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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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恩納村民の闘い


糸数隆さんって糸数慶子さんのご主人なんですね。
恩納岳の実弾演習場で座り込みされたんですね。

みじんこ

糸数隆さん「40年前、恩納岳の実弾演習場で座り込みをし、一発の銃弾も打たせなかった。しかしその結果、刑特法逮捕者第一号になった。当時の状況と違うことは、恩納岳には有刺鉄線が張られて警告が書かれていたが、ここには何も張られておらず、境界が曖昧で刑特法違反をとるのは無理がある。」

CuT2RlFVYAEa2糸数隆さん


これがその恩納村民の闘いです。

Q+リポート あれから25年・恩納村民の闘い
http://www.qab.co.jp/news/2014032651522.html
棚原キャスター「来年で戦後70年ですが、アメリカ軍基地は依然として生活を脅かす存在であり、さらに辺野古の埋め立ても待ったなしの状況。しかし、過去には、沖縄県民の粘り強い抵抗が基地計画を撤回させたケースもあります。」三上キャスター「25年前、恩納村に都市型の実弾訓練施設が作られることになり、村民の24時間体制の抵抗でついに計画を断念させました。当事の映像から壮絶な闘いを振り返ります。」1989年10月。早朝から座り込んだ恩納村の人々。キャンプハンセンのゲートに続く道は500人の怒りで封鎖されました。中に入れなくなったアメリカ軍は沖縄県警に住民の排除を要請。直接対立したのは同じ県民同士でした。・・・・・アメリカ軍の特殊部隊が実弾を使って訓練をする施設。それは保育所からわずか500mのところに半分以上作られていました。恩納岳は、水や薪をとる母なる山。そこが戦後、実弾を打ち込む訓練場になったのは住民には耐え難いことでした。さらに、新たな施設を作るときき、我慢も限界と立ち上がったのです。・・・・・恩納村の反対闘争は新聞でも連日取り上げられました。監視は24時間体制。婦人会が毎日炊き出しをし、サイレンが鳴ればあっという間に200〜300人が結集したといいます。闘争を指揮した長嶺勇さん。当事の村民は熱く、後ろ向きになる人は一人もいなかったといいます。・・・・・女性も積極的に座り込みました。中でも印象的なのは、勇敢なおばあたちの姿。伊芸トミさんは、今もご健在でした。・・・・・沖縄の警察が軍に加勢したことが悔しかったとトミさんはいいます。・・・』

米軍実弾演習阻止の闘いの地---喜瀬武原(きせんばる)から恩納岳を望む
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/84e777c30844bc41c352c7b94144fc54

沖縄戦 恩納岳掃討戦
http://worldpeace.ti-da.net/e6806398.html

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