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あいさつ

表紙の写真の作品は、2003年に制作したものです。
尚、当ブログの記事の引用・転載は必ずリンクを貼ってください。


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利害、利権が一致するものたちは手をつなぐ


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一年前の4月に連載した「ダライ・ラマの本当の顔」では、
ダライの素顔、ダライ奴隷制度の悲惨なチベット人の真の姿、
毛沢東がチベット人にどれだけ歓迎・熱狂されていたかがわかります。
そして毛沢東に反対する中国の修正主義者(?小平ら)が
どうやって権力を手にいれていったかがわかります。
カリスマ性のある毛沢東が利用されたとも考えられます。
毛沢東が信頼する人間の中にも裏切り者もいたでしょう。
利用した真の存在は誰?

「ダライ・ラマの本当の顔 最終回」より引用
『修正主義者は、強固な封建制ラマ教階層の残りを含む革命家を撃退するのを手伝うことができたチベット人の勢力に手を伸ばしました。1977年には、修正主義者により、革命家たちが行ってきた圧政者や階級敵対者に対する全ての非難と強制収容は「不当」なものであるとされ、 これまでの流れを一掃して、封建制慣習と力の「権利」の回復が宣言されました。そして彼らは、共有財産を分配することによってすばらしい繁栄を築き上げることを約束しました。

1977年中頃には、修正主義の党議長華国鋒は、チベットの封建的な習慣の復活を要求しました。封建的な儀式は、ラサの主なLingkhorとBarkhor神殿ですぐに復活しました。80年代後半までに、中国政府は200以上の僧院と45,000人の僧が機能していると言いました。80年代の終わりに李鵬(天安門広場大虐殺を命じた肉屋)は、公式に後援された最初の「生まれ変わりの仏陀」の捜索を組織化していました。』


要は毛沢東が開放したチベットを
修正主義者らによってまた逆戻りになったということです。
ダライ制度のように奴隷制度はなくなったのでまだましかなとは思うけれど、
修正主義者と封建制ラマ教階層の残りは利権が一致し、手をつないだわけです。

こうやって考えると
利害が一致するダライと修正主義者によって、更に別の存在によって
毛沢東は殺されたとみるのが妥当かな。

興味がある方は「ダライ・ラマの本当の顔」で検索してみてください。
6回翻訳記事をアップしてます。

こちらでは「ダライラマの本当の顔」を証明するようなビデオがみれます。
「チベットからまたナチスにマントラにTMに瞑想にヒッピーにニューエイジに」
http://cocorofeel.exblog.jp/8487952/


利害、利権が一致するものたちは手をつなぐ、
これは日常的にもネット上でも起きていることで、人間の性なんだろうか。
あっ、私も毛沢東の立場みたいだ。
あの人とあの人とあの組織とが手をつないでるね。

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