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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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「日本の疑似伝統」その1


私たちが日本の伝統と思っているものはどうやら思い込みのようです。
和種と言われる牛や馬、犬は半島からやってきたものだけど
古来からの伝統と思っているものは新しいものだそうです。

IMG_2337.jpg


■日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

長いので少しづつ読みながらアップしていきます。

以下。

皇室行事は明治からの新設。
昔から行われてきたと言うのは嘘なんですね。

宮中三殿も明治から。

天皇が親祭する13の祭典のうち11は明治以降。

即位式や大嘗祭に使用された装束も
平安時代以来の伝統的な衣装だと言われているが
これも嘘なんですね。

幕末までは唐服が大きな位置を占めていた。
それを明治維新後に全面的に排除して衣冠束帯と決めた。

(即位の儀式も以前は支那風のことが混じっていたので、
それらは悉く取り除かれた。

奉仕の役人も皆、唐服を捨てて衣冠束帯となった。
古来の典儀も唐制を模倣したもの。)

伊勢神宮に天皇が参拝するようになったのも明治天皇から。
(これは知っている人も多いのでは)

明治神宮の建築についても
ヒノキが古来の日本の美と宣伝されているが、これも明治から。

神前結婚も1900年に行われた皇太子の結婚からで
明らかにキリスト教の影響で生まれたもの。


神道に関して「古来」とやかましく主張されるが
明治になって作られたものか、装いを変えたもの。

理由は今までの「神道」が「神道」ではなくなったからである。

近代の天皇制国家は今までの「神道」を新たに編成し直して
「国家神道」を形成し、「国民教化」の手段としたからである。

その究極の目的は天皇支配の正当化にあり、
そのために天皇制が日本古来の伝統であることを過度に強調することになった。

この天皇制賛美は1945年の敗戦まであらゆる教育手段、
マスコミなどを通じて徹底して行われた。

多くの日本人は文字どおり、
洗脳されつくされたといっても過言ではないと著者。


1、桜のなかの《疑似伝統》

いさぎよい死に方と結びついた桜。

旧藩時代にもてはやされたものはすべて破壊するという風潮で
吉野山の桜が数千本伐られ、円山公園の名物のしだれ桜も
あやうく伐られそうになる。
(各地の桜の名所は桑畑に変えられてしまった。)

ところが明治14年に天皇主宰の鑑桜会がはじまり、
翌年各地で桜の保護が始まってしまう。
ちょうどそのとき、新種のソメイヨシノが発明される。

今までの山桜と異なり、葉よりも花が先に出る。
春爛漫の言葉がふさわしい。
育てやすく開花が早く散りやすい。
明治に全国の学校や公園、河川の堤防に植えられたのは
このソメイヨシだった。

春爛漫と花吹雪という二重の姿を短期間に演出する
ソメイヨシの普及は、天皇に忠誠を尽くすことをもって大和心とする
明治国家の宣伝に好都合であったと筆者。


桜の散り際を武士や軍人の死に方と結びつけて
強調することが明治になってからあらたにはじまった・・・。

桜は本来稲作との関わりで鑑賞されてきたもので
死に方のアナロジーとして受け止められたことはない。

それを「桜の花がパッと散るようにいさぎよく死ぬのが日本人だ」と
したのは明治から。

古来日本人の間には死後の世界についての観念はなかった。

本居宣長の個人的趣味の桜が勤皇の志士に受け継がれ
それが明治維新後も衰えず、近代天皇制国家の確立と共に
桜は国花とされ、帝国陸軍の記章となった。

そして天皇の「赤子」である軍人は「皇国」のためには
桜の花の散るようにいさぎよく一命を投げ出すことが至上命令とされていった。

つづく

私が子どものころから桜を好きになれない理由はここにあったのか・・・。

まだ山桜の方が良かったし、沖縄のカンヒザクラは好きです。

琉球国之図で英国のことを考え、
明治維新で英国のことを考えていたから
神前結婚がキリスト教の影響だと知ってつながってきた。

やっぱり、明治維新はクーデターですね。
そうするとこれもやはり平成維新クーデターが完了間近?




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| 歴史/古代史 | 00:41 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

これすごく興味深いです。
まゆみさんの記事にあわせて4頁まで読みました。

服がそんな風に変わったなんて
すごい変化ですね。
唐服、これは「とうふく」と読むのですか?
服が変わらないまま、今も唐服だったとしたら
私たちの意識は今の意識とかなり違っていたと思います。
服を変えてしまえ。この思い付きがすごいと思いました。

桜のお話にも驚きです。
たんぼをやっている人から見ると
長く咲けば咲くほどいい。
枝にどれほどの花をつけているか・・が大事。
そういう視点で桜を見るなんて全く思わなかったです。

「桜がパッと散るように潔く死ぬのが日本人だ。」
こちらの方はどこかで聞いたことがあります。
桜をこんな風に利用していたんだな・・・と思いました。


※誤字がひとつありました。
「歯より花が先に出る」のとこです。

| えり | 2018/01/13 16:47 | URL | ≫ EDIT

えりさん、ありがとう。

> ※誤字がひとつありました。
> 「歯より花が先に出る」のとこです。

声を出して笑いました。

| まゆみ | 2018/01/13 17:15 | URL |

Re:

えりさん、わたしは「からふく」と呼んでいます。
中国の服です。沖縄ももちろんそうでした。唐服のままなら今のような反中はないでしょう。明治維新ですり替わった天皇国家にしたら当然「唐服」はまずいでしょうね。天皇の呼び方も中国からです。天皇は中国にしか存在しません。天皇の本来の儀式もすべて中国を真似たものです。

| まゆみ | 2018/01/13 17:28 | URL |

Re:

こちらを参考にしてください。

漢服
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9C%8D
>漢服もアジアの国々の民族衣装に強い影響を与えた。日本の飛鳥時代・奈良時代の和服は、遣隋使・遣唐使・聖徳太子により、隋王朝と唐王朝の漢服を模倣した[6]。韓国の高麗時代・朝鮮時代の韓服も、中国への朝貢・冊封関係により、元王朝・明王朝の漢服を模倣した。

| まゆみ | 2018/01/13 17:32 | URL |

Re:

漢服のウィキはページが長いですが写真だけでもみてください。どこかで見覚えのある服ばかりですよ(微笑

| まゆみ | 2018/01/13 17:36 | URL |















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