PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

証言:石垣島の陸軍の従軍慰安所


チョコレート同盟☆彡

石垣島の陸軍の慰安所があった場所。当時13歳だったSさんは鉄血勤皇隊に召集され、白糸への強制疎開のあとは毎日のように慰安所の前を通って作業に出かけたと言う。慰安所の2階は見張り小屋で、当時は橋を渡る住民を監視する兵士がいたと語る。

Cv7_n5XVIAAIJF7石垣島の陸軍の慰安所があった場所

①石垣島の白糸に従軍慰安所があった二つ目の証言。当時11歳だった少女Uさんは、女性たち5〜6人が鉄条網で囲われた建物にいるのを見て、その隙間から見惚れ、子供ながらに天女ではないかと思ったと語る。母親が襟首を捕まえ「子供がみたらいかん!人に絶対言ったらダメだ」と凄い剣幕でしかられた

②母親に叱られて、自分が見たものは天女ではなく幽霊だったと、記憶の底に封印されていたが、後年テレビで韓国のチマチョゴリを見て記憶が蘇ったと言う。当時おしろいを付けている石垣島の人はいなかったし、教科書で読んだ「天女の羽衣」と異国風の衣装が重なったのだろうとUさんは語った。

③軍命により山中で、靴もなく裸足で歩かざるを得なかった足からは毎日血が流れて、よく破傷風にかからなかったと過去を思い出し語ってくれた。「本当は戦争中の辛い事なんか言いたくないけど、80過ぎて隠すことないから、慰安婦という言葉も随分後になって、そうだったんだとわかりました」と。

④Uさんは「強制疎開の山中でおしろいを付けて異国風の綺麗な服を着て、遠目に見た女性たちはこの世の存在とは思えず美しいかった」。私たちの方がよっぽど辛い経験をしていたから。だけど陸軍将校の慰安所であったことと、その女性たちの気持ちを知る術がない、今は体験を語るのに複雑な気持ちです。


石垣島の景勝地川平に帝国海軍の石碑が立つ。ここも戦争に翻弄された過去を持つ。従軍慰安所や特攻隊の食料を盗んだ海兵3名の部隊内撲殺事件、震洋特攻艇の基地建設に与那国島民や朝鮮人が駆り出された、軍命による住民分断の傷跡は今も語られない。

Cv8Sx3hUEAAgzyZ石垣島の景勝地川平に

①帝国海軍が石垣島での決戦に備えた通信施設。全長150mほどの洞窟は朝鮮人人夫にダイナマイトで爆破させた後に、地元の女子隊、婦人会が岩を運び出す作業が続けられたという。内部には通信機器を置く台と発電機を置く台などが今でも残っている。

Cv8WG_lUkAAhxMT①帝国海軍が
Cv8WG_IUMAA1yuZ①帝国海軍が
Cv8WHAhUkAEITbj①帝国海軍が

②帝国海軍が最終決戦の為に人員を動員して作り上げた地下壕は、今や誰も知らない場所になりつつある。石垣島で玉砕する準備のための地下壕には、発電機を据える場所と通信機器のガイシが今なお残っている。保全されない戦跡が埋れようとしている。

Cv8YA9FUsAEDKSq②帝国海軍が最終決戦の為に
Cv8YAkxVYAE7Lkj②帝国海軍が最終決戦の為に
Cv8YAo9UEAAhkSP②帝国海軍が最終決戦の為に

外交の失敗が最終的に戦争を引き起こす、のが教訓であり、歴史に盲目であるならば現代にも盲目である。石垣島の討論会で「対案を出さないのは無責任だ」と市民に宣った佐藤正久氏の発言には、過去軍命を強要され多大な不幸を背負った歴史に対する無知がある。国際社会への対案は和解への実践しかない。



関連記事

| 沖縄 | 23:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT