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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
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熊本城は国から無償貸付。乗っ取られた沖縄は泥棒に毎年2億3千万円を支払う。


自国民には優しい日本政府。
乗っ取られた沖縄と比較してください。
沖縄がいかに不条理な目に遭い続けけているか
熊本城と比較するとよくわかります。
植民地なんですよ、沖縄は。

熊本城は国から無償貸付。乗っ取られた沖縄は泥棒に毎年2億3千万円を支払う。自分の家を使うのに毎年膨大な金額を泥棒に支払わなきゃいけない。

首里城 熊本城20191114005334


大城 ともゆきさんのフェイスブック

大城 ともゆき
11月1日 8:56
https://www.facebook.com/groups/kenpo9/permalink/1548901968585191/

沖縄県は国に 首里城の年間使用料として 2億円払わされてた

海洋博公園が国立なのは、納得するんだが。

なんで首里城公園が国立なのか、前から疑問だった。

あの土地は、戦時中日本軍に接収されたとはいえ、元々首里王府のもので、本来であれば戦後 沖縄県又は那覇市のものになるはずの土地。

首里城は、第二次大戦で焼失した。日本軍は首里城の下に巨大地下壕(司令部)を造った。だから標的になり、恐ろしく大量の砲弾と火炎放射とで破壊されたんだ。

他府県では、戦時中日本軍に接収された城や土地を、戦後 所在市や県に無料譲渡(または名義はまだ日本軍のままでも実質的に市の所有)されたところが多い。

なぜ首里城は、日本政府の所有なのか?国が金を出し再建したから?沖縄県民も寄付いっぱいしたよ?

そして今年、管理を沖縄県にしたからと、年で2億円の賃貸使用料を国に払わなければならないのはなぜ?

なぜ日本政府が首里城を再建したのか?うちなーんちゅの悲願だったから?

再建した時は、もしかしたら本当に、日本政府内に「沖縄と寄り添う思い」があったのかもしれない。

でも 今もそうならば、なぜ賃貸料をとる?

今回、首里城が焼けてしまい、いち早く再建の言葉を出した政権の意図は、35年前のあの時の政府の思いとはだいぶ違うように感じる。

日本政府の持ち物だ、これ使って観光で稼いで日本政府に賃貸料払えと、その不条理、この火事のおかげで知り気がついた。

沖縄のものなんだと思っていたら、沖縄の物じゃなく、日本政府が全てを牛耳ってた。

首里城公園は、日本政府の土地で日本政府の建物で、沖縄県は借りてただけ。

そこからハッキリと、「琉球は侵略され王府の土地財産を日本に取られた」という歴史が浮かび上がる。

再建して欲しい。

そして、琉球国から潰しとった土地と文化、返してください。

首里城も北部のやんばるの山々も、そもそも琉球王府のものだった。

勝手に米軍に差し出して、今度は返すよと恩を着せる。なぜ?琉球の財産だったのに。

返して欲しい。

首里城を、国の土地建物としてではなく、再建したうえで、 沖縄県に返して欲しい。

首里城は、うちなーんちゅのものだ。

写真 琉球処分後 首里城の門前で並ぶ 熊本軍 (琉球処分って失礼な呼び方、処分じゃないだろ侵略だろ)

(琉球処分 解説)
明治政府が琉球王国を日本近代国家に組み入れた政治過程。1872年の琉球藩設置から1879年の廃藩置県までの一連の施策のことで,単なる廃藩置県ではなく,明治政府自身が〈処分〉といっているように,一方的に強権をもって断行したもの。1875(明治8)年5月、明治政府は<藩内保護ノ為>という理由で熊本鎮台沖縄分遣隊を沖縄へ設置することを決定し、翌年の1876(明治9)年7月には同分遣隊が沖縄に置かれた。

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上の写真」首里城の正門「歓会門」前に並ぶ明治政府軍の兵士。熊本県から派遣され「熊本鎮台兵」と呼ばれていた(日本カメラ博物館所蔵)

伊波 洋一 (いは よういち) @ihayoichi 2015年6月7日

1879年3月27日首里城「31日正午までに城を立ち退き、熊本鎮台分遣隊に明け渡せ。藩主は東京に居住せよ」と松田道之処分官は「廃藩置県」の通達を読み上げた。武装警官160人、熊本鎮台兵400人を伴っての厳命。城門を封鎖し差し押さえた。

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