PREV | PAGE-SELECT | NEXT




あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


≫ EDIT

「日本の疑似伝統」その3


「ケガレ」とは「気が枯れる」ことと私は考えます。
(土地のケガレも同じ)
そう考えれば月経やお産はケガレにならない。

ネットで他者を誹謗中傷したり、
ヘイトを垂れ流す人たちこそ、ケガレです。
彼らは人の気を枯らす。

mayu 139

■日本の疑似伝統::阿満利麿 明治学院大学国際学研究
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1668/1/kokusai_8_1-22.pdf

2.ケガレの強調

三不浄

沖縄、奄美では経血を不浄とする考えはなく
沖縄には日本古代文化の原型が残っていると考えられるだけに
月経の不浄視は後代から成立してきたと著者。

ここに書かれている二つの相反する「イミ」は面白いですね。

非日常的な尋常ではない世界に対処する態度のイミ
尋常ではない世界には人にとって好ましい場合とそうでない場合がある
好ましい場合は積極的に近づき
好ましくない場合は近づかないようにする
前者が「斉み」、後者が「忌み」
こうした分化は奈良時代末期と言われているが
時代を下るにつれ「忌み」が「斉み」を抑えて圧倒的に強くなってくる

桓武天皇は歴代の天皇のなかでも中国皇帝を施行した代表的人物で、
宮廷の祭儀、儀礼を中国の制度にならって整備、
神祇祭祀に従う者に対しては徹底して凶事の忌避を求めた。

8世紀から9世紀初めにかけて成立した天皇をとりまく律令貴族の
神聖意識が伝来の「イミ」における禁制部分を異常に増加させる原因となった。
彼らの最大の関心事はもっぱら自らの神聖性を侵す恐れがあるケガレを
回避し続けることであった。

自らというのが重要。

高取正雄はこれをもって神道の成立とした、と著者。

この律令貴族の禁忌体系が中世になって農民に広がってゆく。
もともと「浄・穢」は日本固有のものではなく
万物を「浄・穢」に分類する古代インドの世界観に属するもの。

明治近代天皇制でこの「穢れ」が極端に強化されるようになる。
民間に伝承されるケガレ=穢れは日本史における
2度にわたる神権天皇制の産物だった。

墓地は自由に作れなくなった。

「喪中につき賀状辞退云々」の挨拶状も
天皇に仕える官吏から新しくはじまった過剰な禁忌意識。

「国家神道」は従来の神道を天皇中心に組み替えた国教。
憲法上の「信教の自由」に抵触しないようにたくみに
儀礼中心に構成され、「神道は宗教に非ず」という
詭弁のものに諸宗教の上に君臨した。
したがってその祭儀の禁忌意識は激化していく。

こうした禁忌意識は義務教育における
神社参拝を通じて国民の間で徹底されて行き、
昭和10年代になるとヒステリックな様相になってくる。

身だしなみをと整え…手の洗い方からはじまり
参拝の仕方など…神社へお参りする一連の作法。

「二礼二拍手一礼」も新しくできたもの。

神社の前を通り過ぎるときに敬礼したり
忌中の者は参拝を遠慮するなどもこの一環です。

昔からあったわけじゃない。

国家神道の中でも靖国神社がもっとも厳格だった。
病的なまでの清潔、手洗いが決められているそうです。

女性の穢れについても近代天皇制で強化された。

「二礼二拍手一礼」について
宗教学者の島田裕巳さんもこう語っています。

「神社に行くと、「二礼二拍手一礼」が正式な作法と強調されている。だが、そのやり方は、明治8年の「神社祭式」で定まったものがもとになっていて、明治以前には存在しなかった。明治以前の神仏習合の時代には、神と仏は同時に祀られていたので、合掌と拍手の区別はできない。」「これが江戸時代の伊勢神宮での参拝のしかたです。拍手ではなく、合掌だったことがよく分かります。天皇に対して拍手を臣下が打つ、あるいは天皇が神に柏手をうつということはあったようですが、それは特殊なことだったようです。」

つづく

次回は天皇「機軸」論


関連記事

| 歴史/古代史 | 16:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT