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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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美しい82年前の沖縄の人々を写した写真集が8月上旬に発売されます。


たくさんの方に買ってもらいたいです。
当然、私も買います。

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82年前の人々、生活が鮮明に 写真集「沖縄1935」8月上旬に発売(沖縄タイムス)
https://goo.gl/2PqNRH

定価は1800円(税抜き)。
安いですね。

img_cd6b5ee7ec01cd9854b27ff444c9f27592310【那覇ウフマチ(大市)】
【那覇ウフマチ(大市)】商品多彩 市場に活気(沖縄タイムス)
着物姿でカンプー(結い髪)を結い、対面で「アチネー」(商い)をする女性たち。にぎわいをみせるのは、戦前、現在の那覇市東町にあった「那覇ウフマチ(大市)」と呼ばれた公設市場だ。肉や魚、米や雑貨など、品物ごとに販売する場所が分かれ、場所を借りて商売が行われた。写真左には戦前の沖縄で「唐傘(とうがさ)」と呼ばれ、一般的に使われていた大きな傘が広げられている。背後には木造とみられる屋根付きの建物で商売をする人の姿が見える。・・・戦前に現在の那覇市東町にあった「那覇ウフマチ(大市)」と呼ばれた市場。出店者がお金を支払い、一定のスペースを借りて、商売が行われた。建物の中のほか、路上に商品を並べて露店販売をする人々もおり、庶民生活の場としてにぎわった。写真は、野菜などの農作物を販売している場所と見られ、女性たちが野外で「バーキ」と呼ばれる竹かごに品物を入れて対面販売をしている。(写真は朝日新聞社提供)

img_4c4334ea99aac29b9f07f7e798ed873d90641【三高女の生徒】
【三高女の生徒】会話弾む自転車通学、周囲のあこがれの的(沖縄タイムス)
急に雨が降り出し、慌てているのだろうか。1935年に撮影された写真の中には、傘や雨具を広げる女子高校生たちが写っているカットがあった。セーラー服の襟の線が「三本線」であることから、戦前に沖縄本島北部にあった県立第三高等女学校(通称・三高女、現・名護高校)の生徒たちの写真だと思われる。35年当時、三高女は現在の名護市大中に校舎があり、羽地や屋部など遠方の生徒の多くが、高級品だった自転車で通学をしていた。学校を自転車で行き来するセーラー服姿の三高女の生徒たちは、周囲のあこがれの的だったという。・・・降り出した雨で、傘や雨具を広げる県立第三高等女学校の生徒たち。学校の広場やグラウンドのように見えるが、撮影場所は不明。地面のぬかるみの中をはだしで歩いている生徒もおり、靴を汚さないように気をつけたのではないかと思われる。当時の三高女では教員志望者が多かったほか、那覇のデパートで働く美しい着物に身を包んだ売り子もあこがれの職業だったという。(写真は朝日新聞社提供)』

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【記者と案内人】朝日新聞記者と小学校教員、異なる戦争体験(沖縄タイムス)
1935年、糸満の漁港で写したとみられる記念撮影風の1枚には、沖縄を取材して本土に戻った大阪朝日新聞の記者と、糸満での取材を案内した人たちが写っている。その後の歩みは異なるが、それぞれが激動の時代をくぐり抜けていた。・・・右端は1935年の沖縄取材に訪れた大阪朝日新聞社会部の守山義雄記者。同僚の藤本護カメラマンは撮影者のためか、写っていない。残る3人は左から取材をコーディネートしたとみられる同社那覇通信部で初代主任を務めた豊平良顕さん(1948年の沖縄タイムス社創業メンバーの一人)、糸満尋常高等小学校に勤めていた安仁屋政栄さん、玉城瑩さん。豊平さんは同年4月20~24日に沖縄を訪れた同社の下村海南副社長(1945年に鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁に就任)と飯島曼史論説委員も案内している。玉城さんは後の旧糸満町長。撮影地は糸満市糸満の前端区辺りにあった漁港、新島浜(みいじまばま)とみられ、左後方にハーレーに使われた塗装があるサバニが見える(写真は朝日新聞社提供)
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