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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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目撃者であること


1995年の夢日記の再掲です。

夢日記 1995年4月30日(日)

夢日記 1995年4月30日(日)
夢日記 1995年4月30日(日)

空一面に巨大な網が張り巡らしてあって
数え切れないほど多くの人間の顔が網にかかっている
私ともう一人でそれを見上げている
(絵の一番下に立っているのが私)


空一面の巨大な網は電磁波の網であり
情報の網であり
霊界を現す何かでもある。

////////

一昨日の夜、凄いものみてしまった。

菅野完‏劇場のリアルタイム体験と名付けよう。

菅野さんの評判のこともちらっとは知っているけれど
目の前で起きている出来事をスルーするのは馬鹿げている。
内容が事実であれ嘘であれ、目の前で起きている現象は事実。

本当のことを知りたい、真実を知りたいと言いながら
目の前で起きている格好の素材を見逃す手はない。

事実をあばきだすことであれ、ねつ造することであれ
それを目の前にありありと見せてくれたのが一昨日の出来事。

世界が作られる過程の目撃者になれるのに
それから目をそらすのはもったいない。

嘘で塗り固めれた世界から真実を見出すのは個人の目。

昨日のあなたときょうのあなたは違う。
数分前のあたたとも違う。

同じように他者も違う。

変わらないのはあなたの目。

色眼鏡を外してごらん。

生まれたての赤ちゃんのように
まっさらな目で、透明な目で
目の前で起きていることをみてごらん。

赤ちゃんは目の前で起きることをジャッジしない。

神から与えられた目の前の贈りものは
きれいなこととは限らない。

きれいも汚いも神には存在しない。

私たちにできることは、課せられていることは、
まっさらな目の目撃者であることだ。


///////

菅野さん本人が違うと言ってるように彼はジャーナリストではない。
一昨日の菅野完‏劇場には報道各社が集まったけれど
私の知っているジャーナリズムとは違う。
少し悲しくもあったけれど、ある意味仕方のない事。

311以降、世界を巻き込んで日本は一変した。
ジャーナリズムも一変した。

これだけネットが浸透した世界では
なじみのある過去が良かったとか、そういう問題では語れなくなった。

ネットを使えば誰でもジャーナリストもどきになれる。
中継をつかえば、誰でも同時に世界に配信できる。
(即席評論家も異常に増えた。)

エジプトをはじめ嘘の革命はこれで広がった。

情報の波が次から次へとやってきて
時には洪水や津波に襲われる。

私たちは大海に浮かぶ木の葉のように揺れ動く。

以前から言っているように、情報は鍛錬です。

情報の津波から逃れるにはそこから離れるか
上手くサーフィンするしかない。

すべての情報から遮断された場所に住むか
騒々しい世界の中に居ながら静けさに在ることができるかだけど
どちらも難しい。

情報の海を泳ぎ切るのは結局は
直感と自分の頭で考えること。
いつだってここに帰結する。

自分の頭で考えているようでも
実は他者の頭で考えていることはないだろうか。

そのことを常に忘れないようにしたい。


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COMMENT

心すべき警句

最後の二文
「情報の海を泳ぎ切るのは結局は
直感と自分の頭で考えること。
いつだってここに帰結する。

自分の頭で考えているようでも
実は他者の頭で考えていることはないだろうか。」
は常に心して覚えているべき警句と受け取りました。
世界をどう認識するかが私たちの生を規定するのならば、引用文の指摘が為に私たちは自分自身の生でなく、誰かから押し付けられ利用され尽くされる生を生きる羽目になるのですから。
心して生きねば。

| 淺野ぱるでん | 2017/03/20 18:49 | URL | ≫ EDIT















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