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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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万葉集と古代朝鮮語 その2


以前も書いたように、
古墳時代の人口の半分以上が、
万葉集が作られた時代の日本の人口の90%が
半島からの渡来人と言われています。

なので日本列島で暮らしても
言葉に不自由はなかったでしょうね。

半島からの移住者は古墳時代よりもっと前からも
やってきているので、相当な数になっていたはず。

柳美里 @yu_miri_0622

令和の考案者だと報じられた国文学者の中西進さんと2010年6月に札幌で対談しました。「万葉のこころを未来へ」というシンポジウム。わたしの他には、作家のリービ英雄さん、楊逸さんがパネラーでした。 http://21fukurou.com/f_sch/miraimarc.html

中西進さんからのオーダーは非常にハードルが高く、万葉仮名の原典である「郷歌(향가)」と、朝鮮固有の定型詩「時調(시조)」について、万葉集と比較しながら語りなさい、というものでした。

しかも、直前に中西さんが楽屋にいらして、時調と郷歌を朗読してほしい、と言うのです。万葉集と通底している響きを聴かせたい、とーー。 わたしは顔面蒼白になり、朝鮮語を話せる友人に電話をかけました、古語なので発音が難しいのです。

対談としては史上最大の難関でした。朗読を終え、おっかなびっくり中西さんの顔を見ると、中西さんは朝鮮半島動乱で、百済、高句麗が滅亡すると、多くの人たちが半島からこの国にやってきた。額田王、山上億良、柿本人麻呂ら渡来系の歌人たちは、万葉集において大きな影響を持ったと話されました

渡来人たちが通訳を介して話していたという記録はないので、当時は別の国の言葉というほどの違いはなく、地域言語(方言)くらいの差だったのではないか国境もない時代に、半島からの移民の流入による文化交流の中で誕生したのが万葉集である、と中西進さんはおっしゃり、私はとても励まされました。

ああ、「在日文学」の先輩たちは、万葉集の中にもいるんだ、とーー。 わたしは、わたしの作品の中で美しい日本語を奏でよう、とそう思いました。


万葉仮名の原典「郷歌(향가)」
郷歌(きょうか、ヒャンガ)は、新羅時代の朝鮮語の歌謡
時調(じちょう)は朝鮮で成立した定型詩



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