、
記憶を失ったことを認識する自分が怖いのか。

むかし、夢で気が狂う体験をしたことを思い出した。
気が狂ったことしかわからなくて、
あまりの怖さに泣くことしかできなくて、夢から出た。

::::::::::::

瞑想中のこころのざわつき(内的会話)は
私たちは記憶の犠牲者であることを思い出させてくれる。

私たちをコントロールしている
内的会話のスクリーンの背後には静寂がある。

瞑想中の静寂は記憶を失うことではない。

人生は記憶を生きることだけど
記憶に振り回されてはいけない。

::::::::::::

記憶を生きることは過去を生きることでもある。
生きるとは過去に向かうことになる。

記憶を生きることは自分でつくり出した世界を生きることだから
量子力学的だし、またしてもホログラム的。


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| 日記 | 11:50 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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| | 2016/07/01 13:55 | |

>記憶を失ったことを認識する自分が怖いのか

わたしもある事故で、記憶障害の症状が出た。

この時は、自分の脳に異常があるなんて分からなかった。大分症状が改善してきて初めて、脳に障害があったのかなと認識できました。

| あかとんぼ | 2016/07/01 20:27 | URL | ≫ EDIT

Re:

> 逆に今という「無」に浮いていられるのかな?と思いました。

なるほど。

| まゆみ | 2016/07/02 11:16 | URL |

Re: >記憶を失ったことを認識する自分が怖いのか

あかとんぼさん、いまは大丈夫なんですか?

| まゆみ | 2016/07/04 11:06 | URL |















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