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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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沖縄は世界の不条理の雛型に間違いない。


日付けが変わって10日0時56分:最終更新

沖縄戦後新聞(琉球新報)

1971年(昭和46年)9月9日木曜日(日付けは本来なら毒ガス移送が完了した翌日の9月10日とすべきですが、当日を再現するために9月9日付としました:琉球新報)

毒ガスの存在が明らかになったのは米紙ウォールストリート・ジャーナルの「在沖米軍基地でVXガスが容器から漏れ、米兵ら25人が病院搬送された」からです。

『米軍知花弾薬庫内に貯蔵されていた毒ガス兵器約1万3千トンの移送作業が9日、終了した。1969年にガス漏れ事故によって貯蔵が発覚し、沖縄側が即時撤去を強く求め続けていた。米軍は事故後に移送方針を固めるが、移送完了まで住民は2年以上も毒ガスと隣り合わせの生活を余儀なくされた。移送に関しても、幹線道路が使用され、期間中は大規模避難を強いられるなど、住民生活に多大な影響を与えた。・・・(17面より書き写し)』

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『・・・プロジェクト112は61年1月にマクナマラ米国防長官が出した指示に沿って進められた。・・・沖縄には62年12月1日、プロジェクト112に基づく「第267化学中隊」が発足し、毒ガスが持ち込まれた。・・・沖縄への毒ガス搬入は63年5月に作戦コード「YBA」として初めて行われた。その後64年5月の「YBB」、65年8月の「YBF」の計3度にわたって行われた。・・・(17面より書き写し)」

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『第2次毒ガス移送の輸送コース決定に向けて、日本は四つの手順のシナリオをつくり、周到に準備を進めていた。移送コースを建設する約20万ドルの経費負担問題が持ち上がる中、日本政府は全額負担を決めていたものの、琉球政府の屋良朝苗主席の要請を受けた上で、決定したかのように装うことで、日本側が琉球政府を全面支援しているとの印象を演出していた。毒ガス移送コースの建設を巡り、山中定則総務長官は日本政府が2分の1を負担することは伝えていたが、残りの負担分が琉球政府に重くのし掛かっていた。・・・(18面より書き写し)』

この後、とんでもない日米のお芝居がはじまります。

米軍が支払いを拒否したので屋良主席は山中氏と2回会談。この会談で福田赳夫大蔵省に再三電話を入れ、全額を払うことをきめます。屋良主席のメモによると「山中大臣でなければできぬ芸当」と評価しています。ところがです、この「屋良ー山中」会談は実は日米のシナリオだったのです。

『・・・さらに、山中氏は沖縄側に「お膳立てが整った」後に沖縄側へ公表する4つのシナリオを用意していた。①屋良主席が新ルートに地元の納得を得る。②屋良主席がランパート高等弁務官に米側による全額負担ないし2分の1負担を要請③弁務官が一切できないと回答④屋良主席が全額負担を日本政府に要請することーとのシナリオを披露している。山中氏は吉野局長に対し、手順②の前にランパート氏に打ち合わせをしておくよう求める周到さだった。・・・(18面より書き写し)』

屋良主席が移送ルートを決定しないので、レアード国防長官は議会との関係において立場がないとして、米軍はいらだちを日本政府につたえる。この米国の焦りで日本側が全額負担を決めたとみられているが、実はその裏で沖縄に恩を売る計画が着々と進められていたのです。

要は最初から日本が全額を支払うつもりだったけど、沖縄に恩を売るために下品な芝居をしたってことですね。琉球を乗っ取り、琉球の人々を虐げつづけ、美しい島を世界で最も酷い戦場の場にし、ようやく戦争が終わったとおもったら、昭和天皇が沖縄を米軍に永久に好きに使えと言い、あげてしまうし、そうかと思うとやっぱり米軍だけに占領させるのはもったいないと言うことで、あの手この手でいかに米軍が酷いかを見せつけて、日本に復帰させるように仕向けさせた。ところがどっこい、日本に復帰したら更に酷くなった。日米による二重苦で苦しめられ続けている沖縄。無差別殺人のための強力な毒ガス兵器を勝手に持ち込まれた沖縄が、なんで持ち込んだ当人とその仲間に恩着せがましくされなきゃいけないの?きょうも言います。すべての原因は、一番悪いのは昭和天皇です。

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『第2次移送は移送コースの変更と安全対策は重要課題となっていた。米軍は1次移送ルートの変更を拒み「安全」と繰り返すだけで米国本土並みの安全策を取らなかった。安全性に2重基準が存在していた。コース変更も新たな道路建設費と時間がかかり過ぎるとして難色を示した。米軍は「日本政府と組んで、その責任を屋良(主席)に負わせる」姿勢を貫いた。・・・(18面より書き写し)』

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『毒ガス兵器を搭載し、移送路を進むトレーラー』
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『厄を払うように、最後の毒ガス移送トレーラーの通過に塩をまく琉球政府の大島修毒ガス撤去対策副本部長』
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『米軍は知花弾薬庫に毒ガス兵器を貯蔵していた一方、沖縄に核兵器や枯れ葉剤などの需要な兵器も貯蔵し、文字通り沖縄を”火薬庫”として捉えていた。核兵器は嘉手納基地を拠点とする第18航空団が、F100戦闘機に水爆「マーク28」(最大破壊力1.4メガトン)を装着した飛行訓練などを行っていた。また中距離核弾頭ミサイル「メースB」を読谷村瀬名波、勝連村平敷屋、金武村中川、恩納村谷茶の4カ所に配備していた。これらは日本復帰に先立ち、1969年12月に撤去される。米陸軍化学物質庁(CMA)が作成した報告書によると、沖縄にはその他にもベトナム戦争で散布され、猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤が貯蔵されており、米軍は毒ガス兵器を搬出した米領ジョンストン島でドラム缶2万5千本を処分した。(琉球新報20面より』

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何度も言います。沖縄は世界の不条理の雛型です。


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