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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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沖縄返せ


20時54分:最終更新

基地があると言うことは戦争に加担していることです。
罪もない市民を虐殺することに加担していることです。

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琉球新報 「沖縄戦後新聞」 1965年(昭和40円)8月19日 第3号

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佐藤栄作初来沖

復帰と基地二枚舌

軍用道路1号線に座り込むデモ隊(右側)。座り込み開始から5時間半経過し、排除にかかる琉球警察の警察官(左側)ら=1965年8月20日午前2時40分ころ、那覇市天久の琉球東急ホテル前
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「首相帰れ」 「沖縄返せ」

高等弁務官、行政主席との会談のため、泉崎の行政府ビルに立ち寄った首相一行の車列。抗議のために詰め寄るデモ隊と押しとどめる警察官らで騒然となった。=19日正午過ぎ
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沖縄「頭おかしいのがいる」

 佐藤栄作首相は20日、米軍司令官で開かれたワトソン高等弁務官との2回目の会談で、19日夜に発生した住民デモに降れて「沖縄に行けば当然、2、3(人の)頭のおかしいのがいるから石ぐらい投げられるのは覚悟である」と語った。・・・佐藤首相は日本復帰に触れて「沖縄の祖国復帰ということを言っているが、逆に言って日本全土が沖縄に復帰するということも言えるのではないか。そうすれば沖縄においては明治憲法がいまだ生きているので政府としてはだいぶ仕事がやりやすくなる」と話した。・・・・』

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ビジュアル・ベトナム戦争の足音


沖縄、「悪魔の島」に

 佐藤栄作首相が来沖したころ、沖縄はベトナム戦争に巻き込まれていくさなかだった。米国統治下、広大で多機能な米軍基地が形成された沖縄は、米軍の補給基地、訓練基地、前線基地として直接的にベトナム戦争に加担させられた。沖縄戦の終結から20年、「太平洋の要石」としての役割を強いられた沖縄は、ベトナムの人々から「悪魔の島」と見なされた。県民もまた、米軍基地から派生する事件・事故の被害者となっていた。ベトナム戦時は米兵による凶悪事件が増加し、毎年1~4人が殺害された。女性を狙った性犯罪も増加した。訓練に伴う事故も続発し、多くの命が奪われた。「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって『戦後』が終わっていない」。初来沖した佐藤首相の演説を、自らの安寧が実現しないまま再び戦争に加担させられていた県民は、複雑な心境で受け止めた。



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